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第三十一話 お金は淋しがり屋さん

 八月二十五日。

 朝の四時から八時までのチャーリー・サイモン邸における久佐賀の門番の仕事が終わった。八時には時間割どおり壁島が交代要員としてやってきた。

 壁島は見慣れない男を連れてきた。

「新しい護衛だ、久佐賀くん。俺の義理の弟で、拳銃を使う。昨日に内田先生もお認めになった」

「義理の弟さんですか?」

「妹の婿である」

「なるほど」

 内田も認めたという男は短く名乗った。

「岩田鉄火だ」

 久佐賀も挨拶を返した。

「はじめまして。久佐賀満吉です。どうか、よろしくお願いします」

 壁島の言うところ。

「今日から久佐賀くんの護衛の当番だった時間に岩田が入る。今日から、通訳の仕事に戻れ」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 チャーリー・サイモン邸の建物の中に入ると、サイモン夫人から苦情があった。

「貴方の連れてきたカネという娘、ぜんぜんメイドの仕事ができないわよ」

「すみません」

 久佐賀が連れてきた新しいメイドの娘である。

 甘利兼。

 長崎の両替商である甘利仙一郎の娘。

「彼女が官立の長崎の通訳養成学校を卒業していて、鶴女とすでに顔見知りだと言うものですから」

「わかっている。確かに、ツルメは喜んでいる」

 と、サイモン夫人。

 もっともらしく久佐賀は言った。

「少人数の仕事では、チームワークが大切です」

「でも、メイドの仕事のために最低限に要求されるレベルがあるでしょう。彼女は銀行の支配人の令嬢と聞いた。まるで家事の経験がないのよ」

「家事やお針仕事は一通り身に着けていると彼女の父親が言いました」

「日本の銀行家たちは嘘を吐かない? おそらく、私の国の銀行家たちと大して変わらないはず」

 遠まわしに、サイモン夫人は、久佐賀が甘利にだまされた可能性を指摘する。

 あの親父め。

 もはや手遅れ、毒を喰らわば皿まで。

 久佐賀は言った。

「ツルメがカネに少しずつ家事を教えるでしょう。カネがツルメの友人ならば、今さら簡単に辞めさせたくありません」

「仕方ない」

 この件については、サイモン夫人はあきらめた。


 まだ、サイモン夫人の話があった。

「ナツの話。

 ツルメのために彼女の友人のカネを雇うというのなら、あの子のためにあの子の友人を一人雇ってほしいというのよ。

 昨日、ナツは、私に言ってきた、直接に、英語で。あの子、本当に、とても頑張っているのよ。まだ小さな子どもなのに。仕事の合間に勉強している」

「ナツは賢いと思います、年齢のわりに」

 それ以上に何と言ってよいのか久佐賀にはわからなかった。

 小さな子供が生き残るために必要だと思って狂ったように学習に励む。

 残酷?

 現在に夏の置かれた環境において、確かに必要だった。夏は不満の様子をまるで見せない。

 明治日本には、それすらままならない子供たちが沢山いるのだ。自分には機会が与えられたと夏は明るく楽天的に考えている。友達にもその幸運を分け与えたいのだ。


 サイモン夫人は困惑の表情で問う。

「ねえ、貴方はどう思う? この家で、ナツの友達を雇うことについて」

 久佐賀は答えた。 

「ウエバヤシと話してみる必要があります」

「貴方、一人では決められないの? カネを雇うことについては勝手に一人で決めたのに」

「お待ちください、ナツの友人となれば、また、小さな子供でしょう。

 ナツの場合には、女手を用意する期限がぎりぎりだったので、有能なツルメのおまけ扱いで雇うことが許されました。新たに別に一人、小さな子どもを雇うとなると、難しいと思います」

 でも、とチャーリー夫人は言った。

「貴方ならば多少の無理を通すこともできるのではなくて?」

「・・・おそらく」

 久佐賀は正直に答えた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 朝の仕事が終わって、少し時間ができた夏が、

「英語ば教えて」

 と久佐賀に寄ってきた。

「よかろう」

 

 英語を教えながら、久佐賀はたずねた。

「夏ちゃんがこの屋敷で雇ってほしいという夏ちゃんの友達は、どんな子だ?」

「えっとな、夏ちゃんより一つ年上。お美津ちゃんっていうと。背が高うって、優しゅうて、いつも、おうちん仕事ば手伝うとって、よう働く。小さか弟と妹んごはんつくっとって、ごはんばつくるとも上手」

