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昨日の顔合わせはひどく疲れてしまった。
一日のんびりと過ごそうかと思っていたが、婚約回避のために打てる手は打っておきたい。婚約の決定権を持つお父様に直談判するのだ。
このゲームでの婚約破棄によるブランシェへの被害は実は少ない。フェリクスは元々婿入り予定の身であったし、グラニエ公爵家は簡単につぶせるような家でもないため、ただただ婚約破棄をされるだけで追放だったり処刑だとかいった展開はない。
それゆえ、ゲーム内最大のイベントはこの婚約破棄後に起きる魔物の氾濫である。希少な光魔法の使い手であり、膨大な魔力を持つヒロインが攻略対象たちと魔物の氾濫を抑えるために戦い、その功績で愛する二人は身分の差を乗り越え結ばれるという所謂お約束な展開だ。確か、ゲームでも学院で遊び惚けていると必要なステータスを満たしておらず、ハッピーエンドにたどり着けないような内容だった気がする。
そしてこの魔物の氾濫がブランシェが婚約破棄を回避しようとする一番の理由である。魔物の氾濫は魔の森と呼ばれる王家直轄地で発生するのだが、この魔の森は王都とグラニエ公爵家をはじめとする四大公爵家の領地に囲まれるように立地している。
歴史としてはかつて存在したとされる悪しき魔王が封じられている大樹が中心にそびえたつと言われているが、魔物も存在し中心部に近づこうとしても何故か辿り着くことが出来ないため未だに多くの研究がなされている。そんな土地で起きた魔物の異常発生に対し、ヒロイン一行はブランシェがヒロインをいじめたとしてグラニエ公爵家の領地には訪れない。
そのせいで公爵領は甚大な被害を受ける。ブランシェはそれが嫌だった。自分のせいで誰かを傷つく姿は見たくないから。
「お父様。わたくし、あの婚約したくありませんわ」
執務室で書類を読んでいたグラニエ公爵は普段の淑女然とした振る舞いを捨て去り、不満をあらわにドシドシと歩きながら現れた娘をちらりと一瞥をした後、何気なさそうに一言。
「無理だ」
父はいつもこうだ。確かにブランシェへの愛情を感じる瞬間はあるけれど、父の一番は常に母でブランシェにはあまり興味がない。ゲームの設定でもブランシェのプロフィール欄には両親と不仲ではないが折り合いは良くないと書かれていた。
「どうしてですの。別にこの婚約はわたくしでなくても中立派の高位貴族であれば問題ないはずでしょう。」
令嬢としてのブランシェは常に控えめだった。今までのブランシェならこの婚約の重要性を理解したうえで、自分の気持ちよりもフェリクスの安全を確保しただろう。
公爵も違和感を抱いたのか紙面から目を外しブランシェを見据える。
「確かに問題は、ない。だがお前が最適解だ。それに、お前も嬉しいだろう。」
「嬉しい?何故ですか。正直なところ、フェリクス殿下と仲良くしていける気がしませんわ。」
「それでもあれは王子だぞ。」
「別に王族と結婚したいわけではありませんもの。お父様も"アレ"呼びする人間ですよ。わたくし絶対に嫌ですわ!!」
鼻息荒く主張するブランシェは涼しい顔で仕事をしている父に苛立ちが募る。こんなに感情あらわに父と話したことなどあっただろうか。
公爵令嬢として求められる教育を受けているうちに子供としての関わりは減り、事務的なやり取りばかりになっていた。内心こんな態度で父と向かい合って怒られはしないかと焦りながらも、ここは引くわけにはいかない。
「だがしかし、もう陛下に承諾する旨をお伝えしてしまった。懐かしいな、お前が癇癪を起こすのは。ふむ、シェリルのところに行ってこい。」
ブランシェとの話を切り上げ、上着を手に出かける支度を始めた公爵にブランシェは慌てた。
「お父様、話は終わっておりませんわ。あからさまに追い出そうとしないでくださいまし。」
「婚約の撤回は出来ん。」
「お父様!!」
話は終いだと背を向ける父に声を張っても、婚約はなかったことにはできないらしい。これ以上ごねても、グラニエ公爵家が王家に楯突くことにもなるため引かざるを得なさそうだ。
落胆が隠せないブランシェに部屋を出ようとしていた公爵が振り返り、ブランシェに告げる。
「そうだ、お前の習い事だが、もう十分だろう。」
言いたいことを告げ、仕事に出てしまった父にブランシェは困惑しながらも、先ほど父に言われた通り母のもとに向かう。
母にも婚約を取りやめたいと願い出てみようか。もし母が味方になってくれたなら、母に甘い父の考えも変わるかもしれない。
「ブランシェちゃん、今日は習い事はお休みなのでしょう?お母様とお茶でもいかが?」
ブランシェの来訪をニコニコと出迎えた夫人は侍女にお茶の手配を頼みながら席を勧めた。
「はい、お母様。わたくし、お願いしたいことがあるのです。」
「まぁ、お願い事?いったいどんなことかしら」
「わたくし、第二王子殿下との婚約が嫌なのです。お父様にお願いしてみたけれど、駄目でした。お母様から何とかお願いしてくださいませんか」
ブランシェの発言にぽかんとしていた夫人は困ったように答えた。
「んー、お母様でも難しいかもしれないわねぇ。旦那様もブランシェちゃんが喜ぶと思ってこのお話をお受けしたみたいだし…」
ブランシェは父と話していた時から感じていた疑問をぶつけてみた。
「お父様も仰っていましたが、どうしてわたくしがこの婚約を喜ぶのでしょうか」
