第三十六話 二度目の銃声(久佐賀視点)
「近代化に求められた服装」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/clothingresearch/54/2/54_79/_pdf
明治四年から郵便配達夫には制服アリ。
「郵便物を守るッ!郵便局員は警察より先に拳銃を所持していた」
https://zatsugaku-company.com/post-office-worker-handgun/
郵便配達夫は拳銃を携帯していた。
八月二十七日。
もうそろそろ問題の会見の時間になる正午である。
昨日の夜には少し雨が降った、
しかし、二十七日の昼間には空に一面の青が広がっていた。白い雲がわずかしか散っていない。
港町の夏の日の空としては、珍しい空模様であった。
「そろそろですね」
と、久佐賀丸はつぶやいた。
内田はうなずく。
「だな」
二人は【前線基地】として借り受けた家屋の二階の窓から外の通りの様子を眺めていた。
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兼の父親の所有する箱型四輪馬車が銅座川沿いの北側を走ってくる。なぜか、二台。前の馬車と後の馬車がかなり距離を置いて走ってくる。
久佐賀はあっけにとられた。
「・・・あれは?」
ほう、と内田は感心したような声をあげる。
説明。
「複数の駕籠を使って刺客を避けるというのは昔からありふれた手だ。それを馬車でやっておるのだろう」
刺客の側からすれば、どちらの馬車が本物なのかオトリなのかわからない。
さらに言えば、二つの馬車はすべてオトリで、本物は別の経路からやってくるかもしれない。
久佐賀は言った。
「これも兼の工夫でしょうな、おそらく」
内田も同意見だった。
「外側から中を見れない乗り物のを使えるという場合には、オトリも用意する。刺客を避けるには、そうした方がいいと誰でも知っている。
ても、それをやるには金が必要だ。普通の者ならば、思いついても、自分たちの貧しさを感じさせられるだけで嫌になるから、そういう方法もあるということをすぐに忘れる」
「私も忘れていました」
と久佐賀。
ひがむなよ、と内田は笑った。
「お兼のように、豊かに生まれ育って金に不自由することなく育ったというのは、一つの才能だ。金さえあれば色々なことができる」
「はい」
久佐賀は思う。
あの貧乏長屋の子たちなら、この方法を思いついた途端に、馬車を用意するお金がない、と記憶から消し去っていたことだろう。
奇妙に切なかった。
救いがあるとすれば、内田の言うように、
「もちろん、だいたいの金持ちの子は、そういうことを思いつける環境に恵まれても、それを思いつく気概には乏しい」
という点だろうか。
金持ちの子が貧乏人の子よりもいつでも無条件に優れているという話になるのならば、あまりにも救いがない。
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二台の箱型四輪馬車がついに橋のたもとに止まった。
前の馬車から岩田と加藤が降りてくる。後ろの馬車からは、サイモン夫人と大島と壁山が降りてきた。
ここまでは無事に辿り着いた。
あとは橋を渡って、すぐの位置にある中華料理屋に入るだけだ。
ここまで、まったくの暗殺の兆候が見られなかった。
仕掛けは中華料理屋の店内にあるのだろうか?
とはいえ問題の中華料理店は相当に長い期間に日本で営業している。ただの一回限りの暗殺計画のために、自分の店が潰れるようなことまで清国政府に協力するのは割が合わないだろう。
おそらく店内は安全のはずだ。
万が一に仮に店内で何かあったとしても、サイモン夫人は四人の男たちが護衛についている。
加藤はともかくとして、大島と壁山は内田良五郎の門下の剣術遣いであり、鎖帷子を着込み、それぞれに日本刀を持参している。岩田は、警察官であり、西南戦争の役にも参加した実戦経験の豊富な拳銃使いである。
彼らであれば、最低でも、店の外にサイモン夫人を逃すぐらいのことはできるはずだ。
この【前線基地】の二階の窓から何か異変が見えれば、小銃を抱えた陸軍兵士を問題の中華料理屋に突入させる。一分もかかるまい。
全ての思いついたことはやった。
まだ思いついていないことがあるような気がする。
だが、思いつかない。
不安と恐怖。
無意識に危険の瞬間が近いことを予感していた。
まだ、何かある。
何か見落としている。
内田も同じ気持ちなのか、硬い表情で腕を組んで目を閉じている。
彼の手には、川向こうまで指示を出すための円錐型のメガホンが握られていた。
簡単な構造で声の指向性を強化する円柱型のメガホンは古代から東西の文化に広く存在していたが、どういうわけか日本ではあまり使われなかった。
内田が手にしているメガホンも兼の家にあった輸入品であった。
