どうしてというのは何故ですか? あなたが望んだ状態こそがまさにそれなんですよ
「ひ、ひ、ひっ!」
その女は息も絶え絶え、それでも必死になって走る。
捕まれば死ぬからだ。
たとえ生きていても、死ぬより苦しい目にあう。
それが嫌なら逃げるしかない。
しかし、状況は絶望的。
身を隠すような場所がここにはほとんどない。
追跡者から逃れるのは難しい。
もちろん、堅牢な避難場所などもない。
そんな所はとっくに他の誰かが使ってる。
凶悪な連中が自分たちの拠点として。
そうしないとここでは生きていけない。
ここにいるのは危険な人間ばかりだ。
暴力性や狡猾さだけで出来上がってるような者達。
それがここには集められている。
そんな人間に捕まればどうなるか?
死ぬまで甚振られるか。
死なない程度に長持ちさせられながら甚振られるか。
たいていはこのどちらかだ。
そうなりたくない女は、必死になって逃げている。
どうにか適当な所に身を寄せようとも思ったが。
残念ながらどの勢力にも上手く取り入る事は出来なかった。
まずもって話にならない。
近づくだけで攻撃される事もある。
それだけ警戒してるのだろう。
誰が敵なのか分からないのだから仕方ない。
見知らぬ人間を迂闊に近づければ、それだけで自分たちが死ぬかもしれない。
だから外部の人間は受け入れない。
仮に受け入れるとしてもだ。
絶対的な服従を要求される。
内部崩壊を起こすような可能性を残すわけにはいかないからだ。
なので、どの勢力も厳しい掟が存在する。
少しでも掟に逆らえば、それだけで殺される事もある。
そこまで厳しくしないと、裏切りなどに対応できないからだ。
あるいは、もっと単純に奴隷として扱われる事もある。
男は労働用として。
女は娯楽用として。
それぞれの役割に酷使される事もある。
もちろん、逆らえないように処置をされる。
たいていの場合、片足の腱を切ってまともに動けなくする。
こうしておけば、反抗してきても取り押さえるのが簡単だからだ。
そのどれもから逃げるべく、女は走り続けていた。
しかし、それが不毛な事だともおぼろげながら理解していた。
ここには逃げ場がないのだ。
かなり広い場所だが、施設の中である事に変わりはない。
いずれ逃げ場を失い追いつかれる。
そうなったらどうなるか?
考えたくもなかった。
既にいくつもの実例を見て、なれの果てがどんなものか分かってるだけに。
これらから守ってくれる者はいない。
この場に警察のような組織はない。
ここでは何をするのも自由、あらゆる悪事もゆるされる。
それを止める者はいない。
だから誰もが凶悪な事をしている。
そこから逃れるために女は必死に逃げてる。
しかし、これもまたおかしな事だった。
女は活動家だった。
特に人間隔離政策と呼ばれるものに反対していた。
これは、危険人物とされた者を、特定の施設に隔離するものだ。
ただ、隔離するのはあくまで危険と判断された者だけ。
そうなる兆候があるとみなされた者だけである。
実際に犯罪を犯したものではない。
この人権を無視した政策は、ある日突然実行された。
それと共に数多くの者達が隔離施設に放り込まれる事になった。
この所業に当初は大きな反対・反発の声があがった。
デモ行進などの行動もあった。
しかし、時と共にこういった声は小さくなっていった。
反対・反発をしてる者達もまた施設に放り込まれるようになったからだ。
女もそうした者達の一人だった。
悪さをしてない人間を、危険な兆候があるというだけで排除する事に反対していた。
その結果、目出度く隔離施設送りとなった。
「そこまで反対するなら、君たちが守ろうとしてる者達と共に暮らせばよい」
これが隔離された理由である。
そうして活動家の女は隔離施設に入った。
そして、様々な者達に追われるようになった。
危険だからと排除された者達である。
まともなわけがない。
残虐性と暴力性を持って生まれた連中だ。
だから危険とみなされ隔離されてるのだ。
そんな者達だから、いたぶる事が出来る弱いものを見つけたら興奮する。
死ぬほど苦しめて楽しもうとする。
合理的といえばこれほど合理的な事もない。
なにせ、やりたい事を素直にやってるだけなのだから。
誰かをいたぶるが好き、誰かを傷つけるのが好き。
だから他の誰かを攻撃する。
ここに無駄は一切ない。
そんな合理性の塊のような連中が活動家の女に襲いかかってる。
女だけではない。
一緒に放り込まれた活動家の仲間達も襲われた。
それらはとっくに殺されたか、奴隷になってるか。
あるいはとらわれて甚振られている。
逃げる途中で散見した幾つかの目撃例からこれらが覗えた。
そうはなりたくないから、活動家の女は必死に逃げていた。
「なんで……」
こんな事になってるのか?
