第二十九話 チャンスが欲しい
八月二十四日。
午前の十一時よりも少し前、休みのはずのクサガが、チャーリー・サイモン邸に一人の若い日本人の娘を連れてくる。
「一昨日に政府の偉い方が私の泊っている旅籠にやってきて、メイドを増やすように言われました。新しいメイドを用意しました」
「政府の偉い方?」
「ツヨシ・イノウエ。私の同郷のものです」
その名前は、チャーリーは耳にしたことがあった。彼女の父親と夫はアメリカの極東外交の関係者である。
「本当? ツヨシ・イノウエ?」
「ご存じですか?」
「日本外交の最高の頭脳」
「アメリカの外交関係者の評価は、いかがなものです?」
「堅牢な交渉をする点は評価する」
「なるほど」
「VIPが旅館に来たのね?」
「ハナブサ全権公使による日本と朝鮮の交渉が難航しているので、全ての作戦を立てるイノウエ自身が朝鮮半島に向かうそうです。長崎と釜山の間の定期航路を利用するため、彼は長崎に立ち寄りました」
VIPに命令されて急いだということか。
クサガが連れてきた新しいメイドという娘のことが、チャーリーは気になった。
「彼女が新しいメイド?」
派手な顔立ちの美人。豪著な和服。とても下働きをするようには見えない。
その娘は流暢な英語で語りだした。
「はじめまして、サイモン夫人。私はカネ。カネ・アマリと言います、よろしくお願いします。
長崎の通訳養成学校では、ツルメの一年先輩でした。在学中にツルメとは友人で、彼女と一緒にうまく働ける自信があります」
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カネがツルメと同じ通訳養成学校に通っていた友人であったというのは事実だった。二人は再会を抱き合って喜びあった。
しかし、カネにはメイドとしての能力は皆無に等しかった。
彼女の家は、組合に加入するような大きな商家であった。
両替商、民間銀行。
日本の江戸時代において、組合に加入するような商家であれば、どこか一つの店が不始末を行うと、その組合の全ての店が責任を取らされた。
そのため、愚かな息子に店を継がすことは組合加入の店同士の相互監視の下で許されることがなく、娘に有能な男を婿に迎えることが主流になっていた。
よそから来た婿に家の全てを取られて追い出されるのは堪らないので、日本の大きな商店は跡取り娘の教育に力を注ぐ風習があった。
カネという娘は、将来に銀行の副支配人となるための高度な教育を受けていた。その一方で、家事に関する教育を全く受けていなかった。
「こんな感じて、やってください」
ツルメがカネに仕事を一から教えなければいけなくなった。カネに比べれば、十歳にも満たない小さなメイドのナツの働きぶりが有能に見えた。
カネは初日からいきなり皿を何枚も割ってくれた。
それでも、めげない笑顔で、カネは、
「一から勉強します」
という内容のことを伝えるために、英語で様々な表現を駆使した。
チャーリーは叱った。
「貴女は、この家を花嫁学校か何かと思っているの?」
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カネの初日の仕事ぶりは失敗が多く、ツルメやナツの仕事を余計に増やした。
ここで驚くべき珍事があった。
ナツがたどたどしい英語でチャーリーに提案してきた。
「奥さま、ツルメの友達きた。仕事、よくない。私も友達を一人呼びたい。彼女はよく働く。家が貧しいから、がんばる。お金ほしい。言葉もおぼえる。ツルメの友達よりよい、明らかに」
何ということ!
チャーリーは驚いた。
この十歳にも満たない日本の少女は、わずかな期間で初歩的な英語を習得していた。
ナツの首筋には冷たい貧困の刃が突き立てられている。
今、ナツは貧しい暮らしから抜け出そうと懸命に努力をしている。そして、貧民街の他の友人にも機会を与えてやりたいと言う。
多くの貧しい者たちが生き残るための機会に飢えている。
日本だけではない。アメリカ本国でもそうだろう。残酷な世界。私は何ができる?
チャーリーは言った。
「わかった。貴女の提案については、クサガに話してみる」
「ありがとう」
ナツは、とても喜んだ。
無邪気な笑顔はチャーリーの心に深く刻まれた。




