魔法少女の願いごと①
「んーと、今夜はどうしよっか。安いのは大根と鶏ももと……あ、サーモンだって! どう? 何か食べたいのある?」
二人並んでいる少女のうちの一人。背が高く、やんわりとした雰囲気を纏う――鏡座優香はそう問いかける。対するもう一人の少女は、肩ほどの髪をぴょこぴょこ跳ねさせながら微笑んでいた。
「なんでもいいよ。なんでも」
「もう、美咲はいつもそれなんだから。変に頑固なのに、どうしてこういう時には……まったくもう」
「……えへへ」
優香は口を尖らせ、妹の――美咲の頭を撫でる。二人は姉妹だった。協力して買い物カゴを提げ、スーパーの食品売り場を吟味するさまは仲睦まじい。
鏡座姉妹には両親が居ない。父は優香が物心ついた頃から既に居らず、優しかった母も数年前に突然蒸発してしまった。
14歳の優香、そして13歳の美咲。家族はもう二人だけだが、だからこそ腐らず、海外に住む親戚からの資金援助を受け、力を合わせて日々を過ごしていた。
「……ごめんね、ここ最近帰りが遅くて。生徒会選挙の準備ばっかりで」
「ううん、大丈夫。でもお姉ちゃんって書記でしょ? なんかそんなに忙しいイメージ無いんだけど」
「えーひどーい。結構大変なのよ? 会議が多いとそれだけ沢山のログを管理しなきゃいけないし、他にも雑用が多いのなんのって」
優香は慣れた手付きでセルフレジを通しながらに愚痴をこぼす。事実、彼女の目元にはほんの薄っすらと隈が出来ていた。
「お姉ちゃん、無理しないでね。だって学校だけじゃなくて――」
「――心配無用、お姉ちゃんは強いんだから! ほら美咲。ここお店だから、ね。邪魔にならないように外に出てから話しましょ?」
「はーい」
二人はスーパーを出て、夕暮れ時の町を歩く。車の音や人々の会話、どこかから聴こえる何かしらの音楽までも心地よい。
自宅までは少し遠いが、明るく話しながら、あるいは無言で歩いていく。静かな時間も決して苦ではなく、かけがえのない大切なものだった。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「んー?」
「ありがとね、いつも」
「……ん。でもそれ、お礼を言うなら私もよ。美咲のためにお姉ちゃんは頑張れるんだから」
やがて、河川敷に差し掛かる。この場所から見る夕陽は特別綺麗で、美咲のお気に入りだった。優香はスマートフォンを取り出し、それに見惚れる美咲の横顔を写真に収めた。
「なんか、凄く平和よねぇ」
優香がそう呟くと、美咲も同意するように頷いた。
「うん。二人で暮らしはじめたときは不安だったけど、今ではすごく居心地良いんだ。……きっとお姉ちゃんのおかげ」
「私も。貴女が居てくれるおかげよ、美咲」
優香は美咲の言葉に心が温かくなる。二人で手を取り合っていれば、何も怖いものはなかった。
しかし、ふと優香が足を止める。その顔は固く強張っており、数秒前とは別物であった。
「……美咲。お姉ちゃん、帰る前に用事を済ませなきゃいけないみたい」
「用事、って……。あ、まさかこれ……!」
美咲は周囲を見回すが、人影が一切消えていた。元々人口が多くはない町とはいえ、土曜日の夕暮れに誰も居ないなんてことは滅多にないのに。
一歩前に躍り出た優香は精神を集中させる。脳内に周囲がイメージとしてマッピングされ、その図面上に円形の紋様が浮かび上がった。
「やっぱり、人払いの結界がある。ついさっきこの周辺に貼られたみたい」
「『影の魔物』は人を食べる。だから『魔法少女』はまず人払いの結界を貼る……」
「その通り、しっかり覚えてるわね。まぁ私と一緒に歩いてたせいで美咲には効かなかったみたいだけど」
美咲の口からこぼれた名前、影の魔物。それは不定形で一般人の目には見えない、人を喰らう超常の怪物。喰らうとはその文字通り、人間を丸呑みにして養分か何かにしている……と考えられる。というのも、魔物に関する情報を二人は持ち合わせていない。ただわかっていることは、人々を魔物から守るのは魔法少女ということ。そして、鏡座 優香はその魔法少女だということ。
「姿は見えないけど、気配は強い……。結構な相手みたいね」
