第三十三話 心が空っぽな毒虫
八月二十六日。
クサガとカネが翌日の警備計画をチャーリーのために用意した。
目玉は、問題の中華レストランのすぐ前にある家をカネの実家の財力で借り上げたことだろう。すでに日本の陸軍の協力も取り付けて兵士を五人も詰めている。
緊急事態が発生した時には、会見の場所の中華レストランにもすぐ駆けつけることができる。
また、敵が想定外の人数を繰り出したとしても、その家の中に立てこもれば、日本の軍隊や警察が駈けつけてくる時間を稼げるだろう。
当局に連絡ずみ。
なお、家の中には、他に屋内戦闘を得手とするウチダとクサガが、陸軍兵士たちと一緒に、今晩から待機することになる。
特に、警護責任のウチダは、二階の窓から外の様子を見つつ、指示を飛ばす予定。
カネの家から箱型四輪馬車も借りるという。
箱型四輪馬車で疾走すれば、客車の中にいる者は狙撃から簡単に身を守ることができる。
オオシマとカベヤマは鎖帷子を着込んでチャーリーの左右を守るかたちで馬車に乗り込む。
チャーリーは、オオシマとカベヤマとともに、カネの屋敷に今晩は泊まる、
ツルメとナツも一緒だ。
護衛の総力がチャーリーにまわされている間には、ツルメとナツもたちはカネの屋敷で保護される。
イワタは、優れた拳銃使いだ。明日の十二時は本来に彼にとって仮眠室で睡眠中の時間帯であるが、戦力として駆り出すことになった。
カトーは、清国語を理解している。明日は彼にとって休日であるが、現場の情報収集役として使う。
明日一日のために、チャーリー・サイモン邸の日本人スタッフ全員が、日常のルーチンを一時的に放棄する。
チャーリー・サイモン邸が無人状態になるのもよろしくないということで、カネの屋敷から留守番を入れる。
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チャーリーは、この夜、長崎の民間銀行社長の令嬢であるカネ・アマリの実家である屋敷に移動した。
アマリの屋敷は巨大であった。
おそらくチャーリー・サイモン邸の二十倍以上ある屋敷の敷地に、使用人たちのための寮がある。多数の使用人がいる。
カネが自ら家事をする必要性をこれまで全く感じたことがないということに納得できた。
「なるほど」
「彼女はアマリのお姫さま」
とか言って、地元の子どものナツは腰を抜かした。カネの家は地元でも有名な金持ちらしい。
「ご招待、ありがとう」
チャーリーは感謝の言葉を述べた。
「いろいろな私の問題をあなたのおうちの財力で、解決してもらえて嬉しい、心より感謝する」
カネは笑った。
「金で解決できることならば、金で解決すればいいと思っています。簡単で手間がいりまん。お金を上手に使うために、子供のころから金の使い方を私なりに学んでおります」
「なるほどね」
チャーリーは苦笑いした。
生まれながらの金持ちの子。
メイドとして本来に求められる能力は低いけれども、圧倒的な財力でもって様々な問題を解決してくれる。
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明日に使用することになるカネの箱型四輪馬車も護衛たち(オオシマ、カベヤマ、イワタ)と一緒にチェックした。
唯一に英語で会話ができる護衛のイワタだけが話相手になる。
彼の感想。
「この中に入れば銃による狙撃は、だいたい防げる」
「そうね」
と、チャーリーはうなずいた。
鉄製の外壁のある客車。窓も小さい。この馬車が走っている間に中の者を射撃するのは無理だ。
イワタは言った。
「随分に防御が固い馬車だ」
「きっと、銀行屋さんだから、金を運ぶ必要あるのでしょう」
一八八〇年代、チャーリーの母国であるアメリカは西部開拓時代を迎えており、駅馬車強盗が大流行していた。
イワタは言う。
「とりあえず、目的の中華街近くまで敵の襲撃はない、俺の考えでは」
「なぜ?」
「奥さんが今夜にカネの屋敷に泊まるのは、さっき、カネの思いつきで決まった。奥さんが明日にカネの屋敷から箱型四輪馬車で出発するという話を彼らは知らない」
「おそらく」
と、チャーリー。
新しく入ってきたメイドが偶然に大金持ちだったから、その財力を借りることで、チャーリーの側が自由に使える手持ちのカードが何枚もいきなり増えた。
前日の夜に当日の行動計画を大幅に変更した。その変更は、敵に予測できないだろう。
イワタは続けた。
「こちらが出発地点を自由に変えることができるということになれば、目的地近くの待ち伏せ以外は、狙う側としては効率が悪い」
