魔法少女の願いごと③
「やあ、こんばんは。……新しい魔法少女かい? 初対面だよね」
美咲の隣に、たんぽぽの花弁のような明るい黄色の光が降り立った。黄色の髪をサイドに纏めた魔法少女、ルミナスが。
数日は待つ覚悟をしていたのだが、出会えてしまった。こんなに早く。
「新しい子が来るなんていつぶりかな。新人さんかい? それとも別の町から? あ、まずは自己紹介からか。私は『ルミナス』。君は?」
「……私は……。わたしは……」
ルミナスは握手のために手を差し出す。穏やかな笑顔で。美咲は応じない。否、応じることができなかった。顔を俯け、必死に抑えていたのだ。いとも容易く優香を消し去った相手への恐怖を、仇のために激昂する感情と己の身体を。
「ん、どうかした? 体調でも悪いのかい?」
美咲の懐には包丁が隠されている。自己紹介の返事をして警戒を解いて、魔物の卵に気をとられている隙に突き立てるのだ。正面から戦っても勝ち目は無いだろう。恨みは復讐を成し遂げたあと、物言わぬ状態になったあとに叩きつければ良い。なので今はとにかく笑顔を返さなければ。……返さなければ。
「……本当に大丈夫かな。実はさ、すぐそこに危ないものがあって。ちょっと行って処理してきたいんだけど……君も勉強するかい? 魔法少女になった以上、君の本懐も人助けだろうし――」
ルミナスは大げさに、芝居がかった仕草で笑って問いかけた。ごく穏やかな笑顔で。
美咲は顔を上げ、正面からルミナスを見つめ返す。にわかに緩んだ口元は、次の瞬間には硬く引き絞られていた。海のように深い色の瞳に憎悪の炎が揺れると、衝動的に、握り込んだ拳をその顔面に叩きつけた。
「――なにを?」
しかし拳は届かず、顔の前でルミナスに掴み取られる。胸の中にある優香との思い出が爆発し、美咲の理性を奪い去ったのだ。
「……人助け、だって……どの口が……っ!!!」
美咲は無理やり手を振り払うと、続けざまに拳を振るう。ルミナスはそれを容易に避け、目を細めた。
「いきなり襲ってくるとは、もしやアレか? 話に聞いたことがある。私利私欲のために魔法を使う、快楽殺人鬼めいた魔法少女。ハーモニーに代わる新たな仲間かと思ったが……ただの狂人だったか」
「……っ!」
「ここでやりあうかい? なら人払いの結界を――」
ルミナスが指でくるくると図形を描き始めるが、それを待たずして美咲は再度飛び掛かる。『ハーモニー』、それは優香の魔法少女としての通り名。それをお前が口にする資格はない、どの口で仲間だなんて言っている、人殺しの狂人はどっちだ……色々と頭に浮かぶが、それを言語化する理性は残っていない。
「――やれやれ、それも許してくれないか。やはり狂人だな。人通りがない時間帯で良かったよ」
ルミナスは鋭く後退して距離を取ると、無造作に片手を突き出す。美咲はそれを知っていた。忘れるわけもない、優香の命を奪った魔法。
「こんな短期間で二人の命が散る……。世のため人のためとはいえ、やりきれないね」
掌が輝き、光柱が放たれた。光とはいえ魔力で生み出されたものであり、光速ではないにせよ高速で飛来するそれを回避することは、一般的な魔法少女の身体能力をもってしても難しい。戦闘経験で軌道を読むか、あるいは見切るだけの距離が必要だろう。今の二人の距離はせいぜい五メートルほど。戦闘経験など無い美咲にとって、王手詰みと言っても過言ではない状況だった。ただし、それは彼女の――鏡座美咲の得た魔法を考えない場合である。
美咲の瞳が淡く揺らめく。すると迫る光柱が、そしてルミナスが揺らす髪の動きがまるで泥のように鈍化する。それは時間を操作し、あらゆる物体の速度を意のままにする強力無比な魔法――ではない。美咲自身の動きまでもスローモーションになっているのだ。
(相手だけが遅くになってるんじゃない。私が……私の脳の処理能力みたいなのだけが高速化してる。多分そういうこと……!)
美咲にはこの一瞬、0.1秒か0.2秒ほどの時間を一時間にも二時間にも引き延ばすことが可能だった。その中で光柱の軌道を見切り、最短距離で回避する最善のルートを見つけ出す。つまり、経験不足や反射神経、身体能力の差を十分に補い得る。
「な――ぐうっ!!」
ルミナスは目の前の狂人を侮っていた。不意打ちとして放たれたパンチは素人同然であり、それを防いだ時には、この相手が自らの魔法を回避できる技量を持っているなどとは露ほども思わなかった。ゆえに光に紛れて叩き込まれる蹴りに反応できず、身体を『く』の字に折り曲げた。
異様に正確で、体重の乗った攻撃。無論それは美咲が魔法によって、正確無比な身体操作を行うことで生み出した威力だった。
ルミナスは蹴られるままに距離を取り、再度相手に視線を、そして両手を――射線を向ける。美咲は体勢を整えると、大きな深呼吸によって理性を取り戻す。
「……すぅー……はぁーっ……。うん、大丈夫。もう大丈夫だよ、お姉ちゃん」
それはまるで傍らに優香が居るかのようだった。別に幻覚が見えているというわけではない。ただその方が落ち着けると――そして確実に目の前の相手を殺せるようになると、そう思ったのだ。恐らく自分は狂っているのだろうと、美咲は自嘲した。
(なんでもいい。狂ってるなら……それはそれで好都合。お姉ちゃんのケジメを取らせられるなら、なんでもいい)
強力な魔法を持ち、躊躇なく殺人を犯す相手と相対するという恐怖は無くなっていた。それでいて、感情の手綱もしっかりと握れている。賽は既に投げられているのだと、強く自覚した。だったら後は目的を遂げるまで走るしかない。