「あらだって王子様と結婚したいってあなたが言っていたのよ。」
「は?」
思わず令嬢らしくない返事をしてしまったブランシェだが、そのことは気にせず母は続けた。
「ブランシェちゃんがもうちょっと幼いころに王家でのお茶会があったでしょう?その帰りにブランシェちゃんが言ったのよ。『王子様がいた!!あの人と結婚する!!』って、嬉しそうに。
逆にあの人はすっかりしょげちゃって『お父様では駄目なのか』ってぼそっと呟いてて、面白かったわぁ。第二王子殿下との婚約させたいという話を王家に持ち込まれた時も最初は渋ってたのよ?娘にまだ結婚なんて早いって。でもブランシェが喜ぶだろうからと承諾したみたい。」
「はぁ…。わたくしがそんなことを…。」
どうやら父は本当に善意でこの婚約を承諾したらしかった。父のことだから、どうせ国益に一番なると考えたからに違いないと思っていたのに。だからといって、そんな幼いころの発言だけで婚約を結んでしまうなんて…。
しかし、王家主催のお茶会といえば確かに参加した記憶があるが、フェリクスと出会ったことなどあっただろうか。あの頃は淑女教育もされておらず、王家の庭園が楽しくてこっそり探検に出たはずだ。案の定広大な庭園の敷地で迷子になりで泣きそうになっていたところを、誰かに助けてもらった気がする。
勝手に離れたことを絶対に両親に怒られると思っていたから、バレずに戻って来れてひどく安心した覚えが。そういえばあの時にもらったお菓子がとてもおいしくて、甘いものにはまったんだと思い出していて…。
「あ。…お母様、その当時のわたくしは絵本に入れ込んでいませんでしたか?確か、王子が魔王にとらわれた姫を助けるような内容の。」
「えぇ、そうよ。あの頃のあなたはいつもその絵本を肩身離さず抱えていたわ。お茶会の時も持っていくと言って譲らなかったわねぇ。それがどうかしたの?」
「恐らくですが、わたくしのいった王子さまはフェリクス殿下ではないと思います。どなたかは分かりませんが、あの絵本に出てくる王子様と重ねたのでしょう。ぼんやりとですが、挿絵と同じキャラメル色の髪をしていた気がします。」
「あらあらまぁまぁ。それなら私達の勘違いだったわけねぇ。そのような色合いなら珍しくはない髪色だし、どこのご子息だったのかしら。」
どうしましょうと頬に手を当てる母と話していると、お茶の準備を終えた侍女が母には紅茶とクッキーを、ブランシェにはミルクティーとプリンを並べ始めた。
固めに仕上げられたプリンの黄色と飴色のカラメル、その上に真っ白なクリームが載せられ周りには苺と小さなクッキーが添えられておりとても美味しそうだが、普段のブランシェのお茶に出てくるものではない。
疑問が顔に出ていたのか、準備をしていた母の侍女が口を開いた。
「お嬢様にはこちらをお出しするようにと執事長から申し付けられました。奥様と同じものがよろしければ、そちらの準備もございます。」
「いえ、別に構わないけれど…」
戸惑うブランシェの前で母が笑いながら話し始めた。
「うふふ、これはきっと旦那様が指示を出したのね。ブランシェちゃんは美容のためだってお菓子をあまり食べないけれど、昔は大好きだったものねぇ。」
懐かしそうに語る母に、そうだったと思い出した。いつも甘いミルクティーをねだり、プリンは一つじゃ足りないと駄々をこねていた。ご飯が食べられなくなるからダメだと止める母にこっそり父が自分の分を分けてくれていたんだった。
結局母にバレて父は怒られていたけれど、毎回「内緒だぞ」と父は分けてくれていた。
どうやら自分を完璧にしようと律するあまり、父との触れ合いを忘れてしまっていたようだ。ブランシェは目が熱くなるのを感じながら無言でプリンを口に運ぶ。
そうだ、この甘すぎるくらい濃厚な甘さに、甘いものが苦手な父は眉間にしわを寄せていて、それでもブランシェに半分くれるためにいつも同じものを食べてくれていたんだった。
「お父様もお母様もね、ブランシェちゃんが頑張っているのは知っているわ。だからね、止めたりはしないけれど他の人の言葉なんて気にせずにもっと自由にして良いのよ。婚約の件は現時点でグラニエ公爵家からどうにかできる問題ではないけれど私達の勘違いのせいでもあるし、何より愛する可愛い娘が久しぶりに言ってくれた我が儘だもの。お母様たちがどうにかして見せるわ。」
ブランシェが完璧であることに固執していたのは魔力量の少なさを心無い貴族たちに揶揄られたからだった。時に両親さえも侮辱するような言葉を聞こえよがしに陰で囁く貴族たちにブランシェは元来の負けん気から決して馬鹿にされてなるものかと、両親には告げずにたゆまぬ努力を続けていた。自分では家族のためだと思っていたし、物言いたげな侍女の姿に気付いてはいたけれど魔力の少ない自分はそれ以外では完璧であることが唯一の存在意義だと感じてしまっていた。
知らぬうちに随分と無理をしていたらしい。
「…このプリン、今のわたくしには甘すぎですわ」
ブランシェは憎まれ口しか叩けない自分が情けなかった。両親は自分の想像以上に自分を愛してくれていたらしい。
「そうね、あなたも成長したもの。学院で本物の王子様をみつけたらお母様に教えてちょうだいね。」
お父様には内緒で応援するわ、と茶目っ気たっぷりに笑う母にブランシェは涙が一粒こぼれるのを止めることはできなかった。