第1話
20230212公開
いきなり、周囲の光景が置き変わった。
照明塔に照らされた夜の駐屯地グランドが、日中の庭園風な光景に一瞬で切り替わった。
周囲に居た同じ部隊の小隊の隊員の姿も見えず、整然と並んでいた軽装甲機動車は影も形も無い。
常軌を逸した訓練で有事の際の冷静さには自信が有ったが、流石に呆然と周囲を見渡すしか出来なかった。結果は完全武装した小隊員の代わりに場違いな服装をした女性の姿が正面に見えるだけだった。
自分自身の姿も変化が有った。
市街地での夜間暴徒鎮圧に備えて、ボディ部に「戦闘服市街地用」・「防弾チョッキ3型」・マルチカム迷彩のベルトキット・レッグホルスターに収めたH&K USP・閃光発音筒・複数の予備弾倉を纏った上で、2基のGPNVG-18暗視装置を装着したFASTヘルメットを被った完全武装ではなく、生成りの木綿の様な生地で織られた長袖のシャツを着ているのが視界の下の方を占めている。
身体の前にスリングでぶら下げていたサプレッサー装着のHK416も無く、代わりに持っていたのは89式小銃に似た木彫りの木銃らしき物体だった。
それをニスの様な塗料を、動物の毛で造った刷毛を使って塗っていた様だ。
「え?」
思わず、間抜けな声が出たが、自分の声とは思えない高音だった。
次の瞬間、経験した事が無い頭痛が襲って来て、為す術もなく意識を失った。
意識を取り戻した時には、木製のベッドに寝かされていた。
梁が剝き出しで、密閉性が低そうな天井が目に飛び込んで来た。
僕が毎日見ている天井だった。
でも、俺が初めて見た天井だった。
室内に居た誰かが、大急ぎで出て行く音がしたので、そちらに視線を送ると、意識を失う前にも見た女性が壁際からこちらに歩いて来るのが見えた。
僕の乳母だった女性で、今は世話係り兼監視役のマーサだ。
もちろん、俺にとっとては見知らぬ女性だ。
「ザックぼっちゃま、御気分は如何ですか?」
不思議な事に、その問い掛けは二重に聞こえた。
慣れ親しんだ言葉と全く聞いた事の無い言葉とだ。
「だいじょうぶじゃないけど、だいじょうぶだよ。それより、どれくらいねていたの?」
僕は普通に答えて、普通に問いただしたけど、その事に驚いている俺が居る。
「ほぼ丸一日です」
「そうか・・・ かくごしていたよりはましかな?」
「そうですね、目覚めない方も沢山居るそうですから」
『ザックぼっちゃま』の記憶では、『落ち人』と呼ばれる人物の内、死体が後から発見されたり、成長出来ずに早期に死亡したり、発見時からずっと意識を取り戻さなかったり、『覚醒』しても再度目を覚まさなかった例は多かった。
そういう意味では、僕/俺は運が良かったと言える。
ドアが開いて、7人の人物が入室して来た。
先頭はこの城塞都市を含む一帯の領主で、僕の育ての親で義父でもあるダイガ・β・ログナス閣下だ。
その後、その奥様のユラシス様、12歳の嫡男のグイカ兄上、5歳下の双子のルークとサーシャ、文官系爵位持ちが纏う深みの有る青と灰色を基調としたローブを着た見知らぬ老いた男性、召使のルーシーと続いた。
起き上がろうとしたが、ダイガ閣下は手でそのままで良いと示しながら、訊いて来た。
「ザック、気分はどうだ? それと覚醒はしたのか?」
「気分はだいじょうぶです。かくせいもしました」
「そうか。それで、『落ち人』殿とは話し合いが出来そうか?」
ここで初めて、僕と俺がコミュニケーションを取る事になった。と言っても、一瞬で終わった。
強いて言うと、人格が統合されたんだと思う。
ザック君としての感情面は大幅に残り(これまでの人生で培った親愛の情や年齢の割に落ち着いた情緒にしては強迫観念めいた情熱など)、その一方で思考回路は俺が大半を占める結果になった。
きっと、子供の方が多感な為だろう。思考回路まで主導権を取られなかっただけでもマシだと割り切る。
第一、俺の経験上、大部分の感情は訓練次第で思考回路の支配下に置く事が可能だ。
「一応、初めましてと言っておきます」
耳から入る声が、俺が慣れ親しんでいた声音と違うせいか、違和感を感じながら挨拶をした。
「ザックとしての記憶が有る筈なので知っているだろうが、一応自己紹介をしておく。儂の名はダイガ・β・ログナスだ。そなたの義理の親でもあり、この辺り一帯の領主をしている二等級爵だ。こっちが妻のユラシス、この子が嫡男のグイカ、弟のルークと妹のサーシャだ。それと、王宮から派遣されているシス・δ・カーヌ殿だ」
「カーヌ様、お初にお目にかかります」