 懸命に夏は売りこむ。、

「こんお屋敷の下働きやったら、お美津ちゃんの方がお兼さんよりもきっとうもうやるばい。英語だって、すぐ覚えるばい。お美津ちゃん、賢かもん。お美津ちゃん、夏ちゃんと一緒に勉強する」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 この日の午後になると、鹿児島新聞社の紹介状を手にして、地元の西海新聞という小さな新聞社の記者がやってきた。

 兼の父親である甘利仙一郎とともに。

 サイモン夫人に対するインタビュー取材は、ごく無難に行われた。

 あっさり終わった。

 

 問題はその後だ。

 鹿児島新聞社の専属カメラマンとなった安藤もついてきていた。

 甘利からの細かい指示を受けつつ、兼とサイモン夫人のツーショットや兼と鶴女のツーショットを、安藤は撮影する。

 そして、新しくチャーリー・サイモン邸の住人になったしすう兼に対する特別インタビュー取材。

 兼が中心。

 

 久佐賀は顔見知りの安藤に尋ねる。

「どうなっているのだ?」

「久佐賀クン、実はこの取材は全て甘利さんの資金で行われているのですよ」

「甘利の資金じゃと?」

「長崎の両替商の甘利さんは、日本中に話題のチャーリー・サイモン夫人のところに自分の娘であるお兼さんを押し込むことに成功しました。

 お兼さんも、鶴女さんと同じ長崎外国語学校で、通詞になる勉強をしました。鶴女さんと同じぐらい通詞の仕事ができます。

 そして、鶴女さんと色合いは違いますが、お兼さんも器量よしで華やかな美人さん。

 チャーリー・サイモン夫人のところにメイドとして入り込んで、女性通詞になる道があることは、すでに鶴女さんが示してくれました。

 サイモン夫人の話題とともに、お兼さんが日本でも世界でも評判になってくれたら、お兼さんにも良縁が舞い込むでしょうし、父親の甘利さんのご商売も色々とうまくいくでしょう。

 金で名誉を買う。その名誉でさらに大きな金を手に入れる。お金は淋しがり屋さんだから、お金を持っている人のところに集まってきます」


 しかし、と久佐賀は言った。

「女性通詞として売り出すと言っても、演説会の女性通詞はすでに鶴女がやることになっておるだろう?」

 安藤は肩をすくめてみせた。

「そこも金の力ですよ、久佐賀クン。甘利さんは次の玄洋社の演説会に多額の資金支援を気持ちよく前払いしてくださっております。お兼さんのことを女性通詞として指名するように、と。

 演説会のハコになる八幡の演劇場も全て甘利さんの金で貸し切り。大勢の名士にご出席いただくように手配しております。お兼さんを売り出すために」

 徹底している。

 久佐賀はあきれた。

「あの甘利の親父も、なかなかの狸だったのじゃな。こいつはお見逸れした」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 最近まで、安藤は、夏が住んでいた貧乏長屋の住人であった。

 これもついでだと思って久佐賀はたずねた。

「安藤、夏ちゃんの友人であるお美津ちゃんという娘を知っているか? どんな子どもなのだ?」

 答えず安藤は問い返す。

「どうして、お美津ちゃんのことを訊くのですか、久佐賀クン?」

「チャーリー・サイモン邸の女手が足りないので、新しい女手として、夏ちゃんが推薦しておる」

「あちゃあ」

 やや安藤は迷う様子を見せる。

 口を開いた。

「そいつは遅かりし由良之助でした。

 先週、お美津ちゃん、病気のお母さんに代わって家のことをするのに疲れきって耐えきれなくなって家を出ましたよ。残されたお母さんは、病気のお母さんと小さな子どもを二人殺して首を吊って死にましだ」

「そんな・・・」

 久佐賀は絶句した。

「今、お美津ちゃんはどこに?」

「知りませんよ。そんなもの、いちいち探して、どうするのですか? 無理に見つけて、『お前が家を出たせいで残された家族は皆しんだぞ』とでも教えてあげるおつもりで?」

「いや」

 久佐賀は黙った。

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