魔法少女の独りごと②
「――はい、綺麗になったわよ。じゃあ衣装は預かっておくけど……シャツは一人で着れる? お手伝いしよっか?」
「だ、大丈夫です。……でも、今日もまた洗って貰っちゃって良いんですか? 聖奈さんだって『幸福の譲与』の制御で疲れてるんじゃ――」
「いいのよ、そんなこと気にしないの」
聖奈は部屋に放られていた、バネが露出しているボロボロのソファにタオルをかける。
「私は魔法を使ったり、試行錯誤してるだけ。貴女はその間、命を懸けてくれてるんだから」
「そうですか……。でもそれは、そもそも私が――」
「『でも』もヘチマもないわ。お願いだから無理しすぎないようにして、ね? 今からお夕飯作るから、それまで少しおやすみしててちょうだい」
「……はい」
美咲は未だに渋々といった様子ではあるものの、シャツに着替えて寝転がる。コインランドリーに近づけなかった時の、水だけで手洗いされたゴワゴワのシャツだった。
(……やっぱり私……お世話になってばっかり……)
目だけで部屋を一瞥するが、今自分の使っているソファの他には瓦礫と一つの椅子とコンクリートしかない。若葉は夜通しの見張りに出ているが、聖奈はどこで休むのだろうか。唯一のまともな寝床を自分が使うことにばつの悪さを感じるものの、しかしいくら遠慮したところで一蹴されるだけと早々に諦めた。
「じゃあカセットコンロ取って――っと、いけない……忘れるところだったわ。そういえば、一つだけね。さっき美咲ちゃんがお手洗いで外した時、若葉から聞いたことで……お話があったの」
「話、ですか?」
聖奈は美咲の瞳を、底まで覗き込むような真摯さで見つめる。まるで母親のような……姉のような。
そして彼女は、柔らかく、透き通るように優しいが、しかし確かな芯を持つ声で続ける。
「うん。えっとね、美咲ちゃんは賢い子だもんね。今日で三人目って言えば……分かるかな?」
「……はい」
聖奈の言う通り、美咲はすぐにその意味するところに行き着いた。三人とは、もっと言うのであれば七人のうちの三人。この二ヶ月で襲ってきた魔法少女の中で、美咲が殺めたその人数だった。
「戦えない私が――守って貰ってる私が、こんなことを言う権利が無いのは分かってるわ。けれど、それでも言わせて」
暗闇の中、聖奈は既に背中を向けていたが、自らの両腕を握り潰さんばかりに強く握っていることは雰囲気で分かった。その背が細かに震えていることも。
「襲ってくる子達もね、いつもは普通の女の子なの。だから、その……考えてあげて……?」
その震える声は演技などではない。本当に相手を、敵である魔法少女のことすらも思いやっての言葉なのだと美咲は信じられた。しかしながら、いや、だからこそ美咲は言った。
「これを言うのは卑怯だけど、遺された家族のこととか……。若葉も言ってたわ、せめて救える人を――」
「無理です。殺す気で……いや、殺さなきゃいけない。むしろ四人も生かして逃がしてしまったのを恥じるべきです」
それは美咲の紛れもない本音だった。僅かでもぼかしたり、気を遣ったりすることのない真っ直ぐな意思。自分のような人を増やしてはいけないだとか、そんな偽善者じみた思考は一切含まれていなかった。
「聖奈さんの言う通り、いつもは普通の女の子かも知れません。けど、襲ってくるときは間違いなく魔法少女です。……なら、殺されても文句は言えないでしょう?」
聖奈の言うことも「道徳心というものの存在を踏まえた理屈」では理解していた。しかし、美咲の回答は「NO」でしか無かった。
凝り固まった魔法少女への猜疑心、嫌悪感、敵意、そして殺意。それらは自らに害をなす相手に対して例外なく向けられているものであり、意思の核となっているのは無論……姉である優香の死と、そしてルミナスを殺した経験だった。
「……そっか。いえ……そう、よね。ごめんね、その通り……だと思うわ……」
聖奈は背中を向けたままだったが、美咲にはその表情が容易に想像できた。想像できてしまった。聖奈の言う通り、美咲は賢かった。
「……うるさくないように、あっちのお部屋で作ってくるわね」
「――……はい」
そうして闇に溶けていく後ろ姿を見届けた後、美咲はゆっくりと瞼を閉じた。
(……魔法少女を殺して何が悪いの……。仮に殺さないようにと言っても、そもそもそんな余裕……私には……)
