第十二話 貧乏長屋の子たち
八月八日。
今回のサイモン夫人に対する面談取材は、犬養に予想を上回る感銘を与えた。
写真師の多い長崎のことである。
サイモン夫人と鶴女の二人の写真を撮っておきたいと犬養は言いだした。
明治十五年(一八八二)年の新聞には、写真掲載はなく、絵図掲載のみであった。とはいえ、写真があれば、絵師たちは参考にすることができる。゛
誰が写真師の手配をするのか?
もちろん、道理としては取材する側の犬養記者である。
しかしながら、彼は長崎の地理がよくわからない。
「久佐賀、案内せえ」
「私だって、長崎に到着して、一週間ほどです。ご案内は無理です」
と、久佐賀。
犬養は言う。
「誰か案内できる者はいないのかね?
この家には、地元の者を採用していないのか? 準備が急であったことゆえに仕方ないと思うが、それはよろしくない」
部屋の隅にいたメイド姿の小さな女の子が、すまん、と声をあげた。
「写真師さんなら、夏ちゃん、知っとーよ」
「何?」
久佐賀は振り向いた。
唐沢からさわ夏。
まるで五岳鶴女の付属品のような扱いで、チャーリー・サイモン邸に雇われた九歳の女の子。
彼女は地元出身である。
「うちの長屋のうちの二軒先の向かいのうち、写真師さん。春に引っ越してきよった」
「あの長屋に?」
久佐賀の記憶では、夏の住んでいた長屋は貧乏長屋だった。
「安藤ゆう若か先生だばってん、東京から長崎に写真の勉強しにきとーって。いつもヒマそうにしとー」
犬養は素早く決定した。
「その安藤とやらでよかろう。手が確実に空いているみたいだからの」
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「わーい♪ まさか、夏ちゃんから、仕事をもらうなんて思いませんでした」
と、安藤は言う。
線が細い眼鏡の青年。
夏が良くなついている。
「ほめてほめて」
「よしよし、えらいえらい♪」
その口調は明るく軽薄であった。
「東京の新聞社に送る大切な写真だから、いい加減な仕事をしたら承知せんぞ」
犬養が怖い顔をしても、
「合点承知の助」
平然と笑顔で言い返す。
ここまで徹底しているとは、只者ただものであるまい。
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この時代の写真の撮影には、組立暗箱・固定用の三脚・ガラス乾板が必要である。
みんなでチャーリー・サイモン邸に運ぶことにする。
ついでだから、夏に近所の顔見知りの子どもたちに声をかけさせて人手を増やした。
割れ物であるガラス看板は、一人一枚、両手で持たせる。
貧乏長屋の子どもたちは夏がメイド衣装を着ていることに驚いた。
「綺麗な服」
「うらやましい」
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道すがら、安藤は組立暗箱を大切そうに両手で抱きかかえて歩く。
話しかけてきた。
「鶴女ちゃんの親父さんが言いふらしていますよ、素晴らしい婿がねが現れた、と」
「あの親父か」
「鶴女ちゃん、本当にいいコですよ。あんな貧乏長屋にずっと暮らしていてはダメでしょうね」
「そうだな」
「久佐賀クン、鶴女チャンじゃ、お嫁さんとして、何か不満なのですか?」
いや、鶴女本人の気持ちが、と言いかけて久佐賀は止める。気がついた。いつの間にか安藤のペースに引き込まれている。。
「初対面のお前に、そんなことまで話せるか」
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犬養は、安藤の口から、鶴女が現在に置かれている境遇を聞いて驚く。
「鶴女嬢のご家庭はそんなことに」
「そして、この長崎の地で、久佐賀クンと運命の再会というわけです」
ひょうひょうと楽し気に安藤は語る。
犬養はうなずく。
「今回の件は天の采配というものかもしれぬな」
「ちょっと、よしてくださいよ、犬養さん」
久佐賀は閉口した。
「当人同士の気持ちというものも・・・」
と言いかけて、ごにょごにょ口の中で言葉が途切れる。
安藤は言う。
「今ならばお買い得。よし、ついでだから、夏ちゃんもオマケにつけちゃいますよ」
「勝手に話ばつくるな、バカ安藤」
メイド服姿の小さな女の子は抗議した。
「あたしは、もう、加藤さんのお買い上げの身ばい。売約済みの札ば貼られとー」
「お買い上げの身?」
犬養はあっけに取られる。
久佐賀は説明した。
「この子が父親から人買いに売られて引っ張られよるところを、鶴女が止めようとしていて、そこに、俺と加藤が通りがかったのです。
しまいには、加藤の奴が、夏の父親に人買いが払ったという金に一割増しの金を人買いに払って、夏のことを買い受けました」
「あの小僧、加藤の奴は何をやっとるんじゃ?」
「加藤の実家は、遊郭の置屋なのです」
犬養は声を荒げた。
「なぜ、親のもとに返してやらん? それでは助けたことにならぬではないか?」
そりゃあ、と安藤は言う。
「この子の親では、親のところに戻したって、どうせ、別のところに売られるだけでしょうだから」
「あたり♪」
夏は笑った。子どものと思えないぐらい乾いた目をしていた。笑わなければやっていけないのだろう。
「今、夏ちゃんは本当に幸せばい。いい服を着て、おなか一杯食べられて、広か部屋ばすやすや眠って、英語も教えてもろうとー。
夏ちゃんがこげん幸せになるんに、きちんとお金ば出したてくれたんは、加藤さんばい」
「金の力には勝てませんね」
「えへっ」
両手でガラス乾板をかかえて運ぶ夏は、甘えるように肩を安藤にぶつけていく。
コツン。
「さっき、鶴女姉ちゃん、通詞ばしとって、ほんなこて、かっこよかった。夏ちゃんも英語とか覚えたら、あがんふうになれるんかな?」
犬養は唇をかんで無言になった。
前を歩いている安藤と夏の会話を聞けば、加藤のことを悪と決めつける気分は消し飛んでしまう。
歴史に語り継がれる犬養の毒舌は、正義感の現れ。
正義感だけではどうにもならない社会の闇が明治に存在していた。
久佐賀はふと気がついた。
わずかなお駄賃を目当てに、ガラス乾板を両手に抱えた他の貧乏長屋の子どもたちは、はしゃぐ夏の姿をじっと見つめていた。
おそらく無意識のうちに気づかされてしまったのだろう。
夏にだけ幸福になるチャンスは与えられた。
加藤であれば、夏に教育を与えることが彼に利益を生むと判断するかぎり、夏に教育の機会を与えようとするだろう。
それが夏に自立の機会を与えることにしても、だ。
他の子どもたちはどうだろうか?
何もない。
本当に何もない。
犬養が暗い顔をして小さな声で話しかけてきた。
「やりきれんわい、どうにも」
「ええ」
久佐賀も同感だった。
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この国の未来はどうなるのだろうか?
久佐賀の頭がぼんやりと考えている間に、チャーリー・サイモン邸における写真撮影は無事に成功した。安藤という若い写真師は相当の技量だった。
取材対象のサイモン夫人の写真が一枚。
日米の美人と称し、サイモン夫人と鶴女のペアの写真が一枚。
そして、集合写真が一枚。
計三枚。
失敗は一枚も無し。
予備のガラス乾板は不要だった。
集合写真には、今日は休みであるはずの加藤も旅籠から呼び出されて加わった。
みんな大喜びだった。
焼き増しを一枚買わねばなるまい、と久佐賀は思った、
どういうわけか、集合写真では、久佐賀は鶴女と並ぶ形になった。それだけでも、個人的に保存しておきたい。