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サイモン夫人を四人の護衛で囲む陣形を取る。前が大島、後が壁山、左が加藤、右が岩田。その陣形のまま橋を渡りだした。
橋の幅は黒くない。二人の人間がすれ違える程度だった。
サイモン夫人が橋を渡りだすと、同じ橋の逆の側から一人の清国人の女が渡りだした。
加藤がぶつかるのを避けようとすると、その女が何やら喚きだした。
大声。
ずっと【前線基地】の二階の窓から様子を監視している久佐賀と内田の耳にも届いた。
内田はたずねた。
「あれは清国語でしゃべっておるようだ。何を言うておるのか、あれは?」
久佐賀にも清国語はわからない。
しかし、内容は想像がつく。
「狭い橋の上で多人数で広がって歩くな、と文句をつけてきておるのでしょう、たぶん」
清国語を話すことができる加藤が何やら言い返す。
言い合いが始まった。
その女の大声に引き寄せられるように、彼女の知り合いらしい女たち中華街からぞろぞろと出てきた。
気がつけば、橋を渡り合える五メートルほど手前で、サイモン夫人たちは清国壬の女たちの一団に囲まれて清国語で怒鳴りつけられながら立ち往生してしまうかたちになった。
屈強な護衛たちも、相手の言葉もわからないまま、相手が女性ということで手を出すことはできない。
橋の上で川下から押し包んでくる清国人の女たちに対して、護衛たちは、サイモン夫人と加藤を自分たちの背中に隠して守るように逆U字型の陣形をとってしまう。
その展開を【前線基地】の二階の窓から観察していた久佐賀は異常を感じた。
最初の女に文句をつけられてから二分間も経過していない。
おそろしく作為的なものを感じる。
なぜ?
敵は何を狙っている。
相手はこちらの不意を突いてくるはず。
不意を突く。
この時、八月十七日に鶴女と一緒に彼女の服を買いに行ったときの記憶が久佐賀の脳裏によぎった。
あのとき、用水路をはさんで向こう側の道を歩いてきた洋学校時代の先輩である、みやさんに突然に声をかけられて驚いた。意表を突かれた。
鶴女と二人きりで歩くことに浮かれていることもあったが、用水路を一本はさんだだけで向こう岸のことに意識が及ばなくなっていた。
あの時は用水路。
今は銅座川。
二階の窓からの視点では、はっきりとわかる。今、サイモン夫人は無防備な背中を川上にさらす形になっている。
もしも、今、俺がサイモン夫人のことを狙うのであれば━━
久佐賀は銅座川の南側の岸に視線を走らせた。
何やら川上の方からサイモン夫人の立ち往生している橋に向かって、郵便配達夫の制服を着た一人の男が駆けてくる。
あ、あ、あ、あ・・・
ふざけるな!
色々とわかってしまったが、衝撃が大きすぎて、うまく言葉が口から出てこない。
「先生、アレ!」
隣にいる内田に向かって、郵便配達夫のことを指さしたのが、久佐賀の限界であった。
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サイモン夫人たちが銅座川の北側から橋を渡ってくる場合、護衛たちが複数つくのであれば、橋を渡るときに護衛たちが左右に広がって橋を塞ぐかたちになる。
そのマナー違反を咎めるのは、ごく自然。
女軍を使って文句をつけさせ、護衛たちに詰め寄りながら、本来では短期間で渡れるはずの橋の上で立ち往生させ、サイモン夫人が無防備な背中を川上にさらす形をつくる。それは別に難しくない作業だ。
そこに【愛国的日本人】の郵便配達夫が通りがかる。この時代の日本の郵便配達夫は強盗対策のために拳銃の携帯を認められている。。
━━現在に日本に有利な情報を発信するサイモン夫人は長崎で人気上昇中。サイモン夫人に詰め寄る無礼な清国人の女たちに腹を立てて、【愛国的日本人】の郵便配達夫が清国人の女たちに拳銃を発砲したところ、狙いに外れてサイモン夫人を誤殺してしまった━━
そういう筋書きにしてしまえば、国際問題にもなりかねないアメリカ市民・サイモン夫人の死の責任は、すべて日本側に押しつけることができる。
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アレの一言。
こんな伝達方法、並みの者であれば何ともならない。
並の者でなかったのは内田良五郎。
彼は歴史に残る日本の武術の達人である。日本の武術の稽古では、師匠が弟子に向かって、すべてアレだけで指示するという稽古法がある。
アレでアレをアレにアレせよという指示で、弟子は正確に師匠の意図を読み取らなければならない、
いつもの慣れたシチュエーション。
内田は一瞬で久佐賀の考えたことを理解した。
メガホンを使って叫んだ。
「加藤、奥さんの背中にまわれ! 早く!」
単純な動作指示。
是非を問い返させることのない迫力があった。
弾かれたように加藤は動いた。
銃声。
加藤は左肩を押さえてうずくまった。チャーリー夫人をかばうかたちになって被弾した。
向こう岸の郵便配達夫は、すでに両手で拳銃を構えていた。
そして、二度目の銃声が響いた。




