第五話
立派なマホガニーのテーブルに、採り立ての果物がたくさん並べられた籐籠が置かれている。
周囲には色とりどりの花が飾られ、部屋と中庭とを隔てる二本の大理石の柱の向こうには満天の星空と清涼な水の流れが垣間見れた。
このクレスセルトの城の貴賓室で最も景観の良いといわれる部屋だった。
「もう、すっごい綺麗。本当に今日ここに泊ってもいいの? 王様ってば気が利くよねえ」
淡い桜色に染められた薄絹の天蓋がついた大きな大きなベッド。まるで雪の精が着るような、真白なひらひらとした可愛らしい部屋着。
シルクス陛下はこのフィアセルの何を見て、こんな乙女趣味な部屋を用意をさせたのだろう? ロンは首をかしげるばかりだ。
けれども本人はいたくシルクスの趣向が気に入ったようで、ふかふかのベッドで飛び跳ねながら両手をあげて喜んでいる。
「ねえねえ、お姫様みたいでしょ?」
その声にロンが振り向くと、フィアセルは長い裾を持ち上げてわずかに首をかしげるように微笑んでみせた。
「……ええ、まあ。着ているものが変わると、人間態度まで変わるんですかねえ」
しみじみと、ロンは述懐した。
「だとするとフィアセルさんは、これからもずーっと、ひらひらのドレスを着ていた方が世のため人のためですねえ」
「…………」
とびきりの笑顔で言うあたり、ロンも人が悪い。
フィアセルはぴんっと眉をはね上げると、ロンの足を思い切り蹴飛ばした。
「あら。ごめんなさい。当たってしまいましたわね。裾が長くて足元がよく見えないんですの」
おほほほほと奇妙な笑い方をして、くるりとロンに背を向け中庭に出る。
まったくもって乙女心のわからないロンが、腹立たしいったらない。可愛いとか似合うとか、本物のお姫様みたいとか。そういった誉め言葉がなぜ出てこないのだろう?
「言っても無駄かもしれないですけど、ここは王宮なんですから、おとなしくしていてくださいよ。今日はもう遅いし疲れているだろうから休みなさいという、陛下の優しいお心づかいを裏切らないでくださいね」
蹴り飛ばされた脛を痛そうにさすりながら、ロンはしかめっ面をした。
「…………」
その言葉に、更にフィアセルの機嫌は斜めに傾いていく。
「じゃあ、僕は家に戻りますから。明日、また来ます」
どうせ応えはないだろうと、ロンは大きなケープを翻し、鏡のように磨き抜かれた廊下にさっさと出る。
彼女を一人でこの場に残していくのに一抹の不安は残るけれど、自分がずうっとへばりついて見張っているわけにもいかない。
ロンは心配を振り切るように軽く頭を振ると、すたすたと長い廊下を歩きだした。
ふと、その歩みが何かの気配を感じたようにゆっくりと止まる。そして彼はにこりと笑むと、恭しく礼をした。
「相変わらず目敏いな、ロン」
よく通る低い声が、王宮の回廊に響く。
その先には、今年四十三歳とは思えぬ若々しく引き締まった肢体を有する国王シルクスが立っていた。
豪奢に飾られた王服ではなく、武人のようなすっきりとした衣服に身を包み、ゆるやかな深紅のマントがよく似合っている。
また、美しい細工の施されたプラチナリングでうしろ一つにまとめられた濃紺の髪が、知的な印象を引き立てていた。
「ロン、おまえが連れて来たあの娘。大丈夫なのだろうな?」
国王は、そっとロンの耳許に口を寄せ、囁くように尋ねた。
「おまえの目を信用していないわけではない。ただ、今回のことは重大なことなのだ。優秀な神官でなければ務まらん。だから一応確認するのだ。おまえが大丈夫だと言うのなら、私はそれを信じ、あの娘に"あること"を依頼しよう」
「…………」
