魔法少女の願いごと⑤
早朝。学校の廊下を歩く蓮は傍らの綾乃を見上げると、射す朝日に目を細めた。昨日は寝れなかった。魔法少女について聞かされたからだ。
無論、綾乃が今まで何人もの命を手にかけてきたことを除いてなうえ、昨日の戦いは「ただ狂人に襲われただけ」としているが。しかしそんなものはアニメの中の存在としか思っていなかった蓮であっても、綾乃が一瞬で変身したり手からビームを放つのを目の前で見せられたら信じざるを得なかった。
二人はホームルームが始まるより前に生徒会室へ向かっているところだった。今日は選挙当日であり、立候補者や関係者は普段より早い登校が許されているのだ。
「しかしまぁ、昨日あんなに色々と見せられて、会長が町を守る凄い人だって知ったのに。こうやって横に居る時はなーんにも変わらないんですねぇ」
「ふふ、そんなものさ。魔法なんて使えるようになったところで、別に本質的に何が変わるわけでもない。それを踏まえて何を行うか。どんな願いを持つか次第さ」
「へぇ~。会長の願いってアレですよね、スローガンのやつ」
「……そうだな。アレは免罪符さ。自分を正当化して、誤魔化すための」
「免罪符? ……なんだかよくわかんないです」
蓮は申し訳なさそうな笑顔を見て、綾乃の芝居がかった顔が表情が少しだけ、ほんの少しだけ本当に和らいだ。
生徒会室の前に到着する。ドアに手を掛けようとする蓮だったが、それを綾乃は制した。
「会長?」
「……ごめん。ちょっと一人でやりたいこと――いや、やらなきゃいけないことがあってね。蓮は先に教室に行っててくれないか」
「えぇ~、急にどうしたんですか? それじゃ私、一緒に来た意味ないじゃないですかぁ」
「ははは、それは本当にごめんよ」
綾乃は芝居がかった仕草で笑う。いつもと変わらないはずの笑顔が、蓮にはどこか違って見えた。
「明らかに何か隠してますよねぇ、それ。どうせ昨日みたいな魔法少女関連の何かなんでしょ? なんでもいいですけど、無理だけはしないでくださいね」
「ああ。ありがとう。……魔法はね、心に空いた穴を埋めるんだ。後は任せたよ、蓮」
「へ、なんです? なんか言っ――」
言葉を遮り、ドアが二人を分断する。
綾乃は寂しげな足音が遠ざかるのを確認した後、生徒会室の奥に立つ少女へと視線を向けた。
「良かったのかい? 不意打ちの機会ならいくらでもあったと思うんだけどな」
心に巣食う闇が表面化しているかのように真っ黒なコートと、胸部を覆うアーマーとシンプルなミニスカート。そして足元は上履きではなくエンジニアブーツ。左腕は明らかに素人処置といった感じに包帯でぐるぐる巻きにされていた。その少女――美咲は白い髪の隙間から、海のように深い瞳を覗かせる。
「……昨日、君が即断即決で逃亡したときからこうなる運命は定まってたってわけだ。私が君を追うなら魔物が孵って甚大な被害が出る。君を放置して魔物に対処するのであれば、私の素性を知った君はこうやって襲いに来る。それを避けるために私が逃げるのであれば、蓮をはじめとした多くの人の命を奪う腹積もり……と。ここまで合ってるかな?」
「……ええ」
「まったく、手段を選ばないっていうのは恐ろしいね」
美咲は一歩近づく。その右手にはフルーツナイフが握られており、その先端は無論ルミナスへと。
「しかし、『会長』『周見 蓮』という情報しかなかったわけだが、特定が早かったじゃないか。もしやここの生徒だったりするのかな? ……まぁ、それはいい。とにかく、君はお姉さんの仇である私さえ殺せれば良いんだろう? つまりここに私が来た時点で、実質的に他の人の命は保証されたと思って良いはずだ」
更に一歩。ナイフに反射した陽光で綾乃の姿が揺らめき、次の瞬間にはルミナスとしての姿をとっていた。
「学校じゃ魔法は使えない。早朝とはいえ何人巻き込んでしまうか、どれだけ建物を破壊してしまうか分からないからね。もっともそれが狙いなんだろうし、仮に学校じゃなかったとて住宅地や自宅に変わるだけだろう。ま、それらよりは生徒会室のほうが人目に付きづらいだけマシかな」
