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魔法少女の独りごと①




 雨が降っていた。全身が濡れて、ひどく苦しかった。


(――寒い)


 コートは肩に重く沈み込み、裾は水溜りを揺らす。額に貼り付いた前髪は生温く、まるで無数の手のようで気持ちが悪い。


「赤い……夕焼け……? でも雨が……雨……」


 視界が赤かった。右の袖で顔を拭うと、更に赤色が深くなる。脳裏に浮かぶ景色は夕焼けだが、しかし雨が降っている。暗い。いや、暗くはない。赤くはある。そして黒い。しかし濡れていて、雨なのだろう。右手が重くて、濡れているのだから。しかし空が黒くて、赤くて、そして雨が――


「――美咲。雨は……降ってねぇぞ」


 隣から声を掛けられて初めて、美咲は自分がぶつぶつと声を発していたことに気づいた。


「……ぁ……」


 視界が雨の降る夕焼けの河川敷から路地裏へと戻る。自分が立っているのはただの水溜りではなく、浅い血溜まり。右手にはナイフが握られ、刃からコートの袖までべったりと赤黒く濡れている。そして、先ほど拭った頬も同じく。


「また意識が飛んでたのか。大丈夫かよ?」


「……大丈夫……です。大丈夫……うん、大丈夫」


「おい、あのな。大丈夫ってしか言わない奴が大丈夫なわけねぇんだよ。どうせ魔法の副作用が出てんだろ? まだ何個か余ってんだったら、念のため一つ飲んどけ」


「……はい」


 美咲はポケットから一つカプセルを取り出すと、血塗れたままの手で口に放り込み、唾液と共に飲み込んだ。魔法少女は魔力によって身体能力などが強化されており、それは胃液であろうと例外ではない。カプセルは即座に溶け出し――まだ頭にかかっていた霧が瞬く間に晴れた。


(……眼の前に倒れているのは、今さっき私が殺した『宝石の盾』の魔法少女。足元は水溜り……じゃない、血溜まり。今声をかけてくれた隣のお姉さんは――魔法少女の『一之瀬いちのせ 若葉わかば』さん。髪は薄緑色……変身してる)


 自身の調子の確認がてら、美咲は置かれた状況を振り返る。あれから――ルミナスを殺したあの時から二ヶ月ほどが経った。目的を果たした後、大切な人と共に生きる目的を喪ったこの世に未練など無かったが、とはいえ自ら命を絶つ勇気も無かった。そんな虚無の中で当ても無く彷徨っていた時、ひとりの少女が目の前に現れた。


((あなたを迎えに来たのよ。お姉さん――優香ちゃんに頼まれたの。私と一緒にいらっしゃい。……美咲ちゃん))


 若葉と並んで立つ彼女は『天羽あもう 聖奈せいな』と名乗った。そして姉の知り合いだと。両親を亡くした私たちに資金援助をしてくれていた”海外の親戚”の正体は自分なのだと。自分を迎えに来たのは姉との約束なのだと。

 聖奈は他にも多くのことを語っていたが、美咲は半分も理解できていなかった。しかしながら、拠り所を求めていた美咲はその差し出された手を取った。そして――


「――おかえりなさい。美咲ちゃん、若葉」


 二人がとある廃ビルの一室に入ると、腰に届くかというほど長い茶髪をさらりと揺らして聖奈が振り向く。ベージュのカーディガンとフレアスカートという服装は、埃にまみれたこの場所とは明らかにミスマッチである。


「ただいま帰りました。聖奈さん」


「うーっす、大丈夫だったか?」


「ええ、今日も貴女達のおかげでね。今ちょうど瓦礫のお片付けが一段落したところよ」


 今はもう変身を解いて黒髪に戻っている若葉はジーンズが汚れるのも気にせず、転がる瓦礫に腰掛けた。ツンツンと外にハネた髪の印象と仕草とが合わさり、まるで半グレやら不良を思わせるが、反してその鋭い瞳を携えた顔に浮かぶ表情は優しい。自分の隣に転がっていた椅子を立ち上げると、懐から取り出したハンカチを敷いて美咲に手招きする。


