魔法少女の頼みごと⑤
魔法少女『ミラージュ』――木枯 小冬は孤児院『宝石の庭』を出ると、獣道と見紛ってしまうような山道を消えかけの夕陽を頼りに降りてゆく。
穏やかな自然の香りが空きっ腹に響くのを堪えつつ三十分も歩くと、大きい割にくたびれた平屋や個人経営の飲食店、酒屋などがまばらに現れ出した。
「お、関さんのとこの商品売れてんじゃん。めずらしー。……んじゃ記念に私も買ってったろ」
小冬は道すがら、とある店の前に置かれたワゴンの中から黒いリボンの付いたかんざしを手に取ると、傍らの箱に小銭を入れる。
「和洋折衷って事なんかなこれ。ま、面白くて良いじゃん」
それを弄びつつまた小冬は歩く。木々の隙間を歩くタヌキを遠目に見たり、路肩に倒れた自転車を立て直したり、畑を囲う有刺鉄線の歪みを直したりと沢山の道草を食いながら。
そうして白い大型のバンが停められた空き地の先、一つの定食屋の暖簾を潜った。すりガラスの引き戸を開くと、途端に喧騒が飛び出してくる。
「よーっすおばちゃん! 元気〜?」
「あら冬ちゃん! 元気よ元気! 今日は夏ちゃんは?」
「んーん、私だけー」
小冬は店の明るさに負けないほど元気で若々しい店主と挨拶を交わすと、賑やかな店内を一瞥する。
「なんかめっちゃ混んでんね?」
「そうなの。今日はミーちゃんが手伝いに来てくれる日だからよ。全く、美人さんが来たときだけいきなり忙しくなるんだから! 厨房に居るけど挨拶してく?」
「んーん、いいや。どうせ忙しいっしょ」
「まーねぇ。冬ちゃんには悪いんだけど、入るなら相席になっちゃうよ? 良けりゃ適当に座っちゃいな。どうせこんな田舎じゃ顔見知りばっか――あ、そういえば」
「ん、どったの?」
「いや、珍しいお客さんが来たんだっけ。冬ちゃんと同じくらいの……姉妹かしらねぇ。窮屈にしてたら可哀想だし、邪魔にならなそうなら話し相手にでもなってやんなさい。奥の座敷に居るから」
「確かに珍しいねぇ。おっけー、任しとき! あ、水自分で持ってっちゃうよ」
意気込みを示すようにぐるぐると肩を回し、騒々しい店内をずんずん進んでいく。顔見知りに声をかけ、または絡まれながら、奥の座敷に上がる。
「ちはーっす! お食事中のところ済みま――」
障子戸で視界を遮られた向こう側、席に着いていた二人組と視線がかち合う。
一人。肩までの髪をぴょこぴょこ跳ねさせながら、口いっぱいにご飯を頬張った少女。鏡座美咲。黄色のヘアピンで分けられた前髪から覗く瞳は闖入者を見ていながらもキラキラと輝き、生姜焼きの美味しさを物語っている。
そしてもう一人。ツンツン外にハネた髪の少女――一之瀬若葉は、カツ丼を頬張る手を止め、鋭く吊り上がった目を大きく見開いた。
「――おやぁ? これはちょーっと予想外な展開かなぁ〜」
「ふぇめっ――んむ。テメェは……!!」
「……っ!?」
美咲はリスのように頬を膨らませながらも、若葉の雰囲気の変化に気付き、立膝になりナイフのように箸を構える。
「おーっと、こんな人の多いところでコトを構える気してんの? 落ち着きなって。あ、それと相席させてもらうわ」
「んだと……?」
警戒する二人を意に介さず、小冬は席に着く。
「……クローバーさん、この人は?」
「ミラージュ。本名、木枯 小冬。小夏の姉で、『宝石の盾』の幹部……それも『欠片』の最上位クラスだ」
「なんっ……!?」
「そう。そして若葉ともそこそこの知り合い。あんたもアレでしょ、変身してないけど鏡座美咲っしょ?」
へらへらと笑いながら指を差す小冬を美咲は睨み付ける。若葉が言うには、対人特化の魔法少女である『欠片』の最上位クラス。つまり一切油断のならない相手である。
