魔法少女の願いごと④
「……すぅー……はぁーっ……。うん、大丈夫。もう大丈夫だよ、お姉ちゃん」
「なんだ、誰に話してる? 本当にただの狂人か? それとも……目的があって私を襲ってるのか?」
「……なんでもない。私のことを理解してもらおうとも思わない。ただ、死ぬ直前に説明くらいはしてあげる」
「そうか。対話の余地は一切ない、と。……しかし、死ぬ直前に説明してくれるとは優しいじゃないか。それなら即死しないよう、ぜひとも手加減してあげたいところだ!」
ルミナスは両手から先ほどの一発よりも大きい光を放つ。当たれば形も残さず消え去る、必殺のルミナリフレクションを。対する美咲も魔法を行使し、チリチリと髪の先を焦がしながら懐へと潜り込む。今度は打撃程度で済ませるつもりはなく、その手にはしっかりと包丁が握られていた。
「悪いけど、こんなところで狂人に殺される気はないんでね!」
先ほどの再現にはしないとルミナスは素早く手を振るって光の照射を打ち切り、腹部を狙って突き出された刀身を素早く側面から弾いた。
「――きゃあっ!」
魔力強化された肉体による強かな打撃によって美咲の手から包丁が零れる。ルミナスは大げさに芝居がかった仕草で笑い、両手を突き出した。
「おやおや、可愛い声だ。しかしこんなものに頼るとは……魔法は攻撃向きじゃないのかな? あるいはさっきから私の『ルミナリフレクション』を回避できてるのは、その魔法のおかげだったりもするのかい?」
美咲の魔法は主観時間の鈍化。それによる肉体の精密操作であれば、想定内外問わずに大抵の事象には対応できる。ではなぜ包丁を弾く動きに対応できなかったか。それは純粋に、美咲が対応可能な動きの範囲を超えていたからである。
『レーザービームを回避しつつそれを発射した人間を刃物で突き刺す』なんて動きに今まで喧嘩をしたことすらない美咲が慣れているわけもなく、それ故に行動の完遂に意識のリソースを割き過ぎてしまった。ルミナスの行動が想定の範囲内であったことを踏まえても、物理的に対処ができなかったのだ。それを反省し、美咲は再度魔法を発動。状況を分析する。
(……包丁は拾いに行けない。きっとそれは思う壺。だからといって素手で勝てるかはわからない。なら――)
簡潔にロジックを済ませ、美咲は踏み出す。武器を拾う選択肢は捨て去り、一直線に。
「また突撃か。ナントカの一つ覚えか、もしくは破れかぶれか……どっちでもいいさ。この世に蔓延る悪を退治できることには変わりには無いし、ね」
何度目か、またしてもルミナスの手が輝き、光柱を放つ。美咲は潜り抜け、肉薄する。ここまでは両者想定済みであり、重要なのはこの先――
「そう何度も許すと思うかい?」
ルミナスは両手を振るう。今度はルミナリフレクションを強制的に打ち切るためではなく、輝きを保ったまま。彼女は今まで『魔法の照射中は手を固定しなければならない』という認識を美咲の無意識下に植え付けるため、十全じゃない動きをしていたのだ。そして光柱は両手の動きに追尾し、行く先には美咲の頭部がある。
「――っ!!」
眼前に迫る絶望に対して魔法を行使する。鈍化した世界の中で美咲は死から逃れる術を探した。そのまま受けるのは……まず灰も残らないだろう。この状況を直接的に切り抜けられるような魔法も持ち合わせていない。であれば、今は脱いだ状態で手に持っているこのコートに賭けるしかなかった。
美咲はルミナスに接近した後、コートを投げつけて視界を封じ、魔法によって実質的に強化される反射神経にモノを言わせて拘束か絞殺、もしくは逃亡のどれかを選択する算段だった。その目論見が接近という大前提から潰えたものの、おかげでこの状況においてコートを手に持っているのだ。だからコートにありったけの魔力を込めて強化し、必殺のルミナリフレクションを防ぐ盾とすることができる。