「ほら美咲も突っ立ってないで座って休め。今回戦ったのはお前だし、疲れてんだろ」


「いえ、私はあんまり――」


「うるせー。アタシが休めって言ったら休むんだよ。アゴぶん殴って眠らせるぞ」


「もう若葉、言葉遣い! ……でも美咲ちゃん、若葉の言ってることは正しいわ。『幸福の譲与(エンハンスド・ラック)』は疲労を忘れさせるだけ。ちゃんと休んでちょうだい。……ね?」


「――……はい」


 それぞれの流儀で優しく諭す二人に従い、美咲はやや覚束ない足取りで倒れるように腰掛ける。ぐちゃり、と椅子に敷かれたハンカチに血が染み込む粘ついた嫌な音が響いた。スカートにも血がついていたことに気づいた美咲は咄嗟に謝ろうとするが、若葉はそれを手で制して口を開く。


「なぁ、やっぱり変身は解けないのか?」


「……ごめんなさい」


「謝ることはねーけどよ。変身さえ解ければそんな汚れやら一発で消えるのに。しかも変身しっぱなしだとあんま精神的に休まらんねぇだろ? ったく、何が駄目なんだかなぁ」


 魔法少女は変身することにより衣装が変わり、髪色などの容姿が変わり、そして魔力を纏う。変身とは深呼吸程度の感覚で行えるものであり、解除についても同様である。何年も魔法少女として生きてきた聖奈、そして若葉にとってそれは当然のことであるはずだったのだが。


「ほら、もっかいやってみろよ。力を抜いてさ、風呂に肩まで浸かった瞬間みてーな感じで――」


「こら若葉。今までさんざん試したんだから、そんな急かすようなこと言わないの。……はい、美咲ちゃん。ばんざいして」


 聖奈はペットボトルの水で湿らせたタオルを手にすると、するすると美咲の服を脱がしていく。元々露出の多く、シンプルなデザインの衣装であるとはいえ、相当に手慣れたものだった。


「大丈夫? 冷たくない?」


「……大丈夫です」


 美咲も美咲で、二人に肌を晒すことを恥じらっていない。聖奈の血を拭う手付きと同じく、何度も経験して慣れきった行為だったからである。


 二ヶ月。その間何度も、今晩も襲ってきた魔法少女達は自身を『宝石の盾』のメンバーだと名乗った。曰く、聖奈の身柄を渡せと。その為には手段を厭わないと。滾る魔力を、武器を手にそう言った。

 そして美咲と若葉はその悉くを退け、殺めてきた。戦闘する力のない聖奈を守るために。そのたび、血に塗れてきたのだ。


 美咲は人を傷付けることにも、殺めることにも躊躇は無かった。あの時、何か大事なものが壊れてしまったから。そして自分の新たな居場所を守るためには不可欠な行為だったから。しかしながら、ただルミナスを殺すためだけに握られていただけの刃は、若葉の特訓や幾度かの実戦を経て磨かれていた。

 そんな中、美咲に浮かぶ漠然とした疑問。


(若葉さん……。この人は何なんだろう)


 若葉は人と戦う術に精通していた。それこそ圧倒的と言えるほど、格闘技などの知識がない美咲への指南も容易なほどに。


 いつか聞いたところによると、年齢は17歳。彼女は一体どういう人生を歩んでいて、どのようにして今に至っているのだろうか。気にはなったが、問いかけたことはない。安易に踏み込んで良い領域なのかが知れなかったからだ。そしてこの二ヶ月、彼女が一度も過去を語らなかったことは、きっとその答えになり得るのだろう。そう結論づけて疑問を押しつぶしてきた。


(――でも、聖奈さんは……)


 聖奈は姉と知り合いだと言った。何か約束のもとに自分を迎えに来たとも。それならば、彼女がこうして廃ビルなんかを渡り歩き、隠れて過ごしている理由――その身柄を狙われ、命のやり取りが起きている理由について、自分も知る権利があるのではないかと。美咲はそう思っていた。


 だが、聞けなかった。姉の居ない毎日を生きる美咲の心には、その程度の余力すらなかった。聖奈に、転じてそれを守る己に向けられる殺意を受け止め、跳ね返すだけで精一杯だった。


「あと少し……あと少しで『宝石の盾』の奴らが張ってないルートが探れそうだ。美咲にはすまねーが、とりあえず明日は丸一日聖奈を守ってもらわなきゃならなそうだ。……いけるか?」


