第四話
「おまえたちに、何が分かるって言うんだよ!」
突然、隣で大きな声がした。
「おまえたちなんか、何も分かっていないんだ!」
再び怒声が聞こえ、カークはぽかんと口を開けて叫んでいる人間を見た。
顔を真っ赤に上気させ、その人間はこちらを見ていた。まだ小さな少年だ。どうやら怒鳴られているのは自分らしい。そう気が付くのに、カークは数秒かかった。
なにせ、怒鳴られる理由がまったく分からない。
「俺、何かしたかな?」
隣のフィアセルに尋ねても、ただ首を横に振るだけだ。二人は不思議に思い、互いに首を傾げた。
「レジス=クルセイドは本当に太古から在ったんだ! 法皇様はその証拠だってお持ちになられているんだ。嘘なんかじゃない!」
少年は、隣でなだめる母親らしき女性の手を振り払い、すごい形相で叫び続けた。
この母子はレジス=クルセイド皇国から訪れた旅人なのだろう。かの国独特の装飾品、内側に水の入った小さな花の形をした硝子珠を首からさげているので、それと分かる。
「法皇様は水神アトゥイ=レジス様の代理だから、王にだって敬われるんだ。それの何がおかしいんだよ」
少年が叫び終えると、周囲から嘲笑が湧き起こった。
「証拠があるってんなら、見せてもらいたいよなあ」
「嘘吐き皇国の住人は子供まで嘘吐きなんだなあ。それとも妄想僻ありってか?」
こころない大人たちが、わははと大笑いしながら珍獣でも見るような眼差しで少年を見やる。最も歴史の古いこのクレスセルトの街に来ながら、そんな戯言を言うとは片腹痛い。
少年は傷付いたように唇を噛み締めた。何か言い返そうと、きっと眦をあげてはみたものの、大人たちの悪意の視線に言葉が出てこなかった。
「信じることは自由だわ。それに、そんな大昔のこと何が真実なのか知る人間なんていないでしょ! 嘘だって決め付けるなんて、すっごい傲慢だよ。それとも三千年以上も生きている化け物なわけ? あんたたち」
すっくと立ち上がり、フィアセルは少年を嘲弄した人間の前に仁王立ちした。
こういう輩は大嫌いだ。衆を恃んで弱い者をいたぶるなんて趣味が悪すぎる。ましてや、こんなに幼い少年を。
「なんだよ。おまえもレジス=クルセイドの人間かあ?」
「私は、フォン=ティエン神殿の司祭よ。何か文句あんの!」
つんと顎を上げ、高飛車にすぎるほどの態度でフィアセルは大人たちを見やる。
「おまえが? 嘘こくなよ。どーこが司祭って顔なんだ!」
彼らはげらげらと笑った。
確かにフィアセルは一般的な司祭という概念からは、大きくかけ離れているかもしれない。それはロンにも言われたことだ。
けれども自分はれっきとした司祭なのだ。ちゃんとしているロンにならともかく、こんな馬鹿な奴等にとやかく言われる筋合いはない!
あまりに失礼な大人たちの反応に、フィアセルは腹を立てた。げらげらと下品に笑い続ける彼らに、どうにもむかっ腹が収まらない。
「……風神フォン=ティエンの御名において、我が言葉は力を与えられん」
華奢な指をそっと胸の前で組み、フィアセルは馬鹿者どもを睨み付ける。
「 ―― 風縛陣!!」
刹那、ぶわりと風が巻き起こった。
目には見えない鎖のように、フィアセルを嘲笑った者達を風がきつく縛める。
「……う、動けないぞ!? てめえ、何しやがった!」
突然身動きが取れなくなって、彼らは狼狽したようにフィアセルを見た。
「司祭を馬鹿にするから、そういう目に遭うのよ! これに懲りたら、ちょっとは信心しなさい!」
ふふんと鼻先で笑うように、フィアセルは男たちを見返した。
それを横で見ていたカークは口笛を吹き、すごいすごいと手を叩いて喜んでいる。言霊と呼ばれる法術の類が存在することをロンから聞いて知ってはいたが、実際に見るのは初めてだった。
「……嘘だろお? どうしてこうなるんだよ」
がっくりと、店の入り口で頭を抱え込んだ人間、約一名。おとなしく待っていて欲しいという言葉は、まったく無視されてしまったのだ。
「あのねえ、フォン=ティエン神殿の司祭ともあろう人が、愚かな人たちのちょっとした悪口に、いちいち目くじら立てて怒らないでくださいよ。それも言霊まで使うとは、何考えてるんですか! 早く解いてあげなさい」
ロンはわざとらしい溜息を吐きながら、店の中に入ってくる。
フィアセルは抗議したそうにちょっと頬をふくらませた。悪いのは自分じゃなくてあいつらじゃないかと思う。
けれども、けっきょく何も言わずに術を解いた。
一般の人間相手に言霊を使うのは、やはりちょっとやりすぎたと思わないでもない。頭に血がのぼると後先を考えずに暴走してしまうのが、自分の悪い癖なのだ。
ふわりと風の縛めが解け自由の身になった男たちは、心を落ち着かせるように肩で大きな呼吸を繰り返し、自分たちを助けてくれたロンを見た。
公衆の面前で叱られたフィアセルよりも、若いロンに『愚かな人たち』と決め付けられたこの男たちの方がよっぽど立場が無い。けれども、
「お騒がせして申し訳ありませんでした。彼女にはよーく、言っておきますから」
国王シルクスお気に入りの学者ロン・ツィムスにそう頭を下げられて、反論できる者などいなかった。
うやむやに「ああ」とか「うむ」とか応えて、男たちはすごすごと自分たちのテーブルに戻っていった。
「ほら。二人とも行くよ」
それをしっかりと見届けてから、あたふたと成り行きを見守っていた店主にぺこりと頭を下げ、ロンは否応無しにフィアセルとカークを店の外に引き連れて行く。
どうしてこう、自分の周りには問題を起こす者が多いのだろう? カークは「類は友を呼ぶ」などと言って笑うが、そんなことは絶対に信じない。
「悪いのは、向こうだと思うけどなあ」
「……だよねえ」
カークとフィアセルは肩を竦めながら、ぺろっと舌を出して笑い合う。気苦労な友人のささやかな苦悩も、まるで分かっていない。
「…………」
ロンは、そんなあっけらかんとした二人に、もう一度大きな溜息を吐いた。
「フォン=ティエン。風の……自由を愛する神……」
いつ店から出たのだろうか。レジス=クルセイドの母子はじっと潜むように、細い路地に佇んでいた。
「アトゥイ=レジス様が唯一友と信じていた存在……。それなのに……己の自由のためにレジス様を裏切った……神!」
かっと目を見開き、フィアセルの背中を睨み付ける。その瞳は、ひどく憎悪に沈んでいるように見えた。