第三十八話 もう二度と顔を見せるな
八月二十七日。
ヒットマン・チームのリーダーと思しき東洋人の男は、何一つ自分が事件に関与したという証拠を残すことがなく、チャーリーたちの健闘に拍手を送っただけで引き上げていった。
今、鉄製の馬車の客車を背にして護衛と日本陸軍の兵士たちにチャーリーは囲まれている。
アメリカ人女性チャーリー・サイモン夫人は、壬午軍乱における花房公使の活躍を称賛する日本政府の国際的広告塔の役割をつとめていた。
当時の国際的なパワー・バランスの下で、清国人が直接にチャーリーを殺せば、かえって清国にとって不利に働くことになったであろう。
━━愛国的日本人の仕業に見せかけるべき━━
そういう制約を前提にして、この日のチャーリー・サイモンに対する暗殺計画は立てられていた。
チャーリーは周囲の状況を確認した。
自分をまわりを日本の陸軍兵士と護衛たちは囲んでいる。
背後の建物をチャーリーは振りかえった。建物の二階部分の窓枠の部分から銃身の一部が出ている銃口があった。もしも清国人が押し寄せてくれば、高所から狙撃する。
この場所で派手な戦闘が起きれば、チャーリー側には戦力の増援が次から次へとやってくる。長崎から朝鮮へ向かう予定の兵士たちが、近くの長崎輸送局に相当数に待機している。
チャーリーのことを殺そうとする側にとってみれば、状況はいかにも分が悪い。だからこそ、リーダーと思しき東洋人の男も、あっさり引き上げた。
終局。
本日の暗殺ゲームは終わった。
カードを配りなおして次のゲームを始めるとしても、いくら何でもそれは明日以降の話だ。
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陸軍兵士たちからの提案を通訳のクサガが持ってきた。
「もう、貴女も軍の病院に移動した方がよいのではないかと彼らは勧めています。カトーの入院のための手続があります」
「私がいなければ駄目?」
「貴方が顔を出してくれた方が手続がスムーズになります。貴女は、軍の病院でも人気がありますから」
「私が顔を出した方が便利なわけ」
「それに、安全な長崎病院にまで貴女を連れていけば、兵士たちの今回の任務は終わります」
それは陸軍兵士たちの気持ちもわからないでもない。
実際にチャーリーは危険な相手に明らかに狙われている。今、万が一のことがあれば、彼らの責任も問題になる。早く他に責任のバトンを回したいのだろう。
「ごめんなさい」
チャーリーは言った。
「少し待って。私には、まだ、やらなければいけないことがある」
「何か?」
「私は、ここまで、自分の父親に会いに来たのよ。まだ、会えていない」
「レストランの中にも仕掛けがあるかもしれませんから」
ごもっとも。
そこで、チャーリーは命じた。
「カイルを呼んできてもらえる?
チャーリーは殺されかけたばかりだから、一緒にお食事することは無理な精神状態だけれども、何か彼が娘に向かって言いたいことがあるのならぱ、お店の前まで来ているから、外で話を聞く、と」
「わかりました」
クサガは橋を渡って問題の中華レストランの中に入っていった。
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しばらくするとクサガは店の外に出てきた。
彼の後ろには、三人の護衛を連れたチャーリーの父親カイルの姿も見えた。
「なぜ、生きている?」
カイルは、川をはさんで橋の向こうに立つチャーリーの姿を認め、悲鳴のような声を上げた。
え?