「テメェ、なんでこんなとこに居やがるんだ? 探知系のヤツの差し金か?」
「あ? それはこっちのセリフなんだけど。ここ、私の小さい頃からの馴染みのお店だから。……おばちゃーん! 私レバニラ定食でー!」
小冬は注文を通すと、その大きなパーカーを脱ぐ。下はただのトレーナーであり、二人に袖口を見せ付けることで武器が無いことを確認させる。つまり、本当に敵意がないことの証明だった。
「今めっちゃ混んでるじゃん? んで年の近い人が居るって聞いて、相席をお願いしに来てみたら……びっくり仰天ってわけ」
「……マジで偶然で、やり合う気はねぇんだな?」
「そう言ってんじゃん。殺れば褒賞金は出るだろうけど、今のところ金にも困ってなきゃ命令も出てないし。つーか、そもそもここご飯屋さんだよ? 殺すとかあり得ないっしょ」
二人は倫理観に満ちた発言を突きつけられ、やや狼狽えて顔を見合わせる。若葉は言い返せず受け入れているようだったが、しかし美咲の思考は違った。
(……相手に戦う意思はない。つまり、必ず先手が取れる……。ほぼ確実に殺せる)
そうして意識を集中するものの、若葉は目線でそれを制した。直後、足音が迫る。
「――はいレバニラお待ちどう!!」
「おばちゃんありがとー! この二人ね、ちょうど私の知り合いだったわ!」
「そんじゃあ心配は要らないね、良かった良かった! お姉ちゃん達も混んでるとか気にしないで、ゆっくり食べてってね」
店主が笑顔で厨房へ戻るのを見届けた後、小冬は笑顔で料理に箸をつける。それを見た若葉の溜め息を合図に、美咲も肩の力を抜いて座り直した。
「ね、ここの料理美味しいっしょ?」
「ええ凄く。……今しがた余計なスパイスが加わったようですけど」
「ほー、敵とは雑談もしたくないってこと? あんたってそんなツンツンキャラなの。覚えとこっかなぁ」
小冬はニヤケ面を崩さず、二人へ交互に視線をやる。
「つーかさ、あんたらこそどうしてここに居んの? 片や責任放っての逃亡者、片やブラックリスト入りのやべーやつだってのに」
「……どういう意味だよ?」
「は、何? マジで偶然!? あっはは、おもしろー!! 教えんとこ!」
笑いながらも器用に、そして存外綺麗に食事を続ける小冬。それを他所に若葉はカツ丼を一気にかき込み終えて立ち上がる。
「ちょっと手洗い行ってくるわ」
「いってらっしゃーい。あ、トイレの中から『真眼』使って何か探そうだなんて思わない方が良いよ」
「……チッ、そうかよ!」
思惑をピンポイントで潰され、露骨に苛立ちながら座り直す。
「あっれぇ行かないのー?」
「うるせぇよ」
美咲はその間も食事を続けるが、言葉は発さない。というより安易に発することができなかった。
(私達とこのミラージュって人じゃ持ってる情報が……手札が違いすぎる。『闇医者』さんの立場も踏まえて、些細な情報も渡すべきじゃない)
あくまでこの場では一緒のテーブルで食事をしているが、間違いなく味方ではない相手。かつて紗夜と共に居た頃の自分であれば、こんな場所でも構わず不意打ちを狙っていただろうと、何処となく他人事のように思う。心中には安堵とも落胆ともつかない感情が渦巻いていた。
「ねぇねぇ、鏡座美咲……。美咲ちゃんって呼んでいい?」
「……」
「無言の肯定って受け取っとくわ。美咲ちゃんさ、歳はいくつ? 何のために戦ってんの?」
「……どうして教える必要が?」
「おー酷い。こっちはただ楽しくご飯を食べようとしてるだけなのになぁ。じゃ、そういう話はいいや。辛いのは好き?」
「……」
「私ね、辛いの好きでさ。そこの七味取って欲しいなぁ……なんて。ここからだと腕伸ばしても届かないのよ」
