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森は静かな幻想迷宮  作者: 風祭
第一章 『風の国セルト』
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第六話

 うっすらと東の空が明るい光を帯び始め、木々や花たちがやんわりと目を醒ましてくる。

 夜の闇に鮮やかな色彩を失っていた多くの自然たちが、夜明けと共に再び息づくその瞬間。それが、フィアセルは大好きだった。

 森閑としていた空気が震え、目覚めはじめた小鳥の声や、さらさらと湖水の上をすべる風の音が柔らかに聞こえてくる。

 世界でいちばん美しいものは何かと問われれば、彼女は胸を張って、すべてが始まるこの瞬間だと応えるだろう。

「んーっ、いい気持ち」

 フィアセルは早朝の凛とした風を全身に受けながら、大きく体を伸びあがらせた。初めて訪れたこの街でも、やはり夜明けの瞬間は変わらない。それがとても嬉しい。

 いつもなら、このあと神殿の大聖堂に赴いて天井いっぱいに描かれた風神フォン=ティエンの肖像を眺めながら、ぼんやりと時を過ごすのが彼女の朝の習慣だ。

 穏やかな微笑を浮かべ、風と戯れるように空に溶け込むフォン=ティエンの肖像は、とても自由で大らかで、フィアセルは大好きなのだ。

 しかしここはフォン=ティエン神殿ではなく、あの無信心者として有名なシルクス国王の王宮だ。神を描いた絵画があるとは思えない。となると、フィアセルは部屋にじっとしてはいられなかった。

「ちょっとだけ、散歩ね」

 あとで迎えに来るだろう"誰かさん"に言い訳するように小さく呟くと、フィアセルは冒険好きな子供のように目を輝かせ、細やかに手入れのされた中庭を歩き出した。


 紅・橙・桃紫・白と、色鮮やかな羽ぼうきが地上から天に向けて伸び上がっているようなセロシアの花の花壇では、早起きな女官たちが談笑しながら今朝の朝食時に食堂を飾るための花を摘んでいる。

「おはようございまーす」

 花摘みに夢中なのか、それとも話に夢中なのか、女官たちはフィアセルの存在にはまったく気付いていないようだ。挨拶をして女官たちの側をすれ違って行くフィアセルを、呼び止める者もいない。

 そうして堂々と花壇の横を通り過ぎ、王宮から離れるように歩みを進めていくと、白い玉砂利で綺麗に舗装された小道が目に留まった。

 両脇を非常に葉数の多い『律動の樹』と呼ばれる樹木でおおわれているためか、朝だというのにその場所だけがまだ少し薄暗い。

 そんな、ほのかに暗い細く続く並木道に好奇心を刺激され、自分がものすごい探検家になったような気がしてフィアセルはわくわくした。

 日除けの木立が並ぶこの先に、いったい何があるのだろうか。王様の秘密の抜け道? それとも、神が住む天上世界へつながるという風幻の門?

 そう考えながらドキドキと胸を躍らせて、小道を躊躇することなく進んでいく。

 けれども案外その小道は短く、十分ほど歩くと緑の芝生が目に鮮やかな広大な空間が広がっていた。

 芝生の広場の中央には、他の塔とは違い王宮と回廊でつながっていない独立した白い建物があり、入口に紫紺の制服を身に纏った衛兵が二人、赤い飾り羽のついた槍を持ち、毅然とした風体で佇んでいた。

「……見張りの人がいるんだぁ」 

 今まで散歩していて、衛兵が常時ついている建物を見るのは初めてだった。

 不用心なのか、それとも衛兵がいらないくらい平和なのだろうか? あとで王様に会ったらどちらが正解なのか尋いてみようとフィアセルが思ったくらい、この城に警備の者は少ないのだ。

 王にそんな質問をした途端に、ロンの怒りと侮蔑の視線が向けられるに違いないけれど ―― 。

「何の建物なんだろう?」

 好奇心旺盛な子供のように目を輝かせ、フィアセルはその建物を見上げた。見れば見るほど、そこが何に使われているのか知りたくなってくる。どこか不思議な印象を与える建物。