美咲の持つ魔法。それは脳の処理能力を極限まで高め、0.1秒を一時間にも引き伸ばして知覚することができるもの。身体能力そのものを向上させるのとはやや異なるものの、これによってほぼ素人である美咲でも敵の攻撃を見切り、正確な体捌きで的確な反撃を行うことができる。コートの内に隠し持つナイフとも相性抜群の、正に生命線と言えるものだった。この魔法であれば「殺す」を「倒す」に置き換え、命を奪わずにおくことも可能ではあるだろう。しかし。
(……常にそう上手くいくとも限らない……から……)
脳裏に焼き付いている記憶。それはもう1ヶ月ほども前、若葉に戦い方を教わっていた中で初めて組み手をした時のものだった。
美咲の魔法をもってすれば、突きはただの直線的な攻撃ではない。相手が捌こうとすればそれをすり抜け、避けようとすればその瞬間から追尾する必中の技である。直線で突けないぶん低下する火力をナイフを持つことによる殺傷力で補えば無敵だと、そう美咲は思っていた。故に自分にとっての戦いとは「如何に近付くか」に集約されると。一歩踏み込めば即間合いという状態から始まる組み手であれば自分に負けはないと。そう思っていた。
(でも……)
でも。しかし。何も問題ないと判断できたのは、初撃を捌いて踏み込んだ瞬間までだった。カウンターが命中するより早く、こちらの動きを予測して若葉は動いていた。対処する暇すら無く、彼女が二度目に振るった拳が鼻先に触れていた。私がナイフの代わりとして持っていた木の棒の動きをしっかりと手で制し続けたままの、流れるような動きだった。
(……脳の処理能力をブーストできたところで、身体能力や格闘技術の差が大きすぎると結局埋められない。当たり前だけど、物理的に無理な状況はどうにもならない……)
若葉の魔法は『真眼』という、例え壁越しにでも魔力を精密に観ることができるというもの。魔力の流れを把握することによって魔法による攻撃を予測したり、変身していない状態の魔法少女を判別することすらできるという。故に今こうして見張り役を買って出てくれているわけである。しかしながら、魔法がそれということは――彼女は特別な強化など無しに、ごく単純な能力で美咲を上回っているのだった。
(魔法少女にはどんな人達が居て、その中で若葉さんがどれくらいのランクに居るのかは分からない。でも、少なくともあれくらいの人は居るということ。もし相手を殺さずにおくなら、私は相応に強くならなきゃいけない。その辺も含めて一つ目の弱点として……解決しなきゃ)
一つ目。そう、これは弱点の一つ目であり、重大なものがもう一つ存在していた。弱点というより欠点に近いもの。彼女の生命線である魔法に対してついてまわる制約のようなものだった。
(……最近、ぼーっとしたり幻覚が見えることが増えてきた。魔法を長く、多く使った後に。……でもそれはそうだよね、無理やり脳を過剰に働かせてるんだもん。副作用くらいあって然るべき……だけど、魔法の使用は最小限に抑えなきゃ。じゃないと……どうなるか)
とはいえ、この魔法は美咲にとって不可欠なもの。恒久的な課題の解決策ではないが、即時的な反動への対応であれば用意されていた。それは聖奈の『幸福の譲与』――物体に魔力を込めることで、特別な性質を与える魔法。例えば食物に魔法を付与して摂食すれば、一時的に神経を興奮状態にして疲労や痛みを消失させ、多幸感や万能感を得ることができる。平たく言うと、何でも麻薬へと変えることができる魔法だった。
美咲は砂糖に『幸福の譲与』をかけたものを医薬用のカプセルに詰め、常にいくつか携行している。無論、これも飲み過ぎることはできない。毛細血管が切れやすくなったり、発熱や異常発汗が起こりうるだけでなく、今以上に幻覚が酷くなる恐れがある。常に変身しており、魔力による保護を得ている美咲であっても服用には48時間――ギリギリのところで24時間は間を置かなければならない。薬が飲めないタイミングでの長時間の魔法の行使による幻覚症状。これが美咲の最も警戒するべきものであった。
(魔法に頼らない戦い……。正直、今はまだ難しい。けど模索していかなきゃ。……きっといつか……捜すんだから……お姉……ちゃん……を……生……――)
不安と決意を胸に、空腹も忘れ、美咲の思考は沈んでいく。足を取られればすぐに呑み込まれ、溺れてしまう泥のような闇の中。自分の為、そして大好きな人の為に命を燃やすと決めて――。