「……いけます。任せてください」


 美咲は頷く。『宝石の盾』。戦った相手、そして聖奈や若葉の持っていた情報としては、もう何年も前から存在している大規模な魔法少女組織ということらしい。もちろん社会に露出しているわけもなく、活動内容や目的に至るまで不明。


 そして最近――具体的には一ヶ月と少し前頃から、聖奈は身柄を狙われている。差し向けられる刺客の態度からして対話でどうこうする気は感じられず、とにかく敵であることには疑いようがなかった。


(……魔法少女の組織……魔法の持つ可能性は……無限……)


 自らの肌を指でなぞる。まともにスポーツすらしたことのなかった自分に刻まれたいくつもの傷跡。切り傷、打撲痕、熱を伴う魔法に焙られ赤みがかったままの箇所、そして――


(――お姉ちゃん――)


――跡は見えないが、しかし最も深いもの。思い返すたび、耐えがたい熱さで心臓が鼓動する。しかし、だからといって忘れてしまいたくない。痛みと共にあったとしてもずっと覚えていたかった。そして、叶うことならいつか――


「……なぁ、美咲さ。話は変わるんだけどよ」


「――はい?」


 美咲の意識が一気に思考の海から引き上げられる。顎を撫でつつこちらに目を向ける若葉に対し、聖奈と一緒に首をかしげた。


「どうかしました?」


「いや、その……ずっと気になってたんだけどよ。アレだよ、その……過ぎるんじゃねぇかと……」


「あ! もしかして、美咲ちゃんが来てから私を取られてばっかりだから寂しいの? もう、それなら今日は久々に添い寝して――」


「ちげーよ、なんだその発想の飛躍は! アホラしい! ――っつってもアレだ、別にこれもアホらしいと言えばそうかも知れねーけど、でもアタシにとっては……というか。その……お前らにとっては違うだろうけど……」


「……? 要領を得ませんね……?」


「あーもう! それ! それのこと……だよ……」


 とてつもなく歯切れが悪い呟きと共に、若葉は美咲を指差す。美咲を、というよりその一部を。姉を想って手を当てていた、曝け出された胸を。


「あっ、えっと、ごめんなさい。この傷とか、血は止まってるけどさっきやられたやつだし……見苦しかったですよね」


「――いや、ちげーよ。お前アレだよな、確か13歳って言ってたよな。にしてはやっぱ……アレだなって思ったんだよ。今のうちから何か育てるコツとかあんのかと思って」


「? あの、どういう……?」


「若葉……同性とはいえ流石にセクハラよ。っていうか、曖昧すぎて美咲ちゃんに伝わってないじゃないの」


 理解度が周回遅れどころではない美咲に対し、聖奈がやんわりと耳打ちする。それを聞くうち、真っ白な髪に隠れた顔がみるみる朱に染まっていき、両腕でぎゅうっと素肌を隠した。


「でっ――おっぱ、って、何言ってるんですか!? いや、あの、そういう風に見られてるって思うと……ちょっと……っ!!」


「なっ! この……いっちょまえに恥じらいやがって! お前はまだ良いだろうが! アタシは恥を忍んで聞いてんだぞ!?」


 若葉は今にも食いかからんばかりの形相で美咲を指差す。否、その胸を。


「お前マジでよ、年の割にデカ過ぎるって卑怯だからな!? ひょっとしてDぐらいは――」


「――はいっ! 若葉、もうおしまいになさい。美咲ちゃんの表情、強制給餌される猫ちゃんみたいになっちゃってるじゃないの。かわいそうに」


「い、いや、なんですかその例え……普通は借りてきた猫とかなんじゃ。というか、そういうことなら私より聖奈さんに聞くほうが――むぎゅ」


 美咲が放ちかけた正論は、聖奈の大きな大きなそれによって顔ごと押しつぶされる。それを受け、色々とやや複雑ではあったが、久しく触れていなかった柔らかな空気と優しい感触に顔を緩ませた。そして――


(――はぁ……ったく。こいつ、やっと少しまともな顔したな)


(そうね。最近、ずっと虚空を見てるようだったもの。……ナイスよ、若葉)


 最も貧相な者と、最も豊かな者。対極のふたりもその雰囲気の変化を感じ取り、「目標達成」とばかりに微笑みを交わした。


(……でも、おっきくなりたいのは本音なんでしょ?)


(……うるせー)




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