三代目、ホームランを打つ!
俺の名は拓朗。
38歳・クソ田舎育ちの元ヤンだ。
既婚者、子供は2人。
無精髭を生やした、オヤジ体系までいかないガッチリ系。
趣味は、週末のパチンコに釣りに酒。
自動車屋の家業を継ぐ?継がされそう?
そんな野郎だ。
まぁ、ようは自動車屋で働いてるって事。
肩書きは一応の店長。
自動車屋と言っても色々な会社、企業があると思うが
ウチは車検や修理がメインで、
今は亡き祖父からの代々続く
田んぼに囲まれた小さな町工場。
少し自慢があるとすれば、
40年間潰れず続いてる事ぐらい。
客層と言ったら・・・
ジィさんバァさん、野良猫に、虫共が常連客だ!
工場は決してきれいとは言えず、
ホコリ臭く、オイルの匂いが充満している。
そこには、俺が幼少の頃から働いてくれている
従業員の齊藤さんが、いつもまっ黒け
になるまで働いてくれているんだわ。
事務所には、寡黙な親父(社長)
と口から産まれてきたような母ちゃん(事務)
あと番犬の柴犬がいて、
ジィさん、バァさん客の相手をいつもしている。
俺か? 俺は工場の中隅に自分で囲い小屋を作って、
そこをホームグランドとしていている。
収集癖があるもんで、シリーズ化したミニカー
釣り竿、単車や車の部品が飾られている。
何かゴチャッと汚く聞こえるけど、
ソファにパソコン、コーヒーメーカー、
扇風機、ヒーター、
パチスロ台まである豪勢な作りで、
俺にとっちゃ天国よ(笑)
そんな俺だけど、仕事だってちゃんとしてますがな!!
ジイさんバァさん客からも結構人気で、意外と頼られる。
『拓ちゃん、バンパー外れちゃったからハメてくれや~』
とか、(お前がぶつけたんヤロが!)と心の声。
『ラジオが急に聞こえ無くなっちまってね~』とか、
(バァさんの耳が更に悪くなってんヤロが!)と心の声。
ま〜 色々 金にならない話を平気でしてくる訳で…
だけど 頼られると 何か悪い気がしなくて
めんどくさながらも サクッと 『ええよ〜』
って ニッコリ 引き受けちゃう 俺。
対価は 田舎特有の野菜や ありがとうの声。
ムムム、と思うが、『心からのありがとう』が聞ければ
(良し)としようと、思うようにしている。
齊藤さんも結構なお歳なもんだから、
修理のお手伝いをしたり、野良猫を追っ払ったり、、、
虫を駆除したり、、と毎日忙しい。
俺のお客と言えば 猫や虫だけじゃなく、
地元の仲間達がメイン客。
どいつもこいつも連絡をよこさず
突然 工場の俺の基地に現れ
タバコぷかぷか、世間話、昔話に 馬鹿話。
好き勝手話した後帰って行く。
たまには仕事の話も持ってこいっての!!
昔からの連れで ま~どぉしようも無い
マンガのような奴らばっかりで。
ガキの頃から散々悪さしてきた悪友達、
中には出世したのもいるんだけどさ
そんな相変わらずな仲間達が俺は
結構好きだったりするんだよね。
まぁ、そんなこんなで 日々 似たり寄ったりな
毎日が続いてくんだけど、、
俺、やる気が無いように見えるだろ?
そうです。やる気無いんですよ。
気合い入って無いんですよ。
嫁、子供いて 仕事がやる気無いって終わってますよね?