優香の目つきが鋭くなる。すると夕陽より眩い光に身体が沈み、今までのパーカーにジーンズというラフな服装から一転。銀色のラインが走るローブのような、ドレスのような衣装で身を包んでいた。髪もただの黒いセミロングから、いつしか装束と同じ派手な銀髪へと変化している。
優香が学業と並行して行っている活動、それが魔法少女業。数年前のある時、魔法少女として覚醒してから、わけがわからない中で徐々に知識を蓄え、魔法の使い方を覚え、幾度となく皆を守ってきた。
一方、美咲は守られる側である。魔法少女なのは優香だけであり、その活動を見聞きしているだけの……ただの人間。
「美咲。貴女は先に帰ってなさい。夜ご飯の時間までには片付けるから」
「うん、わかった。……気を付けてね」
美咲は迷いを見せることなく頷いた。優香は今まで何度も魔物との戦いを制しているものだ。故に心配などしていない――というわけではないが、自分にはチカラがないのだ。この場に居ては邪魔になってしまうだけ。
(なんで……なんでお姉ちゃんだけが魔法少女になったんだろう。もし私も魔法少女になれたら、お姉ちゃんと一緒に――)
そう思ったことは一度や二度じゃない。しかし、どうしようもないのだ。
……わかっている。どうしようもない。だけど、やっぱり心配なことには違いない。土手の上まで走り、近くの家の石垣に身を隠す。家に帰れと言われたが、せめてその戦いは見ていたかった。
優香は美咲の背中を見送ったあと、魔物の気配へと向き直る。そこにひとつの黄色の光をまとった影が飛来した。
サイドにまとめている髪はたんぽぽの花弁のような、明るい黄色に輝いている。腹部や肩・腋・太ももを露出するスポーティーな服装ながら、随所に翼の意匠やフリルがあしらわれたカラフルな衣装がまさにといった印象の――もうひとりの魔法少女だった。
「『ルミナス』。やっぱりこの結界は貴女ね。……状況は?」
「やあ久しぶり『ハーモニー』。いやぁ、結構不味いんじゃないかな。私の魔法が当たれば倒せるだろうけど、まず当たる速度じゃない。どうにかして隙を見つけなきゃ」
「……だいぶ骨が折れそうね。協力するわ。私が動きを止める」
ハーモニーと呼ばれた優香の目には、地面から染み出すように出てきた魔物の姿が映る。それは2メートルほどの大福や饅頭のような……言ってしまえばスライムだった。ただし、とびきりの悪意で満ち満ちている。
「――来るわよ!!」
二人が跳ぶと、一瞬前まで立っていた地面がその黒い塊によって抉られる。速く、そして相当に重い攻撃。
優香は空中でくるくると回転しながら腕を振るう。銀色の魔力の飛沫が舞い、着弾地点が小さく爆ぜる。さながら絨毯爆撃のような面制圧攻撃だった。威力としては心もとないが、隙を作るには最適である。
美咲は慎重に、こっそりとその様子を伺う。魔物の姿を見ることはできないが、微かに聴こえる会話と、二人の動きや弾ける石の様子でなんとなくは理解できた。やっぱりお姉ちゃんは格好いい。
「ルミナス! お願い!!」
「はあああっ!!!」
着地したルミナスは両手をかざす。すると両手が輝いた一瞬の後に、人間程度なら軽く呑み込んでしまうほどの厚みを持った光の柱が――レーザービームが放たれる。超自然の光を収束させ、破壊力を持たせる魔法『ルミナリフレクション』。それが彼女の持つ必殺の魔法だった。
放たれた光は鋭い音を立て、石や岩、まばらに生えた草を抉り取っていく。軌道上に残るのは陽炎めいて歪み、赤熱した空気のみ。
しかしながら、魔物はそれを容易に回避した。
「な、馬鹿な……!?」
続けざまに放った二の矢・三の矢も同様にかすりすらしない。いかに自慢の必殺魔法とて、やはり当たらなければ無意味だった。
それどころか魔物は、ルミナスの両手が引き戻されるより速くその眼前へと肉薄していた。
「やっ、まず――」
「――危ないっ!!」
油断か慢心か。ルミナスが喰らわれんとした寸前、優香が魔物にタックルを仕掛ける。それは魔力を伴っており、強化された身体能力によって魔物を弾き飛ば――せなかった。不定形の身体はその衝撃を殺し、あろうことか優香の両腕を完全に呑み込んでいた。
(お姉ちゃん!!?)
