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第三話 怪人・久佐賀義孝

 八月一日。

「噂に違わぬ美女であった、サイモン夫人は。そして、最後に、僕に微笑んでくれた。まるで天女のようだった」  

 旅館の座敷で騒ぎ立てるのは、外務省職員の上林であった。

「はあ」

 と、応じた小柄な若者は久佐賀という。

 久佐賀満吉。

 元治元年(一八六四年)生まれで、明治十五年(一八八二年)の八月の時点で、満十九歳。

 熊本士族である久佐賀彦三郎の子で、後に、彼は久佐賀義孝と名乗る。

 明治二十七年(一八九四年)から二十八年(一八九五年)にかけて、かの悲運の女性小説家・樋口一葉の日記や手紙に全国的評判の占術師・相場師として登場する。

 ━━僕に身体を任せてくれたら月十五円は援助する。、

 久佐賀義孝は樋口一葉の熱狂的なファンたちから怪人として忌み嫌われている。

 ただ、彼の名誉回復のために言葉を添えておけば、一葉との手紙のやりとりなどを見てみるに、彼は月十五円きっちり樋口一葉に渡したと現在では判断されている。

 有言実行の男。

 かの樋口一葉に会った時、久佐賀義孝は実年齢よりも十歳近く年長にみられた。

 落ち着いた態度と物腰をしているため、実年齢よりも上に思われやすい。

 外見を言えば、明治十五年の時点では、三十近い男のようにも見えたことであろう。

「あかんよ、久佐賀くん」

 と横から言うのは、加藤。

 加藤三太郎。

 神戸福原にある遊廓の大きな置屋の子であり、元治二年(一八六五年)生まれ、満十八歳。

 色白で生っ白い顔をしている。久佐賀と同じく慶應義塾の学生である。福沢諭吉の『通俗民権論』の功利主義を信奉している。

 明るく愛想よい男。

「そんな気のない返事をしたら、大切な先輩に対して。失礼やで。しっかりお金になる仕事を回してくれはった外務省のお方やから」

「いいよ、加藤くん、昔から、熊本洋学校にいた頃から、久佐賀はそういう男だ。洋学校が潰れてから、まず、禅寺に入って、次に、慶應義塾に入ったと聞いたよ」

 上林聡。

 当人の言う通り、上林と久佐賀は明治初期に存在していた熊本洋学校の出身。

 安政四年(一八五七年)の生まれで、久佐賀よりも七つ年上。

 久佐賀はボヤく。

「よくわからぬまま長崎に来てしまいました。

 二日前の夜中に、いきなり藤田さんが下宿先に押しかけてきて、サイモン夫人のための通訳をする外務省の御用に協力せよ、と東京から長崎に向かう軍船に放り込まれてしまいました。

 あの人は、二年前に釜山の外務省警察の者になったとうかがっておったのですが?

 釜山の日本人が増えすぎたので、新たな外務省警察の人員を日本で募集したいということで、帰国なさられておったそうですが」

「偶然だよ、本当に偶然だ」

 上林は言う。

「朝鮮からたまたま帰国していた藤田さんが外務省内で大騒ぎしたのさ。

『サイモン夫人が日本側の説得に従うことではなく東京ではなく長崎に滞在することに固執した場合の準備をせよ』

 ってな。

 当初、たかが若い婦人の一人、簡単に説得できる、とみんな反対した。

 みんな、日本の国力の宣伝のために、彼女に東京の発展ぶりを見てもらいたかったからね、

 そしたら、あの人は、上の頭越しに、井上外務卿に直訴した。

 すると、井上馨外務卿閣下ご自身がお出ましになって、

『女の一念ということもありえる』

 と、おっしゃられた。

 実際に顔をあわせてみたら、確かにサイモン夫人を僕は説得しきれなかった、東京滞在を強く勧めたけどね。

 藤田さんのやり口は役人として疑念はあるけれども、こうなってみると、万が一のための準備をしておいてよかったと思わざるを得ない」

 ふう。

 加藤はわざとらしく大きな溜め息をついた。、

「それ、万が一ゆうんですか?

 サイモン夫人ゆうの、相当しつこいゆうことは、いちいち顔を合わせなくても、事前の話をちょこちょこ聞いただけで簡単にわかりますやん、普通。

 二十歳そこそこで、新婚の旦那と一緒にいたいからいう理由で、朝鮮半島みたいなややこしいところに飛び込んでしまうんやから。

 相手がそういう奴やゆうてわかるんやから、そういう奴やと思って、そういう奴を相手するための準備をせにゃあかんでしょう。

 そら、万が一も何んにもありまへんで。普通に人間の心の流れを感じられへんゆうのは、ちょっと質が低い」

 質よりも量を取ることが常に正しいとは限らない。

 最低限の質が必要とする加藤の言にも一理ある。

 とはいえ、数の暴力こそ物を言う場面は世の中にいくらでもあり、周囲に対する協調性は組織の構成員として大切である。

 周囲の和を乱す者を悪として非難する上林の言も一理ある。

 どちらの言い分にも、それぞれ理のある。

 いずれに理があるのか、はっきりしている場合であれば、身の処し方は簡単だ。

 それがはっきりしない場合こそ、難しい。

 生き方が問われてしまう。

 上林の場合、軽いパニックを起こして、涙目になった。

「ちょっと、ちょっと、久佐賀くん、彼、どういう人なの? 君がこいつを連れてきたんだけど」

 困ったな。

 久佐賀は説明する。

「藤田さんから、俺に通訳の話がきたとき、さすがに俺が一人だけで何日もやるのは無理だろうという話になりまして、ね。

 加藤とは、慶應義塾でも俺と結構つきあいがありますし、英語もできますし、あと、神戸福原の出身で清国語も話せます。チャーリー嬢が英語と清国語を話しよるのなら、うってつけの男です」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 


