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「お嬢様、今日はフェリクス殿下との顔合わせですから、いつもよりも一層可愛らしくいたしましょうね。
お気にいりの水色のドレスにいたしましょうか。リボンもたくさんで可愛らしいですよ。」
「いえ、今日は大人っぽく紺のドレスがいいわ。」
案の定というか、侍女が提案してきたものはスチルでブランシェが着ていたものだった。
確かに少女らしい大きなリボンが付いたふんわりとしたデザインの水色のドレスはとても気に入っていたが、今日ばかりは着たくない。
出来ることならスチルから離れた意匠のものを、とクローゼットに視線を滑らせ、目に留まったのは落ち着いた紺のドレス。
装飾が少なく、今まであまり袖を通してこなかったが、胸元の白レースの縁取りや生地そのものに織り込まれた繊細な刺繍が可愛らしくデイドレスとして問題ないだろうと判断した。
「まぁ、お嬢様も大人にあこがれる年齢になられたのですね。では髪型もいつもより大人っぽくいたしましょうか。」
「そうね、リズはセンスがいいから残りはお任せするわ。大人っぽくしてちょうだいね」
幼いころから面倒を見てくれているリズはブランシェの嗜好の変化を特に疑問に思うこともなく、予想と違っただろう希望を満たすために周りの侍女にきびきびと指示を出していく。
並べられた小物をブランシェの体にドレスを当てながら確認していく。
どうやら、強制力というのはほとんどないのかもしれない。ゲームの舞台である学院に入ってからは分からないけれど、一旦は安心できそうだ。
…なんて、勘違いだったのだけれど。
「お嬢様…申し訳ないのですが、こちらの紺のドレスは少し丈が足りないようですわ…。」
「そう、それならあの、前に仕立てたラベンダーのがなかったかしら」
確かに成長期でドレスを新調する頻度は最近増えていたので、滅多に着ていなかったドレスは丈が短くなってしまっているのも多かった。
公爵家らしく衣装の数はある程度あるが、まだまだ子供故に来客に適した衣装というのは案外多くない。そもそも貴族は領民の血税で生活しているわけで、ブランシェもグラニエ公爵家自体も浪費を好んでいない。
気に入っている可愛らしいドレスはすぐに手直しを入れていたが、今まで大人っぽいデザインは選んでいなかったためにどうやら後回しにされていたようだ。そう言った事情のせいで今選びたいスチルとかけ離れたデザインのドレスの選択肢がほぼない。
いくつか希望を出してみるが何故かすべて何らかの理由で身に着けることが出来なくなる。唯一着れそうだったものは若い侍女が袖をひっかけてしまいレースがほつれてしまった。泣きそうな顔で謝る侍女に気にしていないから修理に出すように命じる。
これはスチルに反する行動をしようとしている自分が原因だ。強制力でミスをしてしまったのだろうに、死んでしまいそうな顔をしながら謝る侍女が可哀そうで申し訳なくなる。
「申し訳ありません、お嬢様!!どのような叱責も受けます。本当に申し訳ありません。申し訳ありません。」
「頭を上げて、そんなに謝らなくても別に怒ったりしないわ。急に我が儘を言ってしまったのはわたくしよ。でもそうね、どうせならそのレースをより可愛いものにしてくれる?わたくし、お花のデザインがいいわ。」
泣きそうな顔をしながら何度もうなずく侍女をおちつかせ、再度顔合わせの準備にかかる。悩む時間はあまり残されていない。仕方ないと腹をくくるしかないようだ。
「お嬢様、寛大な処置をありがとうございます。ですがどのような状況でも、お嬢様の希望に沿えないのは私たちの不手際でございます。今後はどんなお嬢様のご要望も完璧に仕上げるようにこのリズはじめお嬢様付きの侍女一同、鍛えなおしてまいります。」
「そんな、リズ達にはいつも感謝しているわ。やっぱりいつものドレスがいいかしら」