美咲は今にも飛び出そうとする己の身体を抑え込んだ。何が起きているか、理解できるようなできないような。苦悶の表情を浮かべる姉に対して可能なのは、ただ祈り、願うことだけ。
「ぐ、うううっ……ルミナス!! 助けて……!!」
優香は呑まれた腕に魔力を集中し、浸食を阻む。拘束は強く、引き抜くことはできない。
今なら魔物の動きが止まっており絶好の攻撃チャンスである。しかしながら有効打足り得る『ルミナリフレクション』は高威力な反面精密な調整が効かず、仮に標的に手を触れた状態から放ったとて周囲を、優香を巻き込んでしまう。それ故にこの状況下ではトドメを刺すことは不可能であり、魔物をどうにか引きはがすしかない――
「……残念。君は優しい魔法少女だったのに」
――ない、はずだった。
ルミナスはおもむろに両手を付き出すと、白く細い手を超自然の輝きが包み込んだ。徐々に発光は強まっていき、赤みがかった陽光をも煌々と照らしだす。
「ちょっと……ルミナス……?」
「ごめんよ。今ここでそいつを仕留めなければ、きっと住宅地にまで侵入を許して……被害は拡大するだろう。私にはそれを止められる自信がないんだ。……救える人をきちんと救わなくちゃね」
「……なに、言って……」
優香の表情が困惑と恐怖に歪む。眼前に突きつけられているのは、人を救う希望の光ではない。狂気であり、絶望であり。
「貴女、何をしてるかわかってるの!? 洒落になって――っ」
ルミナスの瞳を覗き込み、優香は絶句した。笑顔だったのだ。それも狂人めいてなどいない、この上なく穏やかな笑顔。彼女は確信していた。自らは正しい、正義であると。
……優香は視線を向けた。ルミナスの後方、土手の上に。宝物が輝いていた。
美咲と、最愛の妹と一緒に生きていく。たった一つのその願いは轟く閃光に掻き消され――
「君は必要な犠牲なんだよ。ハーモニー」
――光が爆ぜた。
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美咲は自分が何を目撃しているのか、視界の先で何が行われているのかを理解できなかった。否、理解したくなかった。脳が、心が事実を拒んでいた。
残されたのは断片的な記憶。商品の入ったバッグはどこへ行ったのか、ニュースではどう報道されているのか。週明けは学校に行ったのか、はたまた家に閉じこもっていたのか。私はこれからどうなる? 知人に引き取られるとか、親戚に連れられ海外に移住するとか、何か言われたはずだが、知らない。わからない。どうでもいい。姉は文字通り消え、美咲は一人になった。独りきりになったのだ。
視界が鮮明に戻った時、美咲は夜の町に立っていた。装飾が少ない無骨な黒いコートの下には胸部を覆う薄手のアーマーと、市販品のようにシンプルなミニスカート、そしてエンジニアブーツといった出で立ち。髪は白く、輝きを奪い去られた銀色とでもいうようにのっぺりしている。深い海のような色合いの瞳に月を映して、立ち尽くしていた。
鏡座 美咲は魔法少女になった。