イワタはオオシマとカベヤマに何やら話しかける。
彼の話を聞き終わるや否や、二人は何やら歓声ををあげて、カネの屋敷の者たちと日本語で話をはじめる。
わからない。
チャーリーはたずねた。
「どうしたの?」
イワタは答える。
「この馬車を使えば、剣を持ち込めるぞと彼らにアドバイスしたのさ。今の日本の法律では、民間人が剣をもって町を歩くことは禁止されている。
しかし、剣の所有自体は禁止されていない。馬車から降りたときに中華レストランまでの距離は相当に短いのだから、剣を持ったまま馬車から降りて中華レストランまで持ち込むことは法律で許される」
「法律ねえ」
「オオシマとカベヤマにとって、彼らメインの武器は剣。あの二人が剣をとれば、たとえ、レストランの中で襲われるようなことがあっても、相当の人数を相手にできる。
今、オオシマとカベヤマは適当な剣を貸してもらえないかどうか、とカネの屋敷の者たちを相手に交渉している」
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ぎりぎりの段階まで、未来のさまざまな状況を想定して、防御を強化する。
チャーリーが経験した朝鮮における戦いでは、考えても無駄なことは確かに多かった。
しかし、ほんの少し考えが足りなかっただけで失われてしまった仲間の生命もあった。
彼らの生命は、考えるわずかな手間を惜しむほど、軽いものだったのだろうか?
違う。
そう思うのならば、ぎりぎりまで考えよう。考えることは、自分にとって大切なものが何かを自分と他人に示す倫理的な行為である。
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ところで、とイワタから質問があった。
「奥さんの父親はどんな奴だ?」
「どうして、そんなことを聞くの?」
「話したくなければ、別に話さなくてもいい。
ただ、敵がいるというシチュエーションであれば、敵の性格をできるだけ知っておきたい。そこから敵の手段を予想できることもある」
彼の言いたいことは、チャーリーにもわかった。
しかし、
「それは遅いわ、さすがに」
と言った。
「敵の情報を手に入れて、それに合わせて備える。当然ね、でも、本当にそういうことをしたかったのならば、もっと前もって訊くべきでしょう? 彼が来るのは明日なのよ。何もできない」
おっしゃる通り、とイワタは言った。
「そいつはマスター・ウチダの手落ちだな。敵についての情報事前に集めるのは、護衛の基本。
しかし、彼は英語を話すことができないのだ。言語の壁がある。どうか、彼のことを許してやってくれ。
今からでも間に合う何かがあるかもしれない。俺たちの明日の敵になるという奥さんの父親の性格を教えてほしい」
父親のことを何と言えば、いいのだろう?
チャーリーは語る。
「他人の話をまともに聞けない者は、過去の自分の声にも耳を傾けることがない。
それぱ簡単に人を裏切ってしまう理由?
違う。裏切る意識はない。
論理的に、人を裏切るためには、他人の存在と過去の自分の行為を意識しなければいけない。人格がまず必要なのよ。
裏切るなんて人間らしい高尚な意識を持つことなんて、彼には無理。
他人の存在を意識できなければ、過去の自分の行為を意識することはできない━━過去の自分というのは、現在の自分にとって一種他人だから。
結果として、他人の存在を意識できない者は、さっき言ったことと今言ったことが全く違うようになっていく。
息を吐くように嘘をつく。
それを理由に、周囲から責められたら、自分のことを一方的に傷つけられた被害者と感じる。
わかる?
当然の話なのよ。
彼の視点からすれば、ただ普通に生きているだけで、理由も何もわからないまま、いきなり酷い目にあわされ続けているということになる。
他人も過去もなく生きる。
アイデンティティの拡散。
彼は他人に対する悪意も害意も持たない。
だから、時として善意の人間のように見えることもある。
でも、決して油断してはいけない。
悪意も害意もなく嘘をつく。
理由を考えない。
普通が一番。
鈍感力。
彼の主観では、いつも、何の理由もなく、彼はずっと傷つけられている。
ろくに理由を考えることもなく他人を傷つけることがこの世の中でごくごく普通のことだって、彼は思っている。
怒りと悲しみで心がいっばい。
壊れていく心をわかりやすい力の感覚でまとめるため、弱い者を攻撃せずにいられない。心が空っぽな毒虫よ」




