第二章 一話
第二章 『水の都レジス』
第1話
大河。湖。小さな泉。ゆるやかな傾斜をすべり落ちるように流れる優美な滝。そんなたくさんの水流に囲まれた緑豊かな自然を見渡すように、それは静かに建てられていた。
この地方の水流にのみ咲くといわれる水の花が彫刻されたエンタシスの柱が円を描くように幾本も並び、その上をドーム型の天井がおおっている。
壁はなく、水の匂いのする風がするすると柱の間を過ぎ去って行くのがとても心地よかった。
ふと見上げてみれば、大きな天井いっぱいにどこかの風景が描かれていることに気付く。
清らかな水の流れを抱くように、たくさんの花が咲き乱れる草原。大きな風車が遠くに二基、風をうけて優雅に佇んでいる。
そして、翼を大きく広げた鳥が一羽、遥か彼方を見やる遠い瞳をして、川面から今にも飛び立とうと首を高く伸び上げている。
まるで今実際にその光景が目の前に広がっているかのような錯覚を思わせる鮮やかな絵画。
この絵をひと目でも観た者は、そのあまりの美しさに感嘆の溜息を漏らすだろう。
けれどもそれは、同時にどこか哀しい印象を併せ持っていた。
心の底から込み上げてくるような悲哀。拭い切れない孤独。なぜかそんな想いが感じられるような気がした。
「……その鳥は、きっと飛び立てないのだわ」
どんなに翼を広げても川面に取られた足が離れない。飛びたくとも飛べない。天空に帰れない。だからこの鳥は、こんなにも遠く哀しい瞳をしているのだと、その絵の下に立った少女は言った。
「パルディア姉様、この絵が見えるの?」
驚いたように、童女は隣に立つ女性を振り仰いだ。
この国で唯一神の御姿を映し、そして声を聞く存在。レジス=クルセイド皇国の至宝。神の愛し娘といわれるこの巫女姫は、生まれ付き目が見えないはずだった。
パルディアの透きとおる湖水のような淡い水色の瞳には、神の御姿しか映らない。そうキュアは父母に教えられ、従姉でもある彼女の目となるべく神殿に上がったのだから間違いない。
「目に見えるわけではないの。ただ、そういう悲しみが聞こえるの。それにキュアがとても丁寧に絵の説明をしてくれたでしょう? だから分かるのよ」
パルディアはふわりと微笑み、童女の髪を軽く撫でた。
「見えなくてもわかるなんて、パルディア姉様はすごいんですね」
にこにこと童女は笑った。
キュアは、どこか儚い淡雪のように切ない美しさを持ったこの従姉がとても大好きだった。
だから今日も、どこか沈んでいるようだったパルディアを元気付けようと無理に神殿の外に連れ出して、このメーレの丘にやってきたのである。
朝日を浴びたメーレの滝が、まるで水晶のようにきらきらと輝いて見えるここはキュアのお気に入りの場所だ。巫女姫に滝の雄姿は見えなくとも、この涼やかな滝風に当たれば元気になると思ったのだ。
メーレの丘は、唯一パルディアの住む館から訪なうことが出来る"神殿の外"だった。
もちろん、外とはいっても実際には神殿の聖域内ではあったけれど。それでもパルディアが雄大な自然の息吹をその肌で感じたのは久しぶりだ。
今まで自分をこうして外に連れ出そうとするものはほとんど居なかった。祖父であるシューダ法皇は、パルディアが神殿の建物の外へ出ることすら好んでいないことを、周囲の者は知っていたのだから。
「すごくなんてないわ。私は近くにこんなに素敵な場所があることも知らなかったんだもの。キュア、連れてきてくれてありがとう」
「そんな……とんでもないです。私はパルディア姉様に元気を出してもらえたら良いなって」
優しく自分を見つめてくるその透明な眼差しに、キュアは頬を紅潮させて、照れたように身をすくめた。
「あっ! パルディア姉様、神聖軍の方々がお出掛けになるみたいですよ」
メーレの丘から見下ろす街道を、かっちりとした黒の軍装を身に纏った青年たちが歩いているのを見付け、キュアははしゃいだように声を上げた。
軍と言っても、戦争に出掛けていくわけではない。彼らはレジス=クルセイドが太古から在ったということを示す聖地を捜すため、各地に派遣された捜索隊だった。
「今度こそ、リウ=レイは見付かるかしら?」
キュアはわくわくしながら、美しい巫女姫に顔を向けた。
かつて……三千年もの昔、レジス=クルセイド皇国の皇都だったと云われる<リウ=レイの都>。しかしそれは遥か昔に失われ、今では幻の聖地となり国を上げてその在処を捜索しているのである。
聖地さえ取り戻せれば、嘘吐き皇国と罵られることもなく、新興国家と嘲られることもなく、この国は最古の国として堂々と名乗りを上げることが出来る。
そして何よりも ―― 乱を起こした神と云われ、一度は邪神として地に堕ちた水神アトゥイ=レジスの名誉も、本当の意味で回復できるはずなのだ。
水の神を信仰する者たちの永年にわたる必死の働きかけによって、邪神の汚名を返上し、再びアトゥイ=レジスが聖神の一人として数えられるようになったのは百年余り前だった。
そしてこの地にレジス=クルセイド皇国が復興されたのである。
しかしアトゥイ・レジス以外の神を信仰する他国の聖職者たちの間では邪神の印象は根強く、水の聖地リウ=レイが消失したのは水神レジスが"罪"を犯したからに他ならないと、あからさまに蔑みの言葉を吐く者もいた。
だからこそ、皇国の人間は聖地リウ=レイの再興を願う。
それは ―― 何百年もの……否、幾千年を超える永い間。時には迫害を受け、逃げ隠れるように生きながらも決して改宗せずに、子々孫々とも水神アトゥイ=レジスを信じ続けてきたこの国の者たちに、代々受け継がれてきた、大いなる悲願だった。
けれども、その場所が特定できないのである。今ではどこに在ったのかさえも分からず、跡形もなく消え失せた水の都。
その場所さえ特定することが出来たなら、再びその地にアトゥイ=レジスを迎え、聖地として再興させる準備が法皇府では既に整っているのだと、数年前に法皇は静かに人々に語った。
そうして神聖軍という独自の組織を編成し、法皇シューダは僅かに残る伝聞や史料を頼りに、数年前からリウ=レイの捜索を大々的に開始した。
いまだに成果は上がっていないけれど、志願する若者が増えているという。そして今また、神聖軍が出立するのが見えると、キュアははしゃいで言うのである。
パルディアはふっと、瞳を曇らせた。
リウ=レイの捜索をめぐって、他国とのトラブルがしばしば起きていることを彼女は知っていた。
なにせ法皇シューダは他国領だろうと構わず捜索部隊を派遣するのだ。神聖軍が悪さをすることは決してなかったけれど、それでも侵入された方はたまらない。
苦情を持ち込まれた国皇府は他国との戦にもなりかねないと心配し、シューダに相手方の了承を得てからの捜索を要望したが、完全に黙殺された。
それもあって、今は法皇と国皇家の間も良好とは言いがたかった。




