第十五話 鹿児島新聞社
八月十一日。
昼間の二時過ぎ、チャーリー・サイモン邸に大量の日本人の男たちが押し寄せてきた。
門番の大島に続いて仮眠中だった壁山も飛び出した。
二人はその巨体を壁にして侵入を食い止めた。
「何の騒ぎだ?」
久佐賀が玄関から飛び出そうとするのを休憩中の内田が止めた。
「ここは、わしにまかせたまえ」
ステッキを抱えて玄関から出ていった。
庭の方から何回か悲鳴が上がる。
そして、沈黙。
色々と終わったらしいことを察して、久佐賀も玄関を出ると、庭に三人の壮士が失神して転がっていた。
「ひょっとして、わしの腕を信じられなかったのか?」
内田良五郎。
この五十近い初老の男は、神道夢想流杖術の達人であり、昭和の剣聖の一人、中山博道が師事したほどの技量を誇る。
杖術の他にも剣術・柔術・捕り術・釜術・砲術も一流の師から免許を受けている。
歴史に残る武の達人だ。
まさか、と久佐賀は首をあわてて横に振った。
「滅相もございません。内田先生の技量を疑うなんて、とんでもございません。
生来に物見高い性格でして、内田先生ほどの達人の技を実戦で拝見させていただく好機かと思いまして、矢も楯もたまらず」
半分は嘘。
その場で思いついた言い訳。
半分は本当。
久佐賀とて武の心得のある男だ。
九州一円で名高い内田の技を自らの目で拝みたいことは当然である。
「ならば、遅かった」
内田は表情を和らげた。
「しかし、久佐賀には万が一のことを考えて、女たちのそばに残っていてほしかった」
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塀を乗り越えた狼藉者たちが、あっという間に打ち据えられた様子を察して、塀の外の男たちも大人しくなる。
内田は悠然と門の外に出た。
そして、縦覧ほどの男たちから二人の顔に目を止める。
表情が和らいだ。
「おやおや、野村先生、よく来てくださった」
知り合いらしい。
野村と呼ばれる鼻に傷がある男は口を開いた。
「お久しぶりです。平岡くんに熱心にかき口説かれてしまい、参上いたしました」
野村忍介。
、弘化三年(一八四六年)生まれ。
西南戦争の薩軍の隊長格の中で唯一の生存者であり、明治十四年(一八八一年)に鹿児島新聞社を設立している。
「お前もよく来てくれたな、浩太郎」
内田はもう一人の男を親し気に浩太郎と呼び捨てにする。
平岡浩太郎。
嘉永四年(一八五一年)生まれ。
平岡は、内田良五郎の実弟である。また、西南戦争においては、薩軍の本営において謀議に参与し、野村忍介とも面識がある。
、さらに、明治十四年(一八八一年)に結成されたアジア主義を奉ずる政治団体、玄洋社の初代社長となり、全国の自由党系の政治団体に顔が広い。
「野村先生と浩太郎がいれば、新聞社と政治団体との交渉がはかどるだろう、なあ、久佐賀くん」
「はい」
思いもよらない有名人たちの登場に久佐賀は目を白黒させた。
我に返って二人に挨拶する。
「申し遅れました。私は松本蒼海の弟子で、久佐賀満吉と申します。慶應義塾の学生で、現在、縁があって、チャーリー・サイモン夫人のための通詞を引き受けとります」
内田は壁山に説教した。
「とりあえず、まともな客とそうでない客を分けてみよう」
「はい」
サイモン夫人に自分たちの政治団体主催の演説会に出演してほしいというのが五名(二団体)。
地元の小新聞社からの取材申し込みが一名。
何でもいいから働かせてくれと言う食い詰め者が一名。
サイモン夫人や鶴女に岡惚れしたという者が三名(彼らが内田に打ち据えられた)。
残り四名は、野村と平岡、それぞれの書生が一人ずつ。
内田は命じる。
「新聞屋さんと政治団体の対応は、野村先生と浩太郎にまかせておけ。食い詰め者と、女目当てで来た連中は巡査に引き渡せ」
「ここの巡査がどこにおるのか、よく、わからんです。すみません」
壁山は謝った。
横で話を聞いていた野村と平岡が声を立てて笑った。
「何を・・・」
内田の雷が落ちる前に、久佐賀が口をはさんだ。
「すぐ夏を呼んできます。アレは地元の子どもですから、わかるでしょう。壁山さんは夏と一緒に巡査を呼びに行ってください」
久佐賀たちは門から壁山と夏を送り出した。
野村は小さな夏の背中を見ながら興味深そうに言った。
「ここの地元の子どもですか?」
ええ、と内田はうなずいた。
「最初はあんな小さい子供を使ってどうなることやらと思いましたが、地図が頭に入っているというのは便利」
「地の利に如かず、だな、兄者」
内田の実弟である平岡はゲラゲラ笑った。
「サイモン夫人の護衛を増やすという話だが、どんなものかね? 大島や壁山のような図体の大きな奴ばかりでは駄目だろ」
「あいつらだって、一昨日の演説会の時には、きちんと、役に立ったさ。人に囲まれたときの壁になったり道を開けさせたりすることはしっかりできよる。
もちろん、実際に今回の護衛を引き受けてみて思った。相手の言葉がわかったり、地理がわかっていたりすることも大切だな、これは」
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明治十五年(一八八二年)の壬午軍乱の直後、釜山と定期航路を有する長崎に全国各地から政治団体が集まった。
もしも、日本と朝鮮が戦争を行うのであれば、彼らは自分たちが一早く朝鮮半島に乗り込んで、言語と地理の面で日本軍に協力しようと考えていた。
彼らは朝鮮半島に理想の政府を樹立しようとしていた。
当時の自由民権運動団体は、基本的に反政府の立場である。
しかし、彼らは、アメリカ独立戦争がフランス革命につながったという故事にならおうとしていた。
健全な開拓精神を持つ者たちが外部に理想の政府を築き上げることができれば、本国の政治にインパクトを与えるのではないか?
かかる種類の自由民権論者たちの夢想は、昭和七年(一九三二年)の満州国建国に結実することになる。
砂城の楼閣として。