ロンは返答に窮した。一緒に過ごした時間を見る限りでは、まったく神官としてはなっていないように思える。
しかし優秀な神官を貸して欲しいと自分が頼んだ時、即座にフォン=ティエン神殿の大司教はフィアセルを呼んだのだ。
それに、確かに彼女は言霊を操った。位の高い神官だけがその神の力をかりて言霊を扱えるということはロンだって知っていた。それでも単にまぐれだと思わずにいられないのは、彼女があまりに神秘性とは縁薄い、普通の少女だからだ。
「今の段階では何とも言えません。依頼する内容にもよると思いますが……。陛下、その依頼内容は打ち明けてはいただけないのですか?」
内容を聞いてからでないと判断し難い。彼女の性質に合う内容ならば役に立つかもしれない。けれども合わなければ無茶苦茶な事態が起こるに違いない。
そう思い、ロンは情報提供を促すように国王をじっと見上げた。
シルクスは意味深な笑みを浮かべ、ひょいとロンの大きな眼鏡を取り上げた。
「おまえになら教えてやりたいとも思うが。今は駄目だな。……ふふ。まあいい。あの少女の司祭としての力量を信じることにしよう。ロン・ツィムスが否定しなかったというだけでも価値はある。明日の朝、あのフィアセルという娘を連れて部屋にきなさい。謁見の間ではなく、私の私室だ。その時、おまえにも一緒に教えてやろう」
シルクスは楽しげに笑うと、ロンの肩を軽く叩き、大きく身を翻す。
一歩足を進めかけて、シルクスはふと立ち止まった。
「ロン。この眼鏡、度が入っていないのだな? 何故いつもかけている?」
視力が悪いのかと思っていたが、そうではないらしい。シルクスは可笑しげに少年の顔を見つめた。
「それは……」
国王の思わぬ問いかけに、ロンは言葉に詰まったように口ごもり、ふと視線をそらす。どう説明をすればいいのか考えあぐねているようだった。
「ふふん。ちゃんと説明できるようになるまではこれは没収しておく。せっかくの綺麗な顔が見えなくて、もったいないからな」
肩越しに振り返りながら笑むと、シルクスは悪戯小僧のように片目を閉じる。そしてロンの眼鏡を持ったまま、こつこつと靴音を響かせながら王宮の奥へと姿を消した。
「……なんだろう? この違和感」
ふと、ロンは目を細めるように呟いた。
普段ならば、敬愛する国王と話をすることは楽しくもあり、嬉しくもある。それなのに、王と対峙することで知らず冷や汗さえかいている自身に、ロンは驚いた。
暑いはずの外気が、ひどく冷たく感じられる。何か、とても嫌な感じだ。
「そんなわけ、ないか」
自分の考えを打ち消すように、ロンは大きく頭を振った。
すべて気のせいだ。今日はたくさん歩いたので、とにかく疲れているのだ。これでは正常に脳も働くはずが無い。早く家に帰って休もう。
それだけを、ただ考えた。けれども ―― 。
「まいったなあ」
眼鏡を没収され、裸眼となった黒い瞳で天を仰ぐ。
無粋な遮蔽物である天井は回廊には無く、広大な天空に散りばめられた数多の星たちが、己の存在をこれでもかというほど主張していた。
ふと、視線をおろした。
王宮を取り巻くように長く続く回廊に、等間隔に備え付けられた美しい硝子細工のランプの灯も、その星たちの中のひとつであるように見える。
「……でも、決して星は地上の灯にはなれないんだよ。灯が星になれないとの一緒で」
天上の星と硝子の内側なかでちらちらと燃える朱い炎をその瞳に映し、ロンはふと呟いた。
「 ―― いま何を言ったんだろう。僕は」
己の口からこぼれ出た言葉にきょとんと目をまるくして、わずかに首を傾ける。
「やっぱり疲れてるんだな。早く休まないと」
やけに明るい口調でそう呟き、ロンはゆっくりと自分の家に帰って行った。