「あのドレスでしたら、お嬢様の銀糸のような御髪が映えますし第二王子殿下の目の色と近しくてよろしいかと思います」
なるほど、婚約者の顔合わせとして相手の色を纏って友好さを演出させようという考えがあったのだろう。ほっとしている様子からも恐らく父か執事長あたりから指示が飛んでいたのかもしれない。彼女たちには少し悪いことをしてしまった。
だがしかし、おかげで気付けたこともある。婚約破棄をされないようにとばかり考えていたけれど、そもそも婚約が解消されれば万事解決なのだが。現時点では公然の内密な婚約としてお披露目などはされていない。顔合わせすらしていないのだから当然なのだが、だからこそ付け入る隙がある。
この顔合わせでどちらかが拒否をすればこの婚約は流れる。もちろん、殿下にとってはうちに婿入りが最良の選択肢だが公爵家はうちだけではないのだし、どこもかしこも野心家というわけではない。この婚約が殿下を守る盾であると知らないフェリクス自身が私を気に食わないと主張すれば、別の適したご令嬢を陛下は全力で探すだろう。
この後ブランシェが出来ることは公爵家に咎が及ばない範囲で粗相をすることである。例えば準備の不備だとか。侍女たちに迷惑をかけるだろうが、後で必ずお父様たちから守るので許してほしい。
「お嬢様、冷めてしまっていますでしょうし新しい紅茶をお注ぎします」
「ありがとう、リズ。ちょうどのどが渇いたところだったの」
にこやかに対応するが内心は冷や汗がとまらない。そう、彼女たちは優秀な侍女。最後の抵抗に紅茶をドレスに少し零してみようかしら、なんて目線をカップにうつしただけで動いてしまう。
着替えの準備でほどよく冷めていたからこそ零す勇気もあったけれど、温かい紅茶を着ているドレスに零して火傷をするのは避けたい。ゲームの私はヒロインに熱々の紅茶をかけていた気がするけれど。
「ねぇ、殿下が来られるまで一人にしてもらってもいいかしら。少し緊張しちゃって。」
そういって侍女を下がらせたうえで手に取ったのはハサミ。
「おそらく、やりすぎね。でも、気になるのだし運命を切り開くには仕方ないわよ」
この世界は、どれだけ強制力が働くのか。この世界はどれだけ私に悪役をやらせたがるのか。
私は髪を一房とり、ハサミを滑らせ、にぎりしめた。
結論から言うと髪は切れなかった。何度やっても、なぜか髪は切れなかった。そう、髪は。
試しに日記の先にハサミを入れると当然のように切れ端が床に落ちた。
こうなれば意地だと、ドレスにもハサミを持って挑んだが今日スチルで着ていたこのドレスだけはどうやっても切れないのだ。ハンカチは簡単に切れ目が入ってしまうのに。ここまでくれば呪いのような強制力だ。
スチルを再現するためにこの見た目だけは絶対に変化しない。恐らく何をしてもゲーム開始である学院の入学式ではイラスト通りの姿になっているのだろう。今まで、ことあるごとに完璧だともてはやされてきたこの頭脳も恐らくは設定どおりのブランシェ・グラニエを創り上げるものだったのかもしれない。うすら寒いものを感じ、ブランシェはかすかに震えていた。
絶望や恐怖とは違う、感情で。
これは、やはり、由々しき事態なのだ。ブランシェが何をしても、どうあがこうとこのゲームからは抜け出せない。
ヒロインの進むルート次第で私は婚約破棄される。けれど、けれどだ、逆に言えば何をどうやったって、世界が私を完璧な令嬢にしようと勉学、教養、美貌を揃えさせる。
「なんてことなの…今まで我慢していものが無意味じゃない…。つまり、これは、婚約破棄により評判が落ちる代わりにわたくし、甘いものがいくらでも食べられるってことよ…」
ブランシェ・グラニエ公爵令嬢。齢十歳。世間でまことしやかに囁かれている
完璧なリトルレディは美容のため、そして幼いながらに片鱗の見える冷たい美貌に似合わないため隠してはいたが、彼女は大の甘党だったのである。
正直、婚約破棄など些事に思えるほどに。