魔法少女の飾りごと①
二ヶ月。たったのそれだけで、少女を取り巻く環境はまたしても大きく変化した。出会った拠り所は、巡り会った居場所は、ほんの僅かな時間で崩れ去った。
少女――鏡座 美咲の新たな居場所は犬小屋である。
「……ふぅ。自分をボコボコにした相手を好きに出来る……やっぱ最高ね。それじゃ」
箱庭の一室。ベッドとタンス、それに机だけがあるゲストルームで、佐藤 愛華は制服を正した。そしてドアから出ていく時、部屋に居るもう一人には一瞥もせず。
美咲はベッドに力なく転がっていた。光の失われた瞳。真白の髪と装束は乱れ、首には指の形に赤い痣が刻まれている。ドアの軋む音は事の終わりを告げており、深層に押し込められていた彼女の意識を表層へと引き上げた。
「……ごほっ」
乾いた咳に喉が痛む。気絶する寸前まで首を絞められていたのだ。露出した胸や太ももが酷く濡れているのを見とめると、機械的に変身を解き、また戻る。そうして綺麗になった身体で、最後に大切なヘアピンを確かめた。
「任務……けほっ……行かなきゃ……」
部屋の時計は午後九時過ぎを指している。休む暇は無かった。任務に滞りがあればペナルティを受けるのだ。自分も、そして……若葉も。
美咲はコートを羽織り、廊下を歩く。素肌に刻まれた様々な傷痕――特にあの小冬に貫かれた腹部を覆い隠すように。きめ細かく白い肌に、十センチほどの細長く抉られたような醜い痕が残っているのだ。
しかしながら、それでも命を落としてはいない。魔法少女だからというわけではなく、回復魔法による治療を受けたからだった。
美咲は『宝石の盾』で飼われているのだ。内面的なもの、そして魔法による『首輪』を着けられて。
だが、皮肉なことに恩恵もあった。『宝石の盾』という強大な相手と敵対せずに済むこと、そして『首輪』の影響によって変身解除が可能なこと。決して小さくない恩恵を被れることに、歩きながら吐き気を催した。
「――美咲!」
玄関のすぐ奥、内陣に差し掛かると、そこには紫色の可憐な騎士然とした少女――木枯 小夏が居た。炎のように揺らぐポニーテールを振り乱し、美咲のもとへと駆け寄る。
「今日は遅かったから心配したのよ――って、その痣……また首を……!」
小夏は美咲を長椅子へ座らせると、怒りを露に玄関の扉を見つめる。それはつい一分も前、そこを通った愛華に向けられていた。しかし、感情的に扉へ向かおうとしたその歩みを声が遮る。
「ブレイズ、座って……。それと……その子をそう呼ぶのは……止めなさい」
声の主は祭壇に腰掛ける、目深にフード付きのローブを着込んだ少女クリプト。『首輪』の持ち手である。彼女は紅葉色の影の中から、消え入りそうな声で語る。
「……聞いてたのが私だけで良かった。その子は……悪い意味で特別……。どこに誰の耳があるか分からない……本名で呼ばない方が良い……」
「クリプト! でも、美咲は――! 元々の立場を踏まえても明らかに扱いがおかしいじゃないの!! 優先して危険な任務に出されたり、それにこんな……慰み者にまで――!!」
「……ブレイズ……何度も言わせないで。……貴女は……私に意見できる立場じゃない……」
「ぐ――っ!」
小夏は拳を震えるほど握り締め、歯噛みする。かつて幹部一歩手前だった自分の地位は、美咲が『宝石の盾』へ入ったのと同時期に降格した。原因は小冬の圧力。美咲の管理権限を小夏へ与えないため、クリプトより下の立場まで引きずり降ろされたのだ。つまり、小夏と美咲の繋がりはバレていた。……しかし皮肉にも、それが大事になっていないのも小冬の力によるものであった。
「……良いんです、ブレイズさん。気にしないで……呼んで下さい」
「――く、う――」
美咲は虚空を見つめながら呟く。美咲は小夏のことを、かつて仲間として笑顔を交わした時と違い、本名ではなく魔法少女としての名で呼んだ。まるで自分に教え込むように。
『宝石の盾』に所属する魔法少女は、本名と違う名を持つことを強制される。一般的な倫理観から外れた活動をすることも多い魔法少女にとって、変身によって得られる「別の姿」と「別の名前」を精神的な逃げ道とするためである。名前は自分で考えるか、仲の良い誰かにでも名付けてもらうか、基本的には自由であった。
しかし、鏡座美咲は例外である。彼女の新たな名前とは、その地位を示すもの。組織内での扱いを表すものを与えられたのだ。
やがて小夏は諦めたように、力なくその口を開いた。
「――任務の前に一応傷を見せて。向こうに行くわよ……『スレイヴ』」
「……はい」
美咲は従い、立ち上がる。『奴隷』。それが新たな名前だった。