「――が……あっ!!?」
尋常でない熱量と破壊力を持つ超自然の光。あくまで魔法であり、そのため同じ魔法によって威力は相殺できる。だが双方の魔力量に差があるのであれば、完全とはいかない。
美咲はコートの盾越しに、まるで大型トラックがぶち当たったかのような衝撃を受ける。身体が蒸発しなかっただけマシであろうが、しかし光柱がしなる鞭めいて頭から背中にかけて打ち付けたことによるダメージは甚大である。左腕に至っては肘のあたりからひしゃげており、コートも最早ただの黒い切れ端と成り果てていた。
「――っは、ううっ、ぐ……! ひっ、いた、ひう――っ!!」
美咲はボロ切れのように、無様に転がる。これまでの人生で経験したことのない痛みに対して、目を剝いて悶えることしかできなかった。横隔膜が痙攣し、満足に息を吸うこともできない。
「あーあ、可哀想に。半端に防御したせいで痛そうだ。これやると私も腕が千切れそうなほど痛くてね、あまりやりたくはなかったんだけど……やった甲斐はあったかな? ほら、気をつけないと落ちるよ」
ルミナスは芝居がかった動きで顔を覆いながら、美咲のすぐ数センチ横を指差す。そこでは闇が大口を開けており、覗く人間に吸い込まれるかのような錯覚を与えた。
戦闘現場、つまりこのビルの屋上は人が上ることを想定されていないからか、落下防止ネットも手すりも無かった。つまり、美咲は少しでも動くと十メートル先のコンクリートに真っ逆さまである。
「魔法で吹っ飛ばしてあげても良いんだけどさ、ほら、私はそこのお店のチーズケーキが美味しくて好きなんだ。どうでもいい店なら……まぁ良いとしても、あそこに被害は出したくないからな」
ルミナスはあくまで笑顔を浮かべながら歩みを進める。しかしその声色は、まるで地獄から吹く風かのように乾ききっていた。
「はーっ――はぁー……っ……」
「なんだ、この期に及んでまだ反抗的な目をしてるのか。――ほら」
「――な――っ!?」
目の前まで迫ったルミナスは、無造作に片足を振るう。美咲は咄嗟に左腕を庇ったが、狙いは違う。左腕ではあるものの、そこに打撃を与えるのが目的ではなかった。鋭く爪先を叩きつけるのではなく、靴底でぐいと身体を押し退ける。
身体が空に、闇の中に飲み込まれる。ビルの横、ほんの少しだけ開けた路地裏へと。美咲は魔法を行使してどうにか体勢を整えるが、重心操作だけでどうにかするのには限界があった。可能なのはやがて大きくなる地面に対し、可能な限り急所と左腕を遠ざけるのみ。
「――あぐ、うううううっ!!」
衝突する寸前、接触面に魔力を注ぎ込んだお陰で衝撃は和らぐ。先ほど受けたものに比べれば数十分の一程度のダメージだが、整いかけていた呼吸が再び乱れた。
「よ、っと。これで素直になったかな? じゃあ約束通り君の目的でも聞かせてもらおうか。さっきは噂の魔法少女かもと思ったが、違うんだろう? あまりにも荒事に慣れてなさすぎるしね」
ルミナスは尊大に、芝居がかった仕草で両手を広げる。顎をクイと指して発言を促した。美咲は少しずつ肺に空気を詰め込み、呼吸を整え、右手の爪を手のひらに食い込ませながら……やがて口を開く。
「……あなた……お前、が……」
「ん?」
「――お前が! お前が私の大事な人を、お姉ちゃんを殺したんだ……!!」
美咲は震えた声を絞り出した。
「殺した、か。それは悪いことをしたね。でも……ごめんよ、誰の事かな? 最近かな?」
悪びれる様子も無しにルミナスは答える。
「でもまぁ誰であれ、私は私利私欲のために命を奪ったことはない。あくまでも世のため――これはさっき言ったか。あれだ、トロッコ問題だ。有名なやつさ。私は少数を犠牲に多数を救ったんだ。当然のことだろう?」