 建物の向こうに見えるのは、まだ明けたばかりの朱金の天空。金色の陽光が白い外壁に反射して、まるで夢の中のようにぼやけて見えた。

「いいよね。別に近付いたって」

 我慢できなくなって、フィアセルは警戒されないように気を付けながら、ゆっくりと衛兵たちに近付いていく。

 驚いたのは、ふたりの衛兵だ。

 純白のひらひらとした部屋着をまとった少女が、ふらふらと歩み寄ってくるのだ。

 昼間は結んでいる髪も、まだ起き抜けで何もしておらず、愛らしい赤毛がふわりふわりと風に靡いている。黙ってさえいれば、フィアセルはそれなりに可愛い少女といえた。

「お、おい。あれ、なんだ?」

 扉の右側に立っていた髭面の衛兵は内心の動揺を隠すように、毅然とした表情のまま隣の同輩の腹を肘でつつく。

「さあ? 迷子じゃないかな?」

 そばかすが実に良く似合うもう一人の衛兵は、にかっとどこまでも明るい笑顔でそう応えた。

「……早朝の王宮に迷子がいるかよ。門は閉じてるんだぜ。吊橋だって上がってる」

「じゃあ、人じゃないんだ」

 そばかすの衛兵は能天気に笑い、近付いてくる少女に目を向けた。

「あんな格好の泥棒がいるとも思えないし、たぶん天から舞い降りた妖精か、花壇から出てきた花精だと思うよ」

「……ふんっ。もしかしたら幽霊かもしれないぜ。おまえを取殺しに来たとか」

 あまりに間抜けなことを言う同輩に、髭の衛兵は、けっと横を向いてそう毒づいた。そばかすの衛兵は子供のように眉をひそめ、軽く肩をすくめた。

「やだなあ。ラルスさんは夢がなくて」

「おまえは二十八歳にもなって、空想癖がありすぎんだよ。それでよく衛兵に採用されたもんだ」

「腕は確かだもん、俺」

 にこにこと、そばかす衛兵ノルトゥースは呆れ顔のラルスに笑顔を向けた。

「ねえねえ、この建物って何に使われているの?」

「 ―― !」

 ようやく建物の前に辿り着いたフィアセルはストレートにそう尋ねる。

 噂の張本人が目の前にやってきたので、髭の衛兵ラルスは思わず直立不動で固まり、ノルトゥースはにこにこ笑顔のままで、少女の姿をじっと見つめた。

 そこには妖精だの幽霊だのという、非日常的な存在と思える妖しやかな雰囲気は一切ない。

「ありゃ……人間でしたねえ、ラルスさん」

 元気いっぱいな少女という印象を受ける大きなその瞳を見て、ノルトゥースはちょっと残念そうに、しかし楽しそうに隣の同輩に話を振る。

「あたりまえだ」

 ラルスはノルトゥースの馬鹿げた空想を否定するように厳めしい表情で応えると、ゆっくり呼吸を整えながら、真っ白な部屋着をまとった少女に視線を向けた。

 目許を動揺で引き攣らせながらも、職務に忠実であろうと頑張っている。

「君はどうやってここに入ったのかな? この裏庭は、立ち入り禁止なんだがね」

 相手が少女だからなのか、それともそういう性質なのか、訊問するようにではなく、やんわりとした口調でラルスは言った。

「とはいっても簡単に出入り出来るけどねえ」

 ノルトゥースが横で茶々を入れる。

「おまえは黙ってろ」

 ラルスはすかさず、手に持っていた槍の柄で軽く同輩の頭をどついた。いらんことを良く喋る奴だ。そうラルスは呆れたように溜息をつく。

「いたいなあ。乱暴者なんだからなあ、ラルスさんは」

 そばかすのノルトゥースは殴られたところをさすりながら、にこにこと笑った。

 どうやら、いつもこの調子らしい。

 こんな緊張感の無い二人が警備しているのだから、この建物はたいした物ではないのだろう。

 フィアセルはちょっとがっかりした。すごい秘密でも隠されているのかと思って期待していたというのに。

「あのね、お二人のかけあい漫才を聞きたいんじゃなくてね、私はこの建物の用途を知りたいの。警備がいる建物なんて、あんまりこの王宮にはないじゃない?」

 わくわく度は半減したけれど、それでもやはり興味はある。

「さあ? 俺も詳しくは知らないんだよね。この前すごい秘宝が見付かったらしいって噂を聞いたし、そのあとここを見張るようになったから、たぶんそれに関係あると思うんだけどねえ。ラルスさん、詳しいこと知ってる?」

 そばかす衛兵ノルトゥースは相変わらずの笑顔で応え、同輩を見る。

 ラルスは呆れたように天を仰いだ。

「……馬鹿かお前は。まったく、どうしてそうぺらぺらと話をするんだ。この娘が怪しい者だったら笑い事じゃすまないぞ」

「あはははは。ラルスさんは慎重だけど、それ以上にお人好しだね。こいつは怪しい奴だとは言わないんだもんな。こんなに怪しく現れたのにさ」

 ノルトゥースは思い切りおかしそうに声を上げて笑った。

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