疑問を口にするが、これは合理性に欠ける。
危険な人間を擁護したからに決まってる。
もし彼女の意見を聞いたら、危険な存在を再び社会に戻す事になる。
そんな危険な事が出来るわけがない。
彼女は危険な者達と同類なのだ。
危険人物達を守ってる、擁護してる時点で。
そんな者達を社会は排除する事に決めたのだ。
身から出た錆というしかない。
活動家の女は自らの行いにふさわしい状況に置かれた。
彼女は自分が守ろうとした存在と共にいる。
ここに矛盾は一切ない。
論理的な破綻もない。
極めて合理的だ。
危険な者達と共にいるのも、危険な者に追われてるのも。
それは彼女が主張した意見、考えによるものだ。
彼女が考えていた結果とは違うだろう。
だが、彼女が望んだ状態はまさにこれだ。
危険な連中と共に生きていくという。
彼女はそれをこの場所で体験している。
危険とみなされて排除された連中と共に生きている。
だが、彼女はこの事実に気付く事もない。
それは彼女の思い描いていた考えと違うからだ。
活動家の女が求めていたのは、誰もが共にいる世界である。
いうなれば、平等で対等。
分かりやすく言えば、こうなるだろう。
「みんな仲良く!」
誰を排除するでもなく、全ての者と分け隔てなく。
皆が笑顔で共に生きていく。
そんな想像をしていた。
彼女は無意識のうちにとある前提を作っていた。
「全ての人間は善良である」と。
だが、実際にはそんな事はない。
悪さをする人間なんていくらでもいる。
そんな人間の事をまったく考えもしなかった。
そもそも悪い人間がいるという事すら考えた事もなかった。
いるにしても、「いつかは良い人間になる」と思い込んでいた。
何の根拠もなく。
おそろしい事に、今もそう思ってる。
悪い人間なんていないと。
目の前で仲間が甚振られているのを見ても。
奴隷として虐げられてる者を見ても。
理由も無く殺されていく者を見ても。
それでもまだ思い込んでる。
「悪人なんていない」と。
自分が追いかけ回されていても。
捕まれば酷い事になると感じていても。
それでも、まだ思い込んでいる。
活動家の女はそういう人間だった。
実際に何が起こっても事実を認めない。
自分が思い込んでる事を真実とする。
だが、これもおかしな事だ。
本当にそう思ってるなら、善人と思ってる追跡者達の所へ向かえばいい。
それらが悪い人でないと思うならば。
しかし、実際には逃げている。
捕まれば酷い事になると感づいている。
分かっているのに、自分の考えを訂正・修正しようとしない。
そもそもそれが出来ない。
だが、彼女もいずれ思い知る。
自分の思い込みが間違いであったと。
身を以て体験する。
それでも彼女が考えを変える事はない。
甚振られて苦しむとき。
彼女はこう考える。
「どうして?」
なんでこんな事をしてるのか?
この人達はどうしてこんな事が出来るのか?
答えは簡単。
悪い人間だから。
しかし、彼女はこの答えに辿りつく事は無い。
悪い人間などいない、人は全て善人だという思い込みが消えないから。
そんな活動家の女の思いなど関係なく。
危険とされて隔離された者達は追いかける。
もてあそべる玩具に向かって。
抵抗力の無い無力な女に向かって。
それをおかしいと思う事もなく。
そんな隔離施設とは反対に。
外の世界は平和で平穏だった。
隔離対象となった危険人物達。
これらを助けよう、守ろうとした、活動家の女やその仲間・同調者。
これらが消えた社会は、争いのない世界となった。
外にいる全ての者はこの状態を喜んだ。
何かに怯えたりする事もなくすごせるから。
それでも隔離対象となる者は出てくる。
今現在の世界から問題のある人間を排除しても。
その次の世代にはまた何人かがあらわれる。
人間がもってる素質や性質がなんらかの形であらわれるからだろう。
だから人間隔離政策は続く。
新たに生まれてくる問題を起こす者達を。
平和と安全を守り、世に平穏をもたらすために。
途切れる事のない努力。
これなくして平和は保てない。
だから隔離政策は続く。
これからもずっと。
【あとがき】
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それと。
もっとパニックジャンルにお話が増えて欲しいと思ってる。
もっと気軽に書いてみない?
という事をブログに書いてみた。
個人企画というほど大したもんじゃないが。
やるかどうかはともかく、ちょっと覗いて見てくれればありがたい↓
「小説家になろう・パニックジャンル投稿祭り、とでも言えばいいんだろうか」
https://rnowhj2anwpq4wa.seesaa.net/article/501830488.html