「……よく喋るね。悔いを残さないように?」
「その通りさ。魔法が使えない以上、私は君に勝てないだろうからね」
ルミナスは芝居がかった様子で肩をすくめた。
「実はね、今日は生徒会選挙で蓮が登壇するんだ。十時過ぎくらいかな。それを見るまで戦いを延期するのはダメ……か、そうか。言われずとも目を見ればわかるさ」
にへらと笑うその瞳は彼女なりの正義が、そして決意が込められている。少なくとも美咲はそう受け取った。
「……私は鏡座美咲。お姉ちゃんは『ハーモニー』……鏡座優香」
「――そうか」
ルミナスは頷き、さながら絞首台に向かう囚人めいて一歩を踏み出す。肉薄する。たんぽぽの花弁のような輝きが美咲の瞳に吸い込まれ――同時に、弾かれたように動く。
美咲は超自然の光をまとった掌底を、髪先を焦がしながらもわずかに首を傾けるのみで避けた。右手が、そこに握られたナイフが突き出される。ルミナスは残る片手でそれを弾きにいくが、ゆるりと軌道が逸れる。
「――あ、づっ……」
腹部にナイフが、殺意が突き刺さる。刀身は肋骨の隙間に入り込み、内臓にまで達していた。赤熱した鉛を流し込まれたような感覚にルミナスは悶える。
(……あの時、あの場所に蓮が――)
蓮が来なければ。一瞬よぎったその思考を噛み潰す。「因果応報」と、錆びた鉄の匂いがそう告げた。
美咲はナイフを引き抜き、そしてまた刺す。引き延ばされた時間の中で、後悔と怨嗟を噛みしめながら。
刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。
ルミナスは何かを言おうとしたが、それらは全て胸の穴からすり抜けた。
刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。
黄色の輝きを放つ花弁がどす黒い血に塗れる。
刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。
魔法少女の瞳は光を失い、物言わぬ肉塊になり果てた。
刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。想いを、無念を込めて突き刺す。
「……」
右手からナイフが零れ、血溜まりに呑まれる。望みを、願いを叶えて立ち尽くす美咲の胸は、泥のような虚無で満たされていた。
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「聞いた? 二年の失踪した人。なんか妹さんまで居なくなっちゃったらしいよ」
「えー、マジ? 失踪ったってどうせ生きてないだろうし、後追いでもしたんじゃね?」
「やめなって、ちょっと! そういう話題は、ほら――」
「……あー、そっか。会長さんもアレだっけか。ウチ集会ん時寝てたからさー」
「ほんっとにやめて! ……周見さんこっち見てるから。ほら、行こ」
そそくさと教室から立ち去る女子グループを横目に、蓮はカバンを抱えて立ち上がる。会長が――綾乃が死体となって発見された後、蓮は自らを責め続けていた。あの時自分が立ち去らなければ、こんなことにはならなかったのではないか。明らかに異常だった彼女をなぜ放っておいてしまったのか、と。そうやって悩み、悔い、連日泣き腫らした。
自分はこれから何をすれば良いのか。道しるべであり、大切な人であった綾乃を喪って、どう生きていけば良いのか。何もわからなかった。無為な日々がただ過ぎていくだけだった。
「……魔法少女」
蓮は呟く。会長が望んでいたこと。『救える人を救う』。語感は悪いし、解釈の幅も広い、スローガンとしては適さない言葉。大好きな言葉。
「……探すんだ。知らなきゃ。会長が何をしてたのか、何があったのかを」
いつしか誰も居なくなっていた教室で想いを馳せる。たんぽぽの花弁を思わせる日差しの中、柔らかく揺れたポニーテールの先が、淡い空色の燐光を帯びて煌めいた。
「……継がなきゃ。私が。会長の願いを」
周見 蓮は魔法少女になった。