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第十九話 金銀の能力は盛大

 八月十五日。

 一時的にということであるが、久佐賀はチャーリー・サイモン夫人の護衛に組み込まれることになった。

 あらためて護衛たちの勤務時間表を確認してみる。


(甲)

 夜の零時から朝の八時まで  旅籠で就寝

 朝の八時から昼の十二時まで 門番

 昼の十二時から夜の八時まで 仮眠室で待機

 夜の八時から夜の十二時まて 門番


 良いところは、夏の暑い時間帯に門番にならなくてすむこと。悪いところは、夜の十二時過ぎに旅籠に戻らねばならないこと、名前と顔を売ることができる演説会の護衛の任務のチャンスが少ないことである。これまでは壁山が担当。


(乙)

 夜の零時から朝の四時まで  門番 

 朝の四時から昼の十二時まで 仮眠室で就寝

 昼の十二時から昼の四時まで 門番

 昼の四時から夜の零時まで  休憩 旅籠利用可


 良いところは、仮眠室での睡眠時間の確保が保証されていること、名前と顔を売ることができる演説会の護衛の任務のチャンスがまわってきやすいこと、旅籠で豪勢な夕食が楽しめることである。悪いところは、夏の暑い盛りの日中に門番は厳しいことである。これまでは大島が担当。


(丙)

 夜の零時から朝の四時まで 仮眠室で就寝

 朝の四時から朝の八時まで 門番

 朝の八時から昼の四時まで 休憩 旅籠利用可

 昼の四時から夜の八時まで 門番

 夜の八時から夜の零時まで 仮眠室で就寝


 良いところは、夏の暑い時間帯に門番にならなくてすむこと、名前と顔を売ることができる演説会の護衛の任務のチャンスがまわってきやすいこと、仮眠室での睡眠時間の確保が保証されていることである。悪いところは、旅籠での豪勢な夕食が楽しめないことである。これまでは内田が担当。


 久佐賀が護衛に加わったことで、勤務日表の作成を久佐賀は任された。


(イ)

 甲 壁山  乙 大島  丙 久佐賀 休日 内田


(ロ)

 甲 壁山  乙 久佐賀 丙 内田  休日 大島


(ハ)

 甲 久佐賀 乙 大島  丙 内田  休日 壁山


(ニ)

 甲 壁山  乙 大島  丙 内田  休日 久佐賀


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 八月十五日。

 午前九時半頃、久佐賀は護衛の責任者である内田に説明した。

「四日ごとに(イ)から(ニ)で回していきます。

 護衛の誰もが完全な休日を四日に一日は取りましょう。

 皆さんが慣れている時間帯を急に変えたくありません。

 私が護衛の新参者ですし、色々な時間の穴埋め役に回らせていただきたく思います。

 甲番から乙番の移行は、八時間連続の門番になるので、それだけは避けるように、間に休日を入れさせていただきました」

「なるほど」

 内田は了承した。

「さっそく、今日から始めよう。

 久佐賀は、今すぐに壁山と門番を代わってやってくれ。今日は勤務日表の(ハ)の日ということにしよう。壁山は本日は完全に休日だ」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 正午近くになり、サイモン夫人・加藤・大島・内田・鶴女が野部愛国社の演説会へ向かうことになった。

 この時間帯に門番をつとめていたのは久佐賀。

 加藤は言った。

「最初に僕が売り込みに行って、承諾してくれたところや、行ってくるわ」

「野部愛国社?」

「小さい寺子屋でやりよるのよ。ほんま、出演料もタダ同然やで」

「仕方あるまい」

 久佐賀は苦笑した。

「その間、俺は何もせず、仮眠室におる」

「ヒマしていたら、夏ちゃんに、読み書き算盤、英語とか、いろいろ仕込んであげたって」

 複雑な表情で加藤は笑った。

「夏ちゃんもな、自分を高く売るためには勉強した方がええもん」

「高く売る、か」

「そうや、僕らの恩師である福沢諭吉先生の教えや。まず、金力」


 かの福沢諭吉『通俗民権論』を抜き書きする。

 ━━人として財を好まざるはなし━━

 ━━古今有知有徳の士にして財産なきが為に其志を伸ばすを能わざる者多き━━

 ━━金銀の能力は甚だ盛大にして人事の成敗十に八九は金力に依頼━━

 ━━(社会への不満から犯罪を行うのは)人事の実情を知らずして産を破って家をおさめざるの罪なり━━

 加藤は続けた。

「今の世の中は、それでええんやろ。金のない奴は、金を稼げ。それがでけん奴は死ね」

「かもしれん」

 久佐賀に反論の言葉はない。

 夏の育った貧乏長屋の様子が目に焼き付いていた。

 明治十五年(一八八二年)の日本、まず金の力がなければ、あの者たちのことを救ってやることはできない。


 門番の時間が終わって、十二時に家の中に入るなり、メイド服姿の小さな女の子が駈け寄ってきた。 

「久佐賀さん、教えてくれん?」

 どうせ加藤に言い含められているのだろう。芸の細かい男だ。

「いいよ」

 久佐賀がうなずくと、女の子は、

「ありがとう。夏ちゃん、久佐賀さんのためんお昼も用意しとーばい」

 と言って、台所の方に走る。

、そして、なかなか綺麗な形のおにぎりを何個か載せた皿を持ってきた。

「ほれ」

「おいしそうだ」

「夏ちゃんがお米も炊いたばい。鮭が入っとー。夏ちゃんが焼いてほぐした」

「うん、上手い」

 久佐賀は、一口たべてみた。塩加減が丁度よかった。


 夏の勉強につきあって久佐賀がすぐに気がついたのが。加藤の教授法が暗記中心主義だということだ。

 これは別に明治の日本では珍しくもない。

 ━━初等教育を洋学校のアメリカ人教師の下で受けた久佐賀が少数派━━

 儒教の科挙。

 漢学者として身を立てた家の者であれば、とりあえず最初に教科書を、意味がわからなくとも、全て一字一句間違わず暗記する。

 自分の頭で考えてポイントを押さえようとすれば、その自分が絶対の万能ではない以上、必ず見落としが生まれる。

「全て暗記してしまった方が細かい点を見落とさないな」

「加藤さんも、そう言うとったばい。あと、これば暗記しとったら西洋の人に喜んでもらえるって」

「新約聖書ね」

「夏ちゃん、がんばる」


 意味がわからなくて、体系に矛盾を感じても、すべて暗記しろという教授方法は多くの生徒たちにとっては苦痛である。

 その苦痛を感じる心を破壊するべく体罰も推奨される。

 また、体系の整合性を考察して整理することに反感を覚えるようになり、心の中の二律背反の痛みを単純に他人に対する加害行為でしか解消できなくなる人間に育つ実例も数知れず。

 とはいえ、大して苦痛もなく暗記ができる年代の子どもであれば、そういった害悪の発生の確率はぐんと下がる。

 夏ならば大丈夫だろう。

 数えにして十歳の暗記ざかりに差し掛かる年代である。

 また、暗記しなければ貧乏長屋に逆戻りだという恐怖感に追われて思考が単純になっている。壊されるような複雑な心がない。

 よくも悪くも。


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