(昔はそうじゃなかったんやけどなぁ…。)
~遡ること20年前~
俺は18歳の高校生。
高校生活 3年間は ほとんど彼女の家で過ごし
バイトや仲間とのバイク遊びに
明け暮れていたんだけど、18ともなりゃぁ
ボンタン、短ランは脱ぎ捨てて、正規の学ランを着、
そろそろ進路を真面目に決めなくてはいけないお年頃。
工業高校に通っていた俺は、
最終的に3つの進路に絞っていた。
人生三叉路の分かれ道だよ。
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1、美容師になるため 美容専門学校へ行く。
(この時、ドラマの影響からかカリスマ美容師という、
言葉が生まれ
流行りに乗りたい俺は美容師も候補にした)
美容師になればモテまくりだし、
田舎者の俺にとっては雑誌などの美容師さんが
ものすごく煌びやかで、おしゃれに映っていた。
はるかかなた東京 原宿・渋谷で勤務し
茶髪のロン毛パーマ。
小麦色した肌からは ほのかに香る
バニラやココナッツの香り。
何を見てそぉ思ったのか、
そんな美容師になりたいと本気で思っていた。
2、職人になる。(働く)
やっぱ男なら職人やろ~ と
いうことで職人にも憧れた。
結構 大真面目に働くことも考えていて
工業高校の先輩が、庭師になっていて
ものすご~くかっこ良く見えたんだよね。
地元悪友達も 職人になる奴らが多く、
やんちゃな俺も作業着に目を輝せた。
3、自動車の専門学校へ行く。
うちが車屋なもんだから
ありきたりっちゃありきたりだよ。
商売人の家に産まれたのなら、
少なからず息子ってもんは 将来
家業を継ぐ事を頭の隅に置いているはずだ。
親からは特に言われていた訳ではないが、
なんかそれも有りやなって。
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そんな感じで3つの候補が自分の中で
だいたい絞れてきたんだけど、
最終的にはやっぱり親のアドバイスや一声が
決め手なんだよね。
その3つの候補を親に話すと、
職人だけはやめてと母ちゃんに言われた。
昔の人って、なんか職人に対して
すごく偏見みたいなものがある。
地域柄なのか俺の仲間達を見て言うのか、
とにかく「汚いニッカポッカで家を出入りせんで」と。
この時はほんとに(何でや?)と意味が分からず、
ただただ腹立たしかった。
(まぁ、今考えてみれば 住居は工場の二階にあり、従業員、お客がいつも下にいる状況で作業着来てイキったガキが うるさいバイクで出入りされるのが嫌だったんやろう。)と 思うようにしている。
となると2つに絞られる。
働くのも確かに面倒だし、美容か自動車か・・・
とりあえず 専門学校の詳細から調べてみようと
何校かをピックアップしてみた。
まずは煌めく美容専門学校。
学校のパンフレットを見まわす。
(フムフム、へぇ~~楽しそう! )
(どこに学校あるんやろ)・・・
、、おいっ めちゃくちゃ遠いやんけ。
県、離れるやんけぇ!!
そうなんです。俺の地元はクソ田舎、
駅までもかなり遠く、美容専門学校までの通学を
ざっと見積もっても家から2時間以上
かかるではありませんか・・。
しかも、単車、車、の通学不可ときてやがる。
その時点でかなり萎えた。
俺の華の美容師が、
ここで敗退・脱落・ドロップアウト。
崩れ去ったわけ。
一方、自動車の専門学校ときたら、
県内だし 単車・車通学OK。
鈑金・塗装の科もある!
(職人に憧れがあった俺には高得点)
何かの縁なのか、親父の卒業した学校でもあるらしい。
単細胞の俺は あと先考えず この一校に的を絞った。
そして見事楽勝で合格(面接だけやもんね)
高校を無事に卒業。
その春から鈑金・塗装の科がある
県内の自動車専門学校に
2年間通う事になるわけで。
人生の三叉路の一本道を歩み始めた。
(この頃ぐらいからか、
やっぱり俺はウチを継ぐんやろうなぁと薄々感じていた。)
専門学校生活は、、
まぁこれと言ってドラマは無く、強いて言えば
高校の3年間付き合っていた
地元の彼女と別れた事ぐらい。
早く卒業して、いっぱしの
鈑金・塗装職人になりたいと いつも思っていた。
就職活動も割とうまくいって、
地元の隣の市の 大きな鈑金工場に就職が決まって
国家資格も取得。
専門学校も無事に卒業し
21歳 晴れて鈑金・塗装職人よ!
