魔法少女の誓いごと①
視界が歪む。喧騒が消える。空気が冷たくなる。独特な魔力の波長を全身に感じた一瞬後、美咲は月空の下に立っていた。
「……な――!?」
咄嗟に変身し、魔法を行使して状況確認に努める。
定食屋に居たはずの自分は、小冬に腕を掴まれたと思ったら屋外に居た。目の前には小冬。自分が立っているのは草むら……否、街路樹の中。住宅地である。そして、周囲の建物には見覚えがあった。
(茜沢中学校のすぐ前の道……!! 幻覚みたいな魔法の感じはしない……テレポート……!?)
小冬は既に美咲の手を放しており、大きなパーカーを着直していた。そして右の袖口から覗くのは、刃渡り三十センチほどのダガーナイフ。
「いーやぁ、思ったより簡単に分断させてくれたこと。ちょっと警戒心が足りないんじゃないの?」
「……ええ、そうみたいですね」
「おお珍しい。『ひきょーものー!』とか言わないんだ?」
「……理解出来ますから。私も」
「ふーん。そう」
美咲はコートからナイフを抜き放つと、腰を落として構えつつ思考を巡らせる。少なくとも余裕を持って戦える相手ではないだろうことは確か。軽く抜き放ったように見えるナイフも、鉛の塊かのような重量に感じていた。
(どうする……。立ち向かうか、逃げるか……)
立ち向かうのであれば相応に厳しい戦いになるだろう。定食屋での行動も鑑みると、パーカーに武器が隠されている可能性も高い。
ならば逃げる択。その場合は逃げ切るか、もしくは若葉がここへ辿り着くことを信じて時間を稼ぐ。
(とはいえあの人にはテレポートがある……! 条件があるかは分からないけど、逃げるにしても隙を作らないと――)
結局のところ、取れる選択肢は立ち向かう一択だった。そして更に思考を巡らせた後、美咲は一つの疑問を投げかける。
「……魔法少女は表立った行動をしていない。貴女達『宝石の盾』のような大きい組織であれば、こんな場所で戦うのは不味いんじゃないですか?」
「あー、そこは気にしないでいいよ。あんたなんかじゃ知り得ない事柄ってのがあるからさ……。数人くらいなら巻き込んだって、ちょっと建物荒らし回ったって関係ないんだわ」
「それはどういう――」
「はーい、おしゃべりは終わりね。時間稼ぎに付き合う気なんてさらさら無いからさ。……ま、仮にいくら稼いだところで無駄かもだけど」
小冬は会話を断ち切り、悠然と間合いを詰める。思惑を見破られた美咲は、覚悟を決めてナイフを持つ右手を向けて構えた。得物のリーチでは圧倒的に負けているうえ、どのような戦法を取るかが分からない。ならばと、こちらから先手を取るために。
(攻撃のタイミングを計れ……魔法を惜しむ余裕はない……!)
美咲がダガーの間合いに入る寸前。一歩を踏み出そうと小冬が足を上げたまさにその瞬間、美咲は間合いを詰め――
「――うあっ!?」
――ようとした時、不意に光に目が眩む。小冬はダガーで街灯の光を反射し、美咲の左目を照らしたのだ。
「安直すぎだって、それ」
美咲は再警戒すべきダガーへの対応を優先し、万全でない状態での対処を避けた。至近距離まで踏み込むことが出来なかった。それはつまり狙っていたアドバンテージが消え去り、小冬の優位な間合いに持ち込まれたことを意味する。
そして、ダガーが美咲の左腕をなぞるような軌道で振り上げられた。
「――おっ、やるじゃん!」
感嘆の声を上げたのは小冬。美咲は魔法による反射速度をフルに活かし、どうにか斬撃を避けた。
(腕を狙ってきたってことは、戦力を削ぐことを優先してきてる。正直、急所を狙われるより厳しい……!)
美咲は現状では不利と判断し、左手にもナイフを持つべくバックステップで距離を取る。コートの内に左右二本ずつ仕舞われているため、引き抜くのに一瞬の時間を要するのだ。それを稼ぐためのバックステップであるが、しかし小冬はそれを許すまいと踏み込む。
(……大丈夫、踏み込みは浅い!)
小冬は攻撃を空振った直後。対して美咲は最初から回避に徹していた。それらが二人の状態と体勢を、次の動作がスムーズに行えるか否かを分けた。結果、小冬の踏み込みは若干足りず、左腕でのフックは空を切った――はずだった。
(……来たっ!!)
