8月4日に出会った彼女 3
彼女は万人から可愛いと思われるタイプではない。しかし細身の女性が好みで、月の形状は薄い方が好きという限定的な者は、凹凸のない平坦的で物静かな顔に一目で惹かれてしまうに違いない。つまりぼくは全く当てはまるのだった・・・・・・あぁ、あんな娘が来てくれればいいのにな。広場に一本立ちしている、待ち合わせ場所の背の高い針葉樹を見上げた。再び真正面の彼女を盗み見た。もうスマホを見てはいなくて、沈黙を持って告白するような切れ長の目で、騒がずにはおられないはずの何かしらに対する思考をそこら辺に見つめたまま、ときどきもっと上の方まで視線を向けた。
このまま彼女のことをチラチラ盗み見していると、まず間違いなく高校生の頃に密かな好意を抱いていた同級生の女の子のことを思い出してしまうに決まっている。もしそうなればほぼほぼ無限ループの如く、生煮えのままの記憶は途切れず、あるいは断ち切れずにまた始まってしまうこと請け合いだ。癒えないほどの傷を負ったわけではないのだが、十代ならではの細やかで、そのくせ大袈裟なくらい意固地な後悔が今も刺さっている・・・・・・高校二年の一学期の期末試験中のことだ。十七歳の彼女もやはり薄い月のような容姿だった・・・・・・ぼくはそこでループの入り口に立っていることに気が付いた。危ない、危ない。もういいんじゃないか? あんなこと。彼女だってすっかり忘れているか、初めから何一つ気になどしていなかった可能性だってなくなはない・・・・・・あの日の朝はどうしてかいつも捕まる踏切が開いていて、朝を急ぐ知らない者同士は一つの大きな幸運を争わずに山分けしたような気分だったはず。
当日の試験科目は、担当教師の名前以外は何一つ分からなかった物理と、今では何一つ思い出せない数学Ⅱと、今でも何一つ役立てられてはいない英語Ⅰという、前日の試験勉強を必要としない安息日をもたらしてくれる科目だった・・・・・・今夜のループはそこからですか? ぼくは思わず自分に首を振ってしまった。再び真正面を見てしまうと、ちょうどスマホをチラ見した彼女は立ち上がり、膝の上にあったトートバックを華奢な肩に掛けた。彼女はぼくから見ると左の方へ歩き出した。
ぼくのスマホにも着信が来た。「無印」からだ。
「改札出ました。よろしく」時間は五分前。
座ったまま待ち合わせ場所の「樹」の下に目をやった。そこではあの彼女が白くて長い腕を軽く振っている。待ち合わせていた彼氏でも来たのか? ぼくは立ち上がって彼女が手を振る相手を見やった。水色のTシャツにベージュのワイドパンツを履き、足元はビルケンを引っかける女が小走りで彼女に近づいた。長い黒髪は頭頂部で束ねられていたので揺れることはない。丸いおでこを出した丸い瞳は黒目がちで眉毛は少し太く、そして薄く引かれていた。偽らずに微笑む唇は赤すぎるほど赤い。高くも低くもない中背で、細くもなくふくよかでもない。優しく柔らかな丸みを帯びた女性らしいなかなかの美人だ。ハキハキしていそうであり、同時に清楚な雰囲気がある。そんな二人が立ち話を始めてしまったので、さすがに「樹」の下へは近づきにくくなった。仕方なくその場に立ったまま駅の方を気にすることにした。男一人と女二人の組み合わせが直ぐにでも現れるはずだ・・・・・・
「無印」が一人で広場の入り口に現れたとき胸は黄金色の打楽器を連打した。単調だがメロディーがあっても不思議ではないかのような耳鳴りまでしてきた。「無印」はぼくに気が付かないまま「樹」の下へグングン近づいていき、どこかの美人と立ち話していた薄い月あかりが軽くお辞儀したのだ。直後にハーフパンツの右ポケットへ入れたスマホが再び振動し、ぼくは反射的に腋の下の臭いを確認した。