この会社で社会人をスタートするわけだけど、
実家とは全く違う会社なわけ。
今まで、自分のウチしか車屋って
知らないもんだからさ、
綺麗で大きくて、設備もすごい。事務所なんか
でかいテレビモニターなんか置いてあって、
水槽には綺麗なドデカイ熱帯魚だよ。
隣のちょっと離れた市なんだけど結構栄えていて
田舎の地元とは全然違う環境。
口が悪い社長にその右腕の専務、
いっつも怒られている営業が1人、
口うるさい事務員1人に職人が8人。
8人の職人の中でも 4人は鈑金職人、4人は塗装職人と
別かれていて、俺は鈑金の部署に配属になった。
職人の皆は1番若い俺を結構可愛がってくれて、
特に 師匠でもある10歳離れた親方と、
塗装屋の6年上の先輩には仲良くしてもらっていた。
だいたい 不良やってた奴らはさ
共通部分があって
直ぐに仲良くなるんだよね。
週末にはしょっちゅう会社の皆んなで飲みに行っちゃ、
先輩の家に泊まったり、バイクでツーリングしたり、
自分の車イジりも散々やった。
社長、専務、事務員はだいたい定時で帰るから、
バレないように 夜な夜な
シャッター閉めて、仲良し四人くらいで 朝まで
バイクいじったり、車いじったり コソコソと
散々したもんだ。
俺以外、皆んな既婚者なのに。
この頃はホントに楽しかった。
この道に進んで ホントに良かったって 心から
思った。この時間がいつまでも続けばって。
入社して、3年くらい経った頃 その時付き合っていた
彼女(現カミさん)に子供が授かり、
結婚する事となった。
彼女(現カミさん)は、地元の悪友の彼女の紹介で、
特定の女はしばらくいらないと思っていた俺に、
ビビビとこさせた女だ。
結婚し、子供も授かり、一家の大黒柱となった俺は
地元を離れ 家を借り 益々 仕事には精が出た。
7年目、仕事も大分任されるるようになり、
後輩も出来た。
もぅいっぱしの職人と言っても
過言ではないだろうと自負する。
この頃、親方が独立して
会社を辞めてたんだけど、俺自身も
今後の事をものすごく考えるようになった時期。
(親の会社に戻って 俺が鈑金・塗装をやろうかなぁとか。)
その頃の親の会社(実家の車屋)って、
従業員も3~4人いて
鈑金・塗装も 工場長と言われてた結構年配のおじさんが
1人でやっている状況だった。
田舎のくせにそこそこ繁盛はしていたみたい。
そして俺は考え抜いた結果、まだ家には戻らず、独立した親方の会社の門を叩いた。
そこでは色々学んだよ。
今迄とは違う作業のし方、儲け方、経営の仕方、
そして大人の遊び方。
2年くらい経ったころ頃かな、親方からはよく
『お前は 当然、親父さんの会社を継ぐんやろ?』
『いつか継がなきゃ駄目や。』
と、なにかと次期社長になる前提の話を嫌ほどされた。
あるいみ洗脳だよ。
確かに、親父達もいい歳だし、
ウチの工場長も定年を迎える時期だ。
単細胞の俺は、親方の洗脳もあり、
ついに実家の車屋に戻る決意を固めた。
実家の会社に戻ることを親に話すと、
どこか嬉しそうというか 待ってました感が
伝わった。
(これでいいのだ。人生これで間違っちゃいない。
ガキの頃から頭の片隅にあった、せがれが後を継ぐ。
親の背中を見て育ち、祖父から続く代々の車屋。
潰しちゃいけん。そのための階段を少しづつ
上ってきたんだ。)
そう確信した俺は、2年半 お世話になった
親方の会社をあとにした。
30歳も過ぎ、修行を経て、
親の会社にいよいよ入った俺。
戻ったからといえ いきなり社長というわけでなく、
最初は当然新米扱いよ。
定年を迎えた工場長とバトンタッチして、
現場は俺が仕切るようになる。
近所のお客に顔を売り、接客にも励んだ。
そして、新たな風を吹かそうと
今まで培ったものをフルに生かし
やる気に満ちていた。
それには 親父も母ちゃんもすごく
買ってくれていたと思う。
事務所も、工場も綺麗にしなきゃいけん。
掃除もまともにしていなかった従業員に
当番表を作り 掃除させる習慣をつけさせ、
中古車を仕入れては綺麗に直し
会社の前に並べ、インターネットも活用して
集客を計った。
俺が入った事により 明らかに雰囲気も変わり
売り上げにも貢献していた。
(この頃には、給料もアップしており
家も建て、2人目も産まれ the順風満帆
と言った感じ。)
が、そうなるとやっぱり出るんだよ。
従業員の不満、お客からの 親父との比べられ。
従業員からは 直接的に言われないまでも、
明らかな嫌な顔されるし、何か嫌がってる。
お客からも、社長なら いつもこうしてくれる
あぁしてくれる。
俺は(上等や)という気持ちでいたし、
従業員には嫌なら辞めろ。
客には 嫌なら違うとこに行けや。という態度でいた。
そのせいか分からんけど、従業員も後に2人辞めた。
そんな調子に乗っているような俺と
ついに親父と ぶつかる頻度が増え始めた。
親父は昔からあまり口を出す方ではなかったが、
俺の考えと古い考えをした親父、
そりゃ合うはずがない。
俺は時代に合ったやり方をしたい、
会社をもっと良くしたい。
こんな田舎の自動車屋をもっとかっこよくしたい。
親父は昔からのやり方でええ。
新しいやり方なんか見向きもせん。
変える気は無し。
それに金勘定が絡むと いつもケンカになった。
そのうち 大きな怒鳴りあいの喧嘩も増え、
まじでヤってやろうかと 何度も思った。
いつしか口も利かなくなっていった。
母ちゃんが間に入るが、最終的には親父の肩を持つ。
そして喧嘩の際 必ず言う お決まり文句がある。
『嫌なら出ていけ』『自分で独立せぇや』
と親父は怒鳴る。
母ちゃんもそう。あまりに合わないなら
独立したって構わないし
今からよそへ勤めに行ったっていい と言う。
それを言われたら呆れて何も言えない。
反論も出来ん。
母ちゃんに俺の気持ちをぶつけた事も幾度とある。
ガキの頃から 俺は 薄々 親父の会社を
継ぐんかなと感じていたし
家が商売人の息子って 少なからず
敷かれた人生のレールのようなものを感じでいる。
母ちゃんには絶対分からんよ。
高校の進路の時も、職人(働く事)には反対したやろ。
周りもそうや。仲間、同僚、親戚、お客、御近所。
皆が 俺は後を継ぐもんやって思っている。
だから、そのように 階段を必然的に?