美咲が左手をコートの内に突っ込んだと同時に、小冬の振るわれた左袖から黒い棒――特殊警棒が現れた。それはフックの勢いで飛び出し、不足したリーチを埋めて美咲に迫る。
「やっぱり武器を隠して――くうっ!」
美咲は右手のナイフでそれを受ける。が、重い。小さなポケットナイフでは衝撃を受け止めるのに不向きなこともあり、ナイフごとガードが弾かれた。
「ほー。流石に良い反応してるけど、筋力が足りないんじゃない?」
同じ轍は踏まないと、美咲は次いでのダガーによる斬撃を正面から受けず、刃と刃を滑らせながら受け流した。
そして次。二度目の警棒による打撃。先ほどナイフが弾き飛ばされた失敗を「むしろ警棒を掴み取るという選択肢が増えた」との認識にスイッチし、本番とも言えるこの重要な打撃の処理について導き出した。その瞬間だった。
小冬の持つ――否、正確には持っていた警棒は、美咲が備えていたいくつかの予測と全く異なった動きを見せた。
重要な一打を放つためのそれは容易く手放され、地面へと落下する。瞬間、美咲の左側頭部に衝撃が弾けた。
(……あ、れ……っ?)
美咲の傾く視界はそれの正体を捉えた。視界の外から、意識の外から叩きつけられたスニーカーを。小冬の右脚によるハイキックを。
「――あうっ!!」
どうにか咄嗟に両手をつき、頭を地面にぶつけるのを回避する。幸いにも威力が乗り切った蹴りではなかったため一撃で気絶することもなく、ダメージはあるものの姿勢を崩すだけで済んだ。
しかし、「幸い」なのはあくまでもハイキックに対してだけである。
「結構身体に傷痕がある割にさ――打たれ弱いんだねぇ!」
小冬は歪んだ笑みと共に追撃を繰り出す。ハイキックの勢いそのままに回転し、威力を増した蹴り。いつか美咲も小夏に対して行ったものと同じ、サッカーボールキック。
「――い、づぅっ!!」
美咲は腹部を狙ったそれをどうにか両手で受け止めた。が、代償として左手のナイフが踏みつけられ、靴と地面とで固定される。
(一連の動きが繋がってる……! 意表を突くだけじゃなく、私の戦力を確実に削げるように組み立てられてる……っ!!)
美咲は戦慄しながらも、手遅れにならないうちにナイフを手放すことで拘束から逃れる。そのまま横に転がることで今度こそ距離を――
「はーい逃げちゃダメ。喧嘩はこれから面白くなるんじゃないの」
――取ろうとしたその先に、小冬の投げたダガーが突き刺さる。投げるモーションを見た直後からブレーキをかけたことで身体が貫かれることは避けたものの、離脱は許されなかった。
(……退路は塞がれて、その上地面に転ばされてる……。そのせいでコートがぐしゃぐしゃでナイフを抜くにも時間がない……! だけど、まだ……!!)
小冬は先ほど落とした警棒を拾い上げるために屈む。即座に素手での追撃をせず、警棒を持つことで取れる選択肢を増やす腹づもりなのだろう。
(……ならまだ、活路はある……っ!)
警棒を拾い上げる一瞬。その猶予では広がったコートを手繰ってナイフを抜くには足りないが、しかし別の――すぐ脇に突き立てられたダガーナイフを抜くには事足りる。
美咲は上体を起こし、逆手でダガーの柄へと手を伸ばした。その瞬間。
「……なっ――」
一挙手一投足をも見逃すまいと魔法を行使していた美咲の視界から小冬が消える。高速移動などではない。その要因は無論――
(――テレポート……っ!!!)
美咲の理解を裏付けるように、ダガーへと伸ばしていた左手首をがっしりと掴まれる。無論、掴んだのは小冬。
「だからさ、何度言わせるつもりなんだって。安直過ぎんのよ。警棒を拾うなんて誘いに決まってんじゃん? ……ま、その辺は情報量の差から仕方ないことでもあるんだけどさ」
なんらかの対処をする暇すら無く、仰向けになった美咲に小冬がのしかかる。美咲の下腹部あたりに腰掛けるような形の、即ちマウントポジションである。
「これ、分かるでしょ? マウント。今からボッコボコのグッチャグチャにするから……覚悟してね」




