表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/28

8月4日に出会った彼女 6


 コース料理も終わりに近づき食事は焼きおにぎりか茶づけを選べた。湯割りを飛ばすダイソー以外は焼きおにぎりを選んだ。

 ところで、この一時間半ほどの間に「無印」はちょいちょいトイレへ席を立ち、その間ぼくはこれまで以上に頷いているしかないのだったが、なるほど「子供服」は度々テーブル上の自分のスマホに視線を向けていた。

 「ついでに一服してきちゃいました」と戻ってきた無印が言うと、我々はそれなりにスルーした。

そしてまたなんだかんだの話題に花が咲いた。

 女子二人とぼくは膀胱を競い合っていたわけでは決してないのだったが「無印」以外、トイレに立つ者はいなかった。

 コースを終えるデザートの小倉アイスと温かいほうじ茶が運ばれると、ここにきてようやく「子供服」は席を立った。彼女は一体どれほど赤ワインを飲み続けていたのだろうか? にも拘わらず両手で顔を扇ぐだけの足取りは何ら乱れることなく部屋を出て行った。もちろんスマホを片手に。

そのうち「無印」の尻の横に投げ出されていた彼のスマホが無音で振動し畳を擦った。

 「ダイソー」は薄い唇に少しの力を入れ、はっきりとぼくの目を見た。

 ぼくは笑い出さないように俯き、やはり自分のスマホを少しいじった。「無印」は尻の横でスマホを操作しながら実家で飼っている黒い猫の話を続けた・・・・・・


 「子供服」が全ての意味で涼し気に戻ってくると、さすがに尿意を催したので煙草を持って席を立った。生ビールを五杯飲み、白角のソーダも三杯は飲んでいる。量自体に問題はなくとも、二時間に満たないペースはやや飛ばしている気がした。

 階段横にある、思った以上に広いトイレで小用をすまして下へ降り、店頭の喫煙所で他の客と縁台に座り紫煙を吐いた。先客の赤ら顔の中年男女が二人、仕事の話をしながら会釈してきたので、ぼくも手刀を切って腰を下ろした。気温の下がらない蒸し暑い夜の路地裏で、少し飲み過ぎているぼくは鳴らない風鈴をただ見上げた。


 諸々を済ませて部屋に戻ってみるとどうしたことか、三人は押し黙り「無印」と「子供服」は各々スマホをいじっていて「ダイソー」だけが向かいの壁を見つめている。

 「・・・・・・?」

 子供服はお帰りなさい、と声を掛けてくれた。

 「トイレ広いっすね」ぼくは無印に言ってみた。

 「あっ、うん。確かに」彼はスマホを見たまま、一応は返事した。

 「そろそろラスト行きますか?」ぼくはタブレットを手にした。残り時間は十五分ほどだったのだ。

 「一度締めてもらえば、まだ居られるんじゃなかったかしら?」子供服がぼくに微笑んだ。まだ飲むつもりのようだ。

 何かの感情を伝達された長い手の指がテーブルの上でパラパラ踊り、それから無言で席を立ったのは「ダイソー」だ。彼女もけっこう飲んでいるのだからトイレくらいは行くだろうが・・・・・・

 「階段の横ですよ。何か頼んでおきましょうか?」

 薄い背中を向けている背の高い彼女は部屋の襖の前で一瞬固まり振り向いた。少しだけ赤くなった白い顔の細い目が左右に泳ぐのが分かった。その沈黙に無言の無印が反応していることは明らかだったし子供服は、良くはない予感を持って彼女を見つめた。ぼくが席を空けている間に何かが起こりダイソーは少なからず臍を曲げたか、苛ついたのだろう。あるいは傷ついたのかもしれない。

 「ねぇ、あなたは植物にも感情があると思う?」彼女はぼくに訊ねた。

 「そんなもん普通にあると思いますよ」何の話なのかさっぱり分からなかったけれど、そんなもんは普通にあるだろうからそう答えた。つまり場を和ませられる気の利いた冗談が思い浮かばなかったのだ。

 「そうだな、あるよ。きっとありますよ」スマホから目を離した無印はいくらか神妙な声で何かしらの震源地を見た。

 でもダイソーはぼくを凝視したままグッと奥歯を噛みしめたように見える。だからぼくは答えをしくじってしまったと思った。冗談が思いつかなかったどころの騒ぎではなさそうだぞ!!

 「ないです。ない。ないですよそんなもん」焦ったぼくはあからさまに掌を返した。すると更に場は冷えてしまいダイソーは目の中でぼくを冷笑した。


 ぼくはこの目をよく知っている。十七歳の夏、そっくりな目で見られたことがあるからだ。何も始まることなく、ことは終わる、ってことを思い知ったあの夏のあの目・・・・・・


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