魔法少女の誓いごと②
「これ、分かるでしょ? マウント。今からボッコボコのグッチャグチャにするから……覚悟してね」
「っぐ――!!」
総毛立つのを感じながら、恐怖を圧して顔面をガードすると、そこに拳が叩き付けられた。両腕まで押さえ込まれていないのがせめてもの救いであった。
(とはいえ……どうにかしないと……っ!!)
小冬はガードの上からでも構わずひたすら殴り付ける。しかしそれは雑な連打ではなく、カウンターを受けづらいよう、腰を伸ばしたままの手打ちといえるような打撃。
それ故に骨を砕くような一撃は無いものの、ゆっくりと確実にダメージが蓄積されていくうえ、体幹が崩れないためマウントを返すのが難しいものだった。
(どうにか脱出しなきゃ……何か……!!)
美咲は魔法を行使して思考の海に沈む。
コートの内からナイフを取り出すとしても、小冬の両足によって裾は押さえつけられている。瞬時にナイフを抜けないどころか初動を潰され、腕までもを押さえつけられてしまう恐れがあった。故に脱出案としてナイフの使用は却下。
(それなら――指――!)
敢えてパンチを受けることにはなるが、その瞬間に手を捕まえて指を噛み千切る。痛みで怯んで重心がズレたり、あるいは腰を浮かせたところでマウントを返す。
仮に噛み千切れずとも、指を引き抜くためには前傾して力を込めることになり、そうなれば顔に手が届く。後傾であったならば、イコールそれはマウントポジションの解除。
(顔に手が届けば耳も掴める。ペースを取り返せる……! 集中しろ……!!)
散々に読み負け、小冬のペースにハマり続けたこの戦い。美咲はやっと蜘蛛の巣から逃げ出す糸口を掴んだと思った。
そうして不自然さを消しつつガードを開けようとした――その瞬間、何度目かも知れない戦慄にまたしても襲われた。
(――っ! 手が握られてない……!!)
遅くなった世界で、美咲の目はそれを捉える。狙っていた右の拳は握り込まれておらず、しかも軌道は直線ではなくやや曲線を描いていた。ガードの外から回り込むように。これが意味するところは――
(――耳を掴みに来る!? あるいはそのまま手を滑らせて目潰し……!? とにかく受けられない……っ!!)
美咲の行動は修正された。否、修正させられた。敢えてガードを開くのは論外となり、かといってガードし続けると耳を掴まれることになる。必然的に、内から外へのパリィングを強要される形になった。そして。
「……はい、開いた」
小冬はカウンター対策の為だけに腰を伸ばしていたのではない。言うなれば拳より更に重い攻撃を常に構えたままにするため。
腹筋と背筋をフルに伸縮させて放たれたのは、マウントにおける両拳に次ぐ部位――重く硬い額での一撃。
「――っが、ぷ……ひゅ……っ」
口から漏れる奇妙な音は、溢れ出る鼻血が鼻腔と口腔いっぱいに溜まることで空気の出入りを邪魔しているためのものだった。
「……はは……! アッハハハハハ!! 良い顔するじゃんか!! これだよ……! 金のためでもあるけどさ……これが見たくて戦ってんのよ、私は!!!」
涙と屈辱、そして溺れそうな恐怖の中でもがく美咲を覗き込んだのは、深い海のように暗く濁った瞳。真っ黒に輝く、闇のような光を携えた瞳であった。
(――殺される――っ……)
それから小冬は頬を殴り続ける。美咲はガードを上げるものの、その隙間に拳は滑り込んで来ていた。
魔法でタイミングを測っての反撃は行えなかった。脳が焼け付くような感覚が、限界を告げていたから。そしてここまでの戦いが、きっと反撃の先にも罠があることを告げていたから。
しかし、それでも。
「――ない――」
「あ?」
ザクロのように切れた口内から血を流しつつ、美咲は言葉を紡ぐ。
「――負け、ない……っ……! 若葉さんが……そのために、私は……負けられない――っ!」
歪む視界と思考。何か出来ることを、僅かでも打てる手立てが無いかを探しながら。若葉という希望に縋りつきながら、必死に――
「――つまんねー根性論かよ。そういうの、マジでウケる」
小冬の冷え切った瞳は、美咲からすぐ傍らに突き立ったままのダガーへと滑る。そしてマウントを解いて立ち上がると、逆手に持ったそれを――既に反撃できる状態ではない美咲の腹部へ、躊躇なく突き立てた。
「――熱っ――う、痛……ぁ……?」
美咲は腹に熱した鉛を注ぎ込まれたかのような、違和感と嫌悪感の塊に襲われる。
(あれ……? お腹に……何――)
自らの身に起こった事態の理解を拒むが、しかし……それはやがて、人間が生来持つ反射という形で訪れた。
「――ひっ――い、あああああああああッ!!? いだ、いだいいだいいだいッ!!!」
貫かれた腹部から血と共に押し出されるように、住宅街に絶叫が響き渡った。
「あーうるせーの。隠蔽に金かかったぞーって、後でカラフルさんに怒られちゃうよ。ほら、黙れ〜」
小冬は心底鬱陶しそうに美咲の胸を踏みつける。その衝撃で、地面まで刺し貫かれた皮膚、肉、内臓――全てが発する悲鳴が脳に轟き、身体の中をグチャグチャに掻きまぜた。
「あ、づうううう――ッ!! う、ご――ぉっ――げほ、げほっ!!! おえ――ぇぇぇ――!!」
「アッハハハ!! そうやって吐くほど喜んでくれるとは嬉しいじゃん! でもさ、美咲ちゃんはそういうことを今までやってきたわけよ」
血反吐をまき散らして激痛に悶える美咲に声は届かない。それを見て取った小冬は、嘲笑しながら屈んだ。
「……ほれ、今度こそ黙っとき」
そして、取り出した小さなハンドスプレーを美咲に吹きかける。するとたちまち、嘘のように痛みが薄れていった。……意識を道連れにして。
「――……ごほ、ぉっ……は、あ……っ……!? これ、は……聖奈さん……の……魔……――」
「そ、『幸福の譲与』。本来は痛みとか疲労を消して意識を覚醒させるものだけどさ、バチクソ痛いところにごく少量を与えると……ほら」
言い終えるより早く。実に呆気なく、美咲の意識は闇に沈む。
「……こうやって気絶するわけだ。ま、媒体が睡眠剤ってのもあるけどね」
その顔を満足気に眺めつつ、小冬はスマホを取り出した。未だ人気のないままの月夜に報告だけが響く。
――美咲は踏み潰された小花のように転がっていた。約束を守れなかったと……後悔すらも出来ずに。