いつからか登ってきた。いや、登らされてきた。
しかし、母ちゃんは そんなレールは
敷いた憶えは無いし、言うてきた事もない。
あなたが決めた事。
別に継がなくても全然構わない
お父さんの代で終わらせてもいい と言う。
確かにそうかもしれない。
進路を決める際
いくら親のアドバイス、声があったとしても
親の人生では無い。
自分自身。俺の人生。
決める 決めなきゃなのは
俺自身。この脚でこの道を進んだのは俺。
だけど そんな言い方ありますか?
俺はホントに絶望感と言うか、歯車が狂ったと言うか、
今まで 何の為にこの業界に入り、何を思って
やってきたのか、全く分からなくなった。
悔しさなのか、悲しみなのか、
一気にヤル気が0になった。
否、マイナスになった。
今更なんなんよ。嫁子どもいて 今から別の人生歩めと?
冗談じゃない。今迄の人生 なんなんや。
だけど、ちょっと日が経つと
『そろそろ 拓朗も入れ替わり(後継ぎ)
の準備をせんとやね』とか
『お父さんの やり方覚えんとね』
とか 平気で言ってくる。
継がなくてもいいじゃなく、本心は
継いでほしいけど 口には出せんって感じ。
まじで なんなん・・・。ふざけんな。
と、まぁ こんな感じで
今のやる気のない俺にいたるわけで、、、。
今の楽しみと言ったら、週末、車で20分ほど先にある
場末のパチンコ屋に行くことと
地元に 沢山ある 池・沼 に釣りに行く事が
唯一の楽しみ。
地元の仲間と 小さな行きつけの居酒屋で
飲み明かすのも 癒しの一つ。
これが 現在のルーティン。
仕事なんか全く身が入らず、どうしようかな。
ほんとに独立したろかな。
いや 転職しようかな。と日々思う、、。
求人情報も見ちゃったりね。
でも、俺には嫁子供がいるしなとか…。
ぐらぐらぐらぐら してる。
そんなある日、人生を大きく変える出来事
嘘のような出来事が 起こる!
俺は以前から、ネットで買えるスポーツ宝くじを
頻繁に買っていた。
週一回 抽選しているくじで、1等は約1億円超。
1口100円で買える。
そんなくじを 毎週
10口、1000円を買っていたのよ。
なんと、なんと それが当たったんよ!!
まじで。
1等は2口出てたから、
配当は約8000万円だったけど。
当選の通知が着たときは 体中が震え、
車の中で吠えまくった。クソ吠えた。
泣くほど吠えた。バチくそ吠えた。
『みたかオラぁ~~~!!!』って
何度も何度も心の奥底から叫んだ。
周りは田んぼばっかりやから いくら叫ぼうが
全然問題無し。
神様ってほんとにいるんだと確信し、
このお金の使い道を早速考える。
もちろん誰にも言わず、家族にも言わずにね。
たかだか8000万円やろ、と思うかもしれない。
泡銭やろ と 思うかもしれない。
人によってはホームランでは無いかもしれない。
んな 大袈裟な と言うかもしれない。
でも、俺にとっちゃ 何故か特大大場外
ホームランだった。
俺の 人生をまた変えれる と素直に思った。
それには十二分な金額だ。
チャンスは突然やってきて、それを掴んだ。
浮かれず、散財したり、馬鹿な事は考えず、
じっくり今後を考えたいと思う。
今の自動車屋、跡継ぎの事も含めてね。
さぁ、ここからが 人生のまた分かれ道です。
どんな道があるのか しっかりと足元を見て下さい。
今度は 自分自身で しっかり
人生のウィニングロードを爆走したいと思う。
あ、
その前に ちょっとタバコ買ってくるわ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
この後の拓朗の人生は 皆さんの御想像にお任せ致します。