 明治三年(一八七〇年)の外務省の各港宛の書簡において、「容貌のよい貧民の幼女が清国人に誘拐されること」が問題にされている。

 明治三十六年(一八九三年)には駐神戸清国領事館自らが「日本人幼女誘拐の厳重禁止」を華僑の密集地帯に張り出している。

 神戸福原にある遊廓の置屋の子である加藤が清国語に堪能になった理由は、そういう明治日本の時代背景がある。

 加藤の父親や加藤の知人が【商品】の仕入れ先として非合法ルートを検討するようなことがあったとしてもおかしくない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 


 久佐賀たちの少し遅れて、旅館の部屋に三人の男が入ってくる。

「ちと遅れたわい」

 畳に座っていた上林も久佐賀も起立する。

 遅れて加藤もそれに倣う。

「内田先生」

「今回はよろしくお願いします」

 初老の逞しい男。

 立っているだけで強いとわかる空気を漂わせている。

 内田良五郎。

 天保八年(一八三七年)生まれ。

 神道夢想流杖術の達人として世に知られる男だ。

「アメリカのサイモン夫人とやらは、やはり長崎に滞在するひとになったのかね、上林くん?」

「はい」

 上林はうなずいた。

「サイモン夫人の護衛をよろしくお願いします」

 内田は笑った。

「まかせろ」

 さして背後の二人を指さす。

「こいつらはわしの弟子たちだ。

 藤田くんの話によれば、武器で襲われるというよりも、人が押し寄せてくるの防いでほしいという話だったが、こいつらはうってつけだ」

 連れてこられた内田の弟子たちは、いずれも剣客というよりも力士のような巨体をしていた。

 まるで阿吽の仁王像のようだ。

壁山嘆九郎かべやまたんくろうです」

大島健蔵おおしまけんぞうです」

 二人は名乗った。

 

 内田は特に久佐賀に向き直った。

「久佐賀かよ、お主?」

「はい」

 久佐賀は神妙にお辞儀する。

「はじめまして。久佐賀満吉と申します。内田先生、先生のご雷名は私の師である蒼海の口からうかがっておりました。この度は、どうぞ、よろしくお願いいたします」

「なかなか筋の良いそうだな。蒼海くんが褒めておったぞ」

「恐縮です」

「蒼海くんの弟子が語学の通詞か。世の中は変わったものだな」

 ポツリと内田は言う。

「昔に蒼海くんが京都で黒島蒼海などと名乗っていた頃には、人斬りの悪鬼として、筑前まで名が響いておった。黒島蒼海が殺しましょうかい、などと言ってな。

 明治の二年、あいつのことを五人で襲った連中が四人まで斬られた事件があったじゃろ? あれを聞いて、あいつのことを知っとる者は驚いたものさ。

 あいつを相手にたったの五人だけで襲って、よく一人だけでも逃げて生き残れたものじゃ、と」

「その件がきっかけで、蒼海先生は仏門に入りました」

「本人から直接に聞いたわ」

 内田は多弁になった。

「あいつが仏門に入っと聞いたときにはきこちらも面食らった。

 大きな獣のような男だ。

 あの化け物を目の前にして平静な心で立っておるのは難しい。

 畜生心だけではダメだと先日にあいつは言いよったが、あいつほどの畜生心の塊は珍しい。

 あいつなりに悩んでおるのだな、馬鹿でかい身体をしよっておるのに。

 悩みすぎてついに明治政府にも出仕せなんだ。

 政治とかやるよりもあいつ個人にとって大切なことがあると言いよる。

 この国の男であればこの国を思わなんだら話にならんのだろうが、あいつについて言えば、仕方ない。

 確かに、大きすぎる畜生心を蒼海くんは抱え込んでおる。

 それに向き合わず放っておけぱアレは狂いよる。

 狂った者が政治にかかわれば、世の多くの者にとって迷惑じゃ。

 それに気がついて仏門に入っておのれを見つめなおしたいというのは、わかる。わかるから哀しい」

「わかるから哀しいとおっしゃられると?」

「うまく言えぬが、そういう畜生心は誰にでもあるものよ。何も考えず途方もない大きな力をただ振るいさえすれば万事がうまく行く。そう信じたい夢物語は誰の心の中にもある。

 しかし、あの畜生心の塊のような男が『それは違う』と言うのならば、それはきっと違うのだろう。おのれの夢想がしょせん夢想に過ぎないと告げられれらば、腹も立つ、そして、哀しい。哀しいわな」




明治前期における神戸華僑への視線

https://core.ac.uk/display/38262640

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