「ふむ。それで、どれくらい記憶が戻ったのじゃ? 名前は言えるのか?」
「ほぼ全ての記憶が戻っています。元の名は発音しにくいので、正確には言えませんが、ジロー・スズキと言います」
「ズィロゥツィズキィ?」
余り言語に詳しくないのだが、どうやらこちらの世界では鈴木次郎という名は発音しにくいみたいだった。これは先に覚醒した他の『落ち人』の話を聞かされた時にも思った事だった。
「特に問題が無ければ、これまで通りにザックと呼んで頂いても構いません」
「分かった。幾つか訊ねたい事が有るが、構わないか?」
「分かる範囲で、なおかつ答えられる範囲内なら、構いません」
ザック・ログナスは、10年前の或る日に突然発生した『人間出現現象』で現れた『落ち人』と呼ばれる人たちの中では有数の待遇を受けていた。
その理由として、現れた場所がログナス家の居間だった事、直近で次男を病気で亡くしていた二等級爵夫人のユラシス・ログナスが次男の生まれ変わりだから育てたいと言い出した事、新生児にまで若返っていたが身に纏っていた衣服や装備品が軍人かそれに類するモノと判断されて取り込む決断がし易かった事、などが有った。
珍しい黒髪と濃い茶色の目は異国の血を感じさせるが、顔の造作に不審な点が無い事も判断の後押しになった。
育つにつれて、特異な点が浮き彫りになったが、生き残っている事に比べれば、どれも目を瞑る事が可能なものだった。
例えば、全く意味不明な言葉を使ったり、夥しい数の実験を繰り返したり、常識では思い付かない様な魔力の使い方を開発したり、急に情緒不安定になったり、切っ掛け不明で意識不明になったりというものだった。
ノックの音がして、ログナス閣下が許可を出した後に「失礼します」と入室して来たのは家宰のラックスだった。
彼は厳重に梱包された幾つかの箱を積んだ台車を押していた。
新生児のザックが身に纏っていた(というよりも「戦闘装着セット」の中にザックが入っていた)個人装備品の数々だった。
ログナス閣下が俺の方を注視しながら訊ねて来た。
人格が統合されるまでの記憶でもトップクラスに真剣な表情だった。
「さて、これらの品物に覚えがあると思うが、そなたの持ち物で間違いないか?」
「ええ、自分の持ち物で間違いありません」
「詳しくは不明だが、これらは甲冑や武具と分析しているが相違ないか?」
「そうです」
「良ければ、どの様な武具かを教えて貰えんか? 多分こうだろうという仮説は有るのだが、下手に弄って壊す事はしたくなかったので、寸法や外見的特徴のみ記録した後は厳重に保管していた」
「では、後ほど訓練射場に向かう事としましょう」
ここでカーヌ卿がログナス閣下に断りを入れて、発言した。
「ザック殿自身の事を聞いて良いかのう? 何せ、武人と思しき『落ち人』は他には居なかったので、陛下も深い関心を抱いておるのじゃ」
やはり、カーヌ卿はこの王国の頂点に近い人物だった。
ミドルネームに入る「δ」は地球の「デルタ」に相当し、爵位としては4番目に当たる四等級爵だ。
領地持ちのログナス閣下の「β」、すなわち二等級爵に比べればかなり下がるのだが、領地を持たない文官族の爵位としては最上位に当たる。
「『地球』では、『日本国陸上自衛隊陸上総隊』所属の兵士もしくは騎士に相当する武人をしておりました」
ここまでが限度だった。
この地、『大いなる地』は地球では無いとはいえ、所属している事さえ防秘に当たる所属部隊名を上げる事は避けるべきだろう。
「その、何と言うか・・・ うむ、直截的に尋ねるが、その部隊、ひいては軍隊は強いのじゃろうか?」
王国としては最も知りたい点だろう。
もし上手く地球で発展した武力を取り込める事が出来れば、存亡の危機にさらされている『大いなる地』の人類が盛り返す事が可能になるかもしれないのだ。
「かなり強力である、と言えますが、直接的且つ大規模に役に立つかと訊かれれば、残念ながら不可能かと思います」
カーヌ卿は辛うじて表情を変える事を耐えたが、目には落胆が浮かんでいた。
「ですが、応用する事は可能と考えております」
カーヌ卿の表情が加速度的に明るくなった。
そう、ザック君だった頃に、無意識の内に俺の知識を使って試そうとしていた『魔法』と『魔具(魔法発動用の杖)』の組み合わせを完成させれば、この世界では画期的な武器になる筈だった。
お読み頂き誠に有難う御座います m(_ _)m
第1話 『異世界での覚醒』をお送りしました。
次話は2023年2月18日に投稿予定です\(^o^)/