「嫌です。自分でどうぞ」
「えぇ〜。全く取り付く島もないのは困るなぁ……話を発展させようが無いじゃん」
「させる必要ありませんから」
「……いや、そんなこと無いでしょ。だってアレでしょ、二人は天羽聖奈を捜してるんでしょ? なら私から情報を引き出しといた方が良いんじゃないの?」
「――っ!」
場の空気が一瞬で凍りついたのを感じ、美咲と若葉は顔を見合わせる。その様子を見て、小冬はニヤつきながら言葉を続ける。
「ほー。若葉はもとより、ツンツン美咲ちゃんも意外にポーカーフェイスが苦手と見える」
「……テメェ、何でそれを知ってやがる?」
「あ? そんなの、若葉が離反したタイミングを考えれば容易に分かるでしょ。天羽聖奈をとっ捕まえた後にいきなり逃げて、そんでスパイとして関わってたはずの美咲ちゃんとこうして仲良くご飯食べてるんだもん。気付かないほうがおかしいでしょ」
「……」
美咲は話を聞きつつも、小冬の真意を測りかねていた。言葉を信用するのであれば、殺害命令も出ておらず、褒賞金も要らないとのこと。
では、なぜ今このタイミングでここまで話を広げようとするのか。情報を引き出そうにも、対応からして効率的でないのは分かっているはずなのに。
しかしながら、その疑問の答えは実にあっさりと明かされた。
「あんたさ、二ヶ月前……『ブレイズ』って魔法少女と戦ったでしょ」
「……っ!」
「あの子は私にとってちょっと……いや、かなーり大事な存在なわけよ。唯一の妹だし。それを痛めつけてくれちゃって、ねぇ?」
小冬の言葉に込められる熱が、そして圧力が強まる。単純過ぎる答えだった故に、逆に美咲が思い当たらなかったのだ。
自分が一番最初に行った「復讐」。それと全く同じだというのに。
「もし天羽聖奈の情報が欲しければ……ってね。早い話、美咲ちゃんのことぶん殴りたいって思ってたわけよ」
ギシリと机を歪ませ、小冬が腰を浮かせる。
「おいテメェ、妙な動きすんじゃねぇぞ!」
「バーカ、落ち着きなって。七味取るって言ってんじゃん」
伸ばした細腕は美咲の前を横切り、対面に置かれていた七味の瓶を掴む。それに二人がほんの僅かに警戒を緩めた、その瞬間だった。
「うあッ!!?」
小冬が瓶の蓋を圧し折り、若葉の顔面へと中身をぶち撒ける。唐突な奇襲に美咲が立ち上がろうとするも、時すでに遅し。
「――若葉さ――」
「他人の心配する余裕あんのかよ」
小冬は腕を振るった勢いのまま、片手で自分のパーカーを、そしてもう片手で美咲が若葉へと伸ばした手を掴む。
「――バーカ、簡単に信じやがって」
その瞬間、二人の姿が消えた。
「な、ぐううっ! 美咲!?」
若葉は唐辛子が目に入った痛みと涙で霞んだ視界ながら、どうにかその光景を捉える。
(ヤベェ……美咲と一緒に飛びやがった!!)
店内の喧騒は密度が高く、この場で起こる騒動に気付いている人は居ないらしい。若葉は財布から取り出したお札を何枚か机に置くと、出口の扉に向かって駆けた。
「すまねぇおばちゃん! お代は机に置いとくから!!」
「あらどうし――」
何か優しい言葉が聴こえたが、それを背にドアを閉じて月夜の下に立つ。正面の森の中に駆け込んで変身すると、明瞭になった視界で脚力の限り跳んだ。
(畜生、やっぱり『真眼』じゃ追えねぇ! どこだ……アイツはどこに飛んだ!? どうする……考えろ! 猶予はねぇぞ……!!)
美咲を守ると誓った。守ると言った。にも関わらず何という体たらくだと、何という大馬鹿なのだと自分を恥じながら跳ぶ。駆ける。
爪が食い込み、血が滲むほど拳を握りしめながら。




