胸がドキドキする女の子に相談された話
『あのね、相談したいことがあるの』
秋学期が始まってすぐの講義中、同じゼミに所属している女の子から連絡がきた。
『どしたん? 話聞こか?』
決してお世辞にもモテるタイプの子ではない。
地味目な服装に、控えめな性格、ビン底みたいに分厚いメガネはどう見ても一般受けする子ではない。
だが、不細工って訳じゃない。むしろ整っている。長く伸びた前髪と垢抜けないファッションのせいで少々野暮ったい印象を受けるものの、何度か彼女と接し、仲良くなっていく内に彼女の器量の良さに惹かれている自分がいた。
これはまさか、ひょっとしたらひょっとするんじゃないか?
大学四年生になるが、生来の引っ込み思案のせいで恋人なんてできた試しもない。
授業とバイトの往復に明け暮れている内に最高学年となり、希望を捨てかけた僕の前に彼女が現れたんだ。
この機を逃してはならない。
僕の中に棲む何かが言う。
僕はその声に応えたい。
誰よりも自分のために。
『今日の四限目空いてる?』
空いてるさ。
単位数だけは足りている。この授業だって友達に誘われたから履修しただけだ。ソイツは休んでるけどな。
心音が講義室全体に響いているのかと錯覚するくらいうるさい。
若干震える指で、メッセージを送った。
『空いてり』
「ごめんね、急に呼び出しちゃって」
「いやいや、全然大丈夫だよ」
キャンパスから歩いてすぐのカフェ、『レイニードール』で僕たちは落ち合った。
初老の夫婦が営むこのカフェは、レトロな雰囲気漂う穴場として一部の学生や大学職員から人気を博していた。
「それで、相談って何かな?」
「あの、実はね……」
コトン
白髪のよく似合う物静かなマスターが僕たちの空気を察してくれたのか、注文したアメリカンコーヒーとバナナジュースを黙って運んできてくれた。そして、頭だけ下げてカウンターへと戻っていく。
彼女は俯いたままだ。
両手を膝に置き、柔らかそうな黒髪が一点に集うつむじだけをこちらに向けている。
表情は窺えない。
僕は言ってあげたかった。
大丈夫だよ、僕は何があっても君を受け止めるから、と。
「最近、胸がドキドキするの……」
その声は切なげだった。
そうだね、僕もだよ。
彼女といるとき、僕の体温は上昇する。熱に浮かれるって言葉は本当だったんだな、って感じるよ。
自分がどんな表情をしているのかも分からなくなって、妙にソワソワしてしまう。いつもの気だるげな冷静さはどこに行ったんだか。
言葉を重々しく紡ぐ彼女につられて、唇を無意識に嚙み締めた。
相変わらず顔をこちらに向けてはくれないが、そんな彼女から目が離せなかった。
視界の下端で揺らめくコーヒーの湯気と僕だけが、この世界で生きているみたいだ。
「それは、どんなとき?」
いつもより慎重に発声した。
声が裏返らないように、声が震えないように、声で心を悟られないように。
僕の声に反応した彼女は、若干顔を上げる。
長い前髪のカーテンに遮られた顔からは、小ぶりな鼻と真一文字に閉じられた唇が覗いている。瞳は見えない。
「走った後でもないのにドキドキが止まらなかったり、夜にベッドの中でそのことを考えただけで眠れなくなったり……そう、そう…………」
僕の求めた質問の答えとはかなりズレている。
彼女も動揺しているんだろうか。いや、それもそうか。
こういうのは人生の一大イベントだ。プロポーズならある程度OKをもらう前提だから、そこまで緊張することもないだろう。
だが、告白は別だ。0から1を生み出すわけだからな。
緊張しない方が難しいよな。
……よし、僕も男だ。こういうのは僕から言い出すべきなんだ!
「あ、あのs「就活のことを考えると!」
は?
「は?」
「だから、就活のことを考えるとドキドキして、夜も眠れなくなったりしちゃうの!」
え、いや、は?
告白、じゃないの?
「エントリーシートの提出期限明日までだなーとか、書類審査が通ったら通ったで一次面接は何を話すべきなんだろうなーってドキドキしちゃうの! 夜寝る前も、審査結果の発表が気になりすぎて、筆記試験の内容を思い返して自己採点してみちゃったりして眠れないの!」
彼女は堰を切ったように喋り始めた。
さっきまで前髪で見えなかった表情が露わとなり、紅潮した頬を晒し、大きく見開いた双眸で僕を捉えていた。
あまりの剣幕に、バナナジュースのストローがひとりでに揺れている。
「ねえ、内定もらってるんでしょ! お願い、ゼミで内定もらってる人って君しかいないの!」
えー、僕のゼミそうだったのかー……。
普通に「今度、どこ旅行いく?」的な話してたから、就活終わってるものかと思ってた。
「君にしか頼めないの!」
ガタン!
彼女が身を乗り出して、テーブルに置いていた僕の両手を取る。
彼女と僕の距離が近くなり、今度は僕が冷静さを保てなくなるくらいドキドキしてきた。
そして、つい思っていたことをそのまま口に出してしまった。
「とりあえず前髪切りなよ」
続きません。