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8月4日に出会った彼女 4

 「無印」は、内心テンパっているぼくのことを二人の女の子に紹介してくれた。面と向かうと、瞬きや呼吸以外何もしていなかったと言えなくもない、ここ数年の殆どを吹き飛ばすあの彼女は「ダイソー」だった。もう一人はつまり「子供服」だ。

 それぞれの名前と職場を確認し合ってから無印は「いきますか」と号令をかけた。なんとなく自然と三人が並んで前を歩きぼくは一人で後ろをついていった。背の高かい「ダイソー」の後ろ姿を血走るように凝視してしまう確信があったので、だからぼくは(暑かろうがなんにせよ)今日も一日を終え、閉店の準備にほっとする左右様々な店舗を眺めるよう意識して歩いた。あるいは自分の足元を。

駅から続くアーケードを数分歩き左に折れると直ぐに予約していた店があった。古民家風二階建ての居酒屋だった。わちゃわちゃするチェーン店ではなくて、個人経営にしては大きく立派な店構えだ。店頭には四、五人座れる縁台が向かい合って二脚あり、昭和のコントなどで頭に落とすカネのバケツに水が張られている。灰皿の代わりだ。今夜は鳴らない水色のガラスの風鈴も二つほど庇から吊るされていた。

 店員は揃いのTシャツを着てジーパンを履き、雪駄をつっかける。タオルを頭に巻いたり首に巻いたりしてもいる。彼らの掛け声は大きく、店内のBGMはジャズだった。そこはさすがにどこか安易な気もしたが、後に食べることになる刺身全般と脇に添えられたワサビの味には驚いた。全くいささかも安易な味ではなかったのだ。刺身以外の料理も、本当に美味しいものばかりだった・・・・・・


 「無印」が名前を告げると背の小さな金髪の女の子が二階へと案内してくれた。個室だけが六部屋あり「今夜はどうしてか他に予約がないので大きな部屋をご用意させてもらいました」と通路で振り返り微笑んだ。

 一番奥へ通され、そこは十人分の座布団が敷かれている畳敷きの堀炬燵で、確かに四人で使うにはかなりの広さだった。

 「この部屋でいいんですか?」無印は金髪の女の子に確かめた。

 「ええ、もちろん。一応ご予約は飲み放題の二時間コースですが、その頃に一度〆させていただければ、お通しなしの新規、というか追加注文をお受けいたしますので、どうぞラストまでくつろいでいってください」タオルを首に巻く金髪は微笑んだ。

仮に居座るとした場合の、料理とドリンクに関するラストオーダーの時間やトイレと喫煙所の説明を済ませてから、最初のドリンクの注文を繰り返した。「生のピッチャーがお二つでグラスが四つですね」彼女はもう一度微笑み、静かに襖を閉めた。

 ぼくは気持ちのどこかで「朝の踏切」が開いているように感じたのだった。

 左奥に「子供服」が入り、その隣に「ダイソー」で右奥には「無印」が座った。出入り口に一番近い右手前は当然ぼくだ。誰もが楽しそうに広々と間隔を空けて座り、そのときぼくは初対面だった彼女らに受け入れられたような気がした。

 「店員さんとの受け渡しは任せてください」と言うとみんな笑ったが、夏の夜に男女が2対2でお酒を飲もうとしているのだから、まぁ何を言っても笑ったのかもしれない。


 セットされていた小皿や竹の割りばし、白いおしぼりを各々いじりながら、みんながみんな浮かれていた。やはり夏の飲み会はどの季節のそれとは違う。どこか無意識な部分がそう感じているような気がする。誰もが、着ている服は絶対的に薄着なんだよね、と・・・・・・

 お通しの「枝豆」と前菜の「豆腐とごぼう天のサラダ」が運ばれてきて、二つのピッチャーと四つのグラスも一緒だ。順次ぼくが受け取り、料理は「ダイソー」が配った。

ぼくはピッチャーからグラスに注いだ。しかしビールの白い泡は誰も望まないくらいの重厚さになってしまいハーフパイントグラスの半分を塞いだ。

 「それ、自分で飲んでよ」無印が言うとみんなで笑った。


 無印以外、ぼくらは最初の一杯で互いのポテンシャルを測かった。一口目の飲む量と、そのときの沈黙する表情で大体は分かるものだ。瞳を開けたままグラスの底近くまで涼し気に飲む彼女たちは間違いなく酒に強いタイプだ。

 次いで大皿に盛られた「刺身の六種盛り合わせ」と「だし巻き卵」が運ばれたときにはピッチャーの一つは空いていた。大根のつまをこんもりさせて色の強い大葉を敷いた各山には、中トロ、マグロ赤身、タイ、スズキ、甘エビ、真ダコが四切れづつ「立て」られていた。全てにおいてこれ以上に旨い切り身を食べたことはなかった。口の中のトロけ具合、水っけにぼやけてはいない味の輪郭、透明な歯ごたえ、白濁した弾力、咽喉を滑る甘さ、噛むほどに濃いい味。さらに、皿の縁に添えられていたわさびのクリーミーさと若干の甘みには目を丸くしてしまった。刺身用の甘い醤油にも彼女たちは声を上げ手を叩いた。柔らかく甘味が押さえられただし巻き卵にぼくらは口を揃えて美味しい、と言った。事前に店を調べ予約した「無印」は自分が褒められでもしたかのように、誇らしげだった。

 トマトチキンサラダも大皿で来た。テーブルの真ん中へ置くと、今度は「子供服」がトングを使いみんなの小皿へ配った。そしてぼくらはピッチャーのお替りをした。もちろん二つだ。三つでもよかったんじゃないの? とぼくの空の小皿を受け取る、いい香りの香水をつけた「子供服」は本気か冗談か分からない風の独り言を呟いた。

 「エリンギのバター醤油焼き」と「ソーセージ二種」が来ると二時間飲み放題コースの料理も折り返し感があった。

 後半は「のどぐろの開き干物」「大山鳥もも香味燻り」「やきおにぎり(またはお茶漬け)」「小倉アイス」だ。これまで生ビールで歩調を合わせていた「子供服」が「エリンギのバター醤油焼き」と共に赤ワインへシフトすると、トートバックの中に入っていた薄手の黄色いカーディガンを羽織りだした「ダイソー」もいいちこの湯割りになった。一人だけ顔を赤らめる「無印」は梅酒ソーダの薄め。お酒に強くないんだ、と言っていたが、確かにそのような感じだ。ぼくはピッチャーの残りを受け持った。


 全員同じ年だったので、時代的な話題にギャップが生じることはなかったのだったが、たとえばテレビドラマとかアイドルとかの話にぼくは「そうそう」と頷くことしか出来なかった。テレビドラマもアイドルもタイトルや名前は当然知ってはいたけれど殆ど見たことはなく、また誰を「推し」ていたことなど一切なかったからだ。


 ・・・・・・でもそういうことだって社会に出ると、きっといつかは必要になるのよ。

 高校を卒業するとき、アイドル好きだった担任の女教師から言われたことがある。ぼくは心の底から、鼻で笑ったものだ。と、いうわけでぼくにも正しい教師がいたんだな、と思えたのは初めてのことだった・・・・・・




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