魔法少女の祈りごと②
相対するは鉄色の魔法少女。清楚なアイドル衣装を思わせる装束にそぐわない大きな闘志の宿った鋭い目つきと、まるで一対の角のようにも見えるツインテール。150センチと少しという、自分と同じような体躯に反して巨大な名前――『モノリス』と名乗っていた。
美咲は正面から、いつも通りにナイフを右手に構える。ナイフ本体、もしくはそれを持つ手を叩くことを容易にさせないため、右手は左手より後ろに。それは左半身を相手に向けることで攻撃を限定するためのものでもあった。
「――せいッ!!」
美咲はモノリスが空手を修めていることを知っていた。故に、一打目は最も警戒すべきナイフよりリーチが長く、対角線上を狙え、かつ比較的コンパクトな動作で放てる右下段回し蹴りだろうと予測していた。故に、それを左足へ打たせる可能性を上げるために左半身を向けていた。故にそれは的中し、魔法を使わずとも最小限の動きで回避しつつ懐に潜り込むことが出来た。
「な――は、はあっ!!」
驚愕と恐怖の混じった表情を隠す余裕もなく、モノリスは美咲を突き放そうと左の突きを放つ。流石は格闘技経験者といったところか、咄嗟の攻撃であっても狙いは美咲の右鎖骨。しっかりと右腕の無力化を意図した一撃だった。
美咲は一瞬のみ魔法を行使し、最小限に身を屈めることで突きをすり抜ける。その伸び切った左腕を己の右肩、そして左手によって固定し――ナイフの柄による鉄槌を肘へと振り下ろした。
「ぁ、づぅっ!!」
ミシリと嫌な音を立ててモノリスの骨が軋む。美咲の乏しい筋力と満足に威力を発揮できない体勢での鉄槌では、ナイフを握っていたとしても同体格の魔法少女の肘ですら一撃で折ることは叶わない。しかし、痛めつけるには充分。攻めの起点を作るにはそれで充分だった。
無理やりに左腕を引き抜いて距離を取ったモノリスに対し、美咲は果敢に詰め寄る。左腕を庇いつつ、距離を取るために右脚で前蹴りを繰り出すことは読んでいた。それを捌き、右肩を入れつつ懐へ飛び込み――
(……手の甲。指をゆるく開いたまま、手の甲で広く――!)
――左手の甲で、指の背で両目をはたくように叩きつけた。
「目突き」は指を眼窩に突き入れて眼球を潰す、あるいは抉る技。ほぼ相手を失明に至らせる代わり、小さな目を「点」で狙うため、相応に難易度が高い。美咲は魔法を以てしても、自分の技量では不可能だと断じていた。
故に狙ったのは「目打ち」。標的を目という「点」でなく目周辺という「面」とすることにより、命中精度を高めた技だった。但し目突きとは違い、クリーンヒットさせたとて眼球は潰せず一時的な視覚へのダメージに留まり、目を閉じられればそれにすら至らずビビらせる程度の技――
(――違う。クリーンヒットさせずとも、相手に目を閉じさせる……あるいは咄嗟の回避を強いることが出来るほどの技……!!)
モノリスは美咲の目打ちにより、咄嗟に目を閉じ顔を手で覆ってしまった。
(意識するのは捩じ込むような、深い一撃……!)
ガラ空きになった胴に、鳩尾に、美咲の溜めていた右拳が突き刺さる。ナイフは既に手放されていた。そうして「く」の字に折れ曲がったモノリスのツインテールを両手でハンドルのように握りしめ、顔面に膝を叩き込む。
何度も。防がれても、ガードの上から何度も。鼻骨が砕ける音がしても、肉が潰れる感触があっても、膝が返り血で染まりきっても、相手の身体から力が失われても、何度も、何度も、何度も――
「――ぷはっ! はぁっ、はぁ……はぁ……」
呼吸を止めていられるギリギリまで、そして相手の命をも潰す寸前まで膝を打ち付けた後、両手を放す。崩れ落ちた血塗れの少女は恐らく見るに耐えない顔と化しているだろうが、息はあった。
何も言わず、美咲はナイフを拾った。殺さずに倒した。殺せなかったのではなく、殺さずに勝ったのだ。だが直後、深紅の霧が倒れる少女に纏わり付き――
「……」
――美咲は瞼を開いた。それは数十分前の出来事。今の自分の膝を濡らすのは温水。
何度目になるだろうか。こうしてホテルのシャワーで血と汗を洗い流しながら、その時々の戦いを思い返すのは。美咲は呆けた顔で備え付けのバスローブに着替え、バスルームを出る。そこではふわふわと広がるボブカットの小柄な少女――虚道沙夜がベッドの上に寝転がり、脚をぱたぱたさせて雑誌を読んでいた。
「……ずっと隠れて生活してなきゃいけないと思ってました」
「んお? 珍しく美咲ちゃんから喋ってくれるじゃーん。どったの?」
ソファに腰掛ける美咲に対し、紗夜は雑誌を放って顔を向ける。
「いえ。若葉さん達と一緒に居た時は廃ビルなんかを渡り歩いてて、タオルとかで身体を拭くだけでしたから。……こうやって堂々とホテルでシャワーを浴びたり、普通に街中でご飯を食べたりできるものなんだと今更ながらに思いまして」
「そりゃそうだよ。街中で考えなしに『人払いの結界』を使ったらどうなるか分かんないわけだし。場所と時間さえ考えれば堂々としてても大丈夫なもんだよ~」
約一ヶ月。あの日、『宝石の盾』に確保されそうだった美咲が沙夜に救われてからそれだけが経った。意識を取り戻した美咲が軽く事情を説明すると、彼女はその中に登場した名前――『一之瀬 若葉』に過剰な興味を示した。美咲は自分と共に居ればきっと会えるということを告げると、行動を共にすることに決まった。無論、美咲は沙夜の素性も全て本人から聞いている。
(……虚道沙夜さん。戦うこと、そして殺した相手の死体と……そういうことをするのを至上と考えている人明らかな刹那主義者。……客観的に見れば最低の人間なんだろうけど、どうでもいい。むしろ私にはお似合い……)
理解出来るわけではない。嫌悪感も無いと言えば嘘になる。しかしそれ以上に、一見軽薄で軽率な言動を取っているように見える彼女から学ぶことは驚くほどに多く、有益だったのだ。生活然り、戦闘然り。流石は『宝石の盾』からの手配を切り抜け続けているだけはあると感心してしまうほどにまで。
(それに、むしろこういう自分の損得に……欲望に素直な人の方がある意味信用できる。自由奔放だけど、それに見合う強さも持ってるし……正直ありがたい)
今こうして利用しているような、急なチェックインに人の手があまり介入せず、短時間の休憩が可能なホテルがあること。そしてそういう場所に入る際は常に変身している自分の容姿がプラスに働くことなんて、彼女から教わらなければきっと知らないままだったかもしれない。
「あ、そうだ! 美咲ちゃんの饒舌タイムついでにさ、女子トークしようよ」
「……はい?」
唐突に、紗夜は手をぱちんと鳴らした。