チャーリーは、一瞬、とまどった。
「私が生きていて、何か問題があるの? 銃で撃たれたのは通訳のカトーよ」
「その男は、お前が撃たれたと言ったぞ」
カイルは怒鳴りながらクサガの方を指さした。
わざとらしくクサガは肩をすくめてみせた。何かに気づけと合図をチャーリーに送っている。
チャーリーも理解した。
もしも、カイルが本当に今回の暗殺計画について何も知らなかったとすれば、死んだと言われた娘の無事な姿に歓喜したはず。
歓喜しなかったということは、カイルは今回の計画に関与していたということだ。
わかりやすい判別法。
結果はクロ。
怒る気にもなりやしない。
チャーリーにとって怒る価値がない男だ。
「久しぶりに親子の対面で『なぜ、生きている?』という最初の挨拶。それを言ったとき、貴方はどんな気分だった? ずいぶん変わった挨拶ね。他のみんなに言いふらしてもかまわない?」
「口を慎め、チャーリー! 親に向かって何だ、その口の利き方は!」
カイルは叫んだ。
冷ややかにチャーリーは笑った。
「娘に対するプレゼントとして鉛の弾丸。変わった趣味ね」
「黙れ。誰が育ててやったと思っている? お前は、いつもそうやって人を小馬鹿にする」
と、カイル。
ところで、とチャーリーは質問した。
「貴方は私のことを嫌いなのに、わざわざ上海から長崎まで、何のために私に会いに来たの?」
「お前が、あまりにも勝手なことばかりするからだ。今のお前の行動はアメリカの国益に反している」
「アメリカの国益?」
「今、清国の黒旗軍とフランスとの交戦が始まっている。
ここでアメリカが清国に味方をして恩を売れば、アメリカの中国大陸における権益を伸ばすことができる良い機会だ」
カイルが言っていることの意味がチャーリーには一瞬わからなかった。しばらくたって、その意味と自分がわからなかった理由に思い至った。
「馬鹿げている。清国に恩を売ってみたところで、時間と労力の無駄よ」
居丈高にカイルは言い放った。
「お前は卑劣なレイシストだ。お前は肌の色の違う人間を不当に差別している」
一八六一年から一八六五年にかけてのアメリカの内戦、南北戦争では、黒人奴隷解放というレイシズムに関わる問題を正義の旗印に掲げた北軍が勝利した。
馬鹿はすぐ流行語を使いたがる。
チャーリーは言い返した。
「私にも親しい清国人の友人はいる」
上海でチャーリーが観察するところ、すべての中国人が恩を受けて返さないというわけでもない。
律儀で立派な者もいる。
ただ、そういう律儀な人間は損をしやすく早死にしやすい社会構造。
敬服するべき清国人の友人の見解によれば、儒教という西洋の功利主義に似た学問に問題があるのではないか、ということだ。
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儒教(ミルの質的功利主義)は、その社会に住む人たちを二分する。
衣食住の足りた立派な君子(利他の喜びを知るまで教育を受けた者)ではない民は一切の道徳を守る必要はない。
確かに、儒教(ミルの質的功利主義)の教えは、弱く貧しい者たちに優しい。
しかし同時に、永遠に自らを弱く貧しい者(利他の喜びを知るまで教育を受けていない者)として位置づける強欲な者たちが、無規範の悪鬼や妖魔として社会に存在し続けることも許してしまう。
儒教が支配した国家の歴史を紐解くに、前者のメリットが後者のデメリットを上回る期間は短く、例外なく、悪鬼と妖魔たちの醜い争いによって自滅の道を辿る。
現在にチャーリーが滞在している日本においては、社会に住む人たちを二分する考え方の危険性に、ツヨシ・イノウエという偉大な知性が気がついていた。
イノウエは、社会に住む人たちを二分しない【臣民】という概念を創出し、伝統的儒教や功利主義が新しい日本の主流になることを阻止するべく狂奔していた。
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それに、とチャーリーは言った。。
「私は朝鮮からハナブサ公使たちと一緒に脱出したのよ。みんな、私の戦友よ。肌の色なんて細かいことを言い合ったりする余裕もなく、お互いにお互いの生命を守りあった」
「お前は、他人の話を聞かない」
そう言うカイルこそ、チャーリーの話を何も聞いていなかった。
「どうして、お前はいつもそうなんだ? 俺が、お前を育ててやったというのに。なぜ、感謝の心というものがないんだ?」
そんなことは知らない。
チャーリーは自分で感謝するべき相手を自分で決めることにしている。
「ここにいる日本人たちも私の友人よ。もちろん、さっき、私のことをかばって銃で撃たれたカトーだって私の友人よ、病院に運ばれてこの場にいないけれども」
溜め息。
「カトーが一発もらった後に、ヒットマンを撃ったのは私よ。こいつで」
右手の拳銃を見せびらかす。
「腕にしか当てられらなかった。横から、もう一人の護衛、オオシマが私のことを床に伏せさせようとして、私にタックルしてきたから、狙いがそれた。それさえなかったら、脳みそを派手にぶちまけてパーティーだった」
「貴様!」
カイルは激高した。
「暴力はよせ! 平和最高! 貴様は普通ではない! 普通が一番! 恥を知れ!」
自分の娘のところにヒットマンを送りつけて、それを言うのか。
チャーリーは奇妙な脱力感に襲われた。
「貴方はいったい私に何をして欲しい? 私が貴方に望むのはただ一つだけしかない。もう二度と顔を見せるな」
「お前は、どこまでも自分勝手だ」
「聞こえなかった? もう二度と顔を見せるな」
「お前は、どこに行ってもトラブルをよく起こす。本当に普通ではない」
「もう二度と顔を見せるな」
「いい加減にしろ!」
カイルの横柄な態度にいらついて、チャーリーは拳銃を左右の手で器用にガンスピンしてみせた。左で撃たれるのか右で撃たれるのか選ばせてあげようか?
「もう一度言う。もう二度と顔を見せるな」