「……っ」
一歩、また一歩とルミナスが近づく。その発言は優香以外にも何人もの命を奪ってきたことを示唆しており、美咲の背筋がぞくりと粟立つ。
「ま、君もその一人になるだけさ。考え方を変えるなら、君が多くの命を救うんだと――そういうこじつけもできるかな? 良かったじゃないか。名も知らぬ狂人」
ルミナスは決断的に、大きく足を振り上げる。死ねない。絶対に。拳を握り込む。しかし、何も思い浮かばない。この状況を切り抜ける手段も、投げつける言葉すらも。認めたくはないがこの瞬間、美咲は死を覚悟した。しかし――
「だ、誰か居るんですか……?」
――ゆっくりと、だが決断的に振り下ろされていたはずの足が止まる。月明かりではない、人口の光が二人を照らしたからだ。路地の入口に立つポニーテールの少女が持ったスマホのライトが。
「け、喧嘩……コスプ……!? 警察呼びますよ!?」
「待つんだ! 違う、えっとそうじゃない……ちが、く…………」
嘘八百を並べて言いくるめようと少女に近づいたルミナスが狼狽える。その少女を知っていたからだ。そして、その少女も瞬時にルミナスの正体に気づいたからだ。
「……え、何を……あれ? 会長? 会長ですよね……?」
「れ、いや、違う。待て、今は何も言う――」
「会長! どうしたんですか!? 私です、周見 蓮ですって!」
当然ではあるが、蓮は危機感の無い声を上げて近づく。何故かわからないけど変なコスプレをしている知人へと。
魔法少女に変身すると容姿が変化する。髪色も、服も、肌も艷やかになり、まつ毛までも伸びる。まるで別人のようになるが故に、ルミナスを始めとした魔法少女はコードネームのような通り名を名乗るのだ。
しかし顔と声に変化は無いため、変身前後でまじまじと見比べられるか――あるいは何かしら特別な人に見られれば、正体がバレる可能性もある。現に今、ルミナスの正体は目の前の少女に悟られていたのだから。いつもルミナス――もとい月峰 綾乃に憧れ、心の底から想い続けてきた彼女、周見 蓮には。
ルミナスは蓮の手に提げられた袋がすぐ隣の店、風鈴堂のものであることに気づき、この状況を理解した。
「ちょっとちょっと、とぼけないでくださいよ〜! どんな格好でも私が見間違うわけないじゃないですか! なんですか、それめっちゃかわ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! わかった、いくらでも話してあげるから! 先にほんの用事を――」
髪を犬の尻尾のようにぴょこぴょこ跳ねさせる蓮をたしなめ、綾乃は背後の闇を振り返る。数秒前までそこに居た狂人は忽然と姿を消し、静寂だけが取り残されていた。
(……正体はバレた、だろうな)
このまま取り逃がすのは不味い。今すぐ魔力の痕跡を追えば見つけられるだろうが、しかし――
「――っ! よりによって今か……!」
綾乃の魔法少女センスとでも言うべき第六感は、シグナルを受け取った。この商店街に来た本来の目的である魔物の卵、アレの孵化が近いのだ。狂人を追って魔物を解き放つか、魔物を対処して狂人を取り逃がすか……綾乃は天秤にかけた。
「あの〜、会長? どうしたんですか? 後ろの人、どっか消えちゃいましたけど」
「蓮。君が……いや、いい。後でちゃんと説明するから、少しついて来てくれないか?」
「へっ、あ、はい。いいですけど」
綾乃は身を翻し、通りに出るため変身を解く。わっ、と背後の蓮が小さく驚いた。
「ごめんよ。すぐそこまで、ほんの少しだけだ」
ここで、この状況で奴を取り逃がすことの意味。自らを待ち受ける運命を理解し、儚げに笑った。
「安心してくれ。皆は……君のことは私が守るさ」