闇の中の光
暗い中に僕は立っていた。…僕?
「僕」と呼ばれる人間がどんな人間か、君は知らない。僕に話すべき事があるかどうかも、君は知らない。君は何も知らない。無知な、赤ん坊のように僕の話を聞いている。…いや、君は果たして本当に存在するのだろうか?
仮に…考えてみよう。世界が崩壊してしまって、全て終わってしまったとしても、依然、僕らはこのままいるのではないかと。僕達は存在する。膝を突き合わせて話している。それで十分じゃないか…。
僕はいくつかの光景を見た。少女が電車に身を投げる様とか。少女はそれを、自分でスマートフォンで撮って、ネットに配信していた。その映像はまたたく間に、動画サイトに投稿され、多くの人が見た。
少女のツイッターも特定され、その子が、いじめに悩んでいた事もわかった。両親との関係もうまくいっていない事もわかった。ああ、わかった。全てわかった。それで…その子は死んでしまった。
この世界は日々、人が死んでいる。それなのに僕らはそれを見てみぬ振りして生きている。見てみぬ振り…僕らはそれが上手い。「死ぬ時くらい人に迷惑かけなくてもいいじゃないか」 電車に飛び込まれるのは迷惑だ。死ぬなら…勝手に死ね。迷惑かけないように死んでくれ。健全な人はそう言う。
しかしそれが彼らの最後の抗議だったとしたら。生の世界そのものが間違っていて、死の世界が正しいという熟慮判断に基づくものだったら、どうだろう。彼らは…そうして死んだ。彼らは死の世界に移行する為に死んだ。その為に、生の世界を否認しておく必要があった。
連中が…いや、君等がしがみついている世界は何だ。生の、腐った世界とは何だ。群れて仲間内でいちゃついて…小さな喜びにしがみつく事か。新しいゲームが買える事、シャンプーが二百円安く買えた事を過大に評価して生きる事だろうか? …きっとそうだろう。僕らは急流の中にいて、愚かにも藁を掴んで、それが永遠だと思おうとしている。スターバックスの永遠、ドミノピザの永遠。それらを否定するための自死というのもありはしないか。
もっとも、僕が死んだのは、自殺が原因ではない。僕が死んだ? …ああ、驚かなくていい。死ぬのはよくある事だ。事故物件だって? この地球上で死が発生しなかった場所があるか?
正直に言うけど、僕は自殺したわけじゃない。病気で死んだんだ。それも…最近、流行っている感染病でね。これが二十一世紀の前半に流行って、それで僕は死んだんだよ。死ぬ時は結構辛かったなあ。だけど、死んでしまえば楽になれるよ。みんなが思っている通りにね。
こっちの世界でもさ、そっちの世界とあんまり変わらなくて、僕みたいに「流行り」の死に方で死ぬとちょっとばかし自慢できるんだよ。「今流行りのあの病気で死んだんだよ」と言えば「えー。死ぬ時、どんな感じだったの。聞かして聞かして」なんて女の子に聞かれたりしてね。ある子は次のように言ってきたよ。「へえー。そうなんだ。私なんかさ、リスカのやりすぎで死んだんだよね。普段からリスカしてて。自分でもやり方わかってるつもりだったけど、思ったより深く入っちゃって。死ぬ気なかったんだけど、血がドバッと出て。それで一気に力が抜けて、気が遠くなって」 そんな風に、死んだギャルと楽しくお話したりね。
癌で死んだ老人なんてわんさといるから、お話にならない。「民間療法に騙されて、おかげであたしは死ぬ時はすってんてんになったわよ。死ぬ時くらい、嘘をつかずに死にたいものねえ。もう騙されるのは勘弁」なんて言っている婆さんが、また新手の詐欺に引っかかっていたりしてね。いや、ほんとに。こっちにも詐欺はある。なんにも…変わらないよ。
こっちには何でも揃っている。困った事には、こっちも死者で一杯になっていてね。死者をもう一回殺す必要があるんじゃないかって、偉い人達は言っている。死者を移動させる必要があるんじゃないかって。偉い人っていうのは管理者だと思ってもらっていい。不思議な事だけど、死んだ人間も、もう一度死ぬのは嫌らしい。「一度死んだから二度目は勘弁」って人が多い。みんな、死ぬ事にしては一回しか経験してないから、怖いんだね。ああ…そっちの人はまだ一回も死んでないんだっけ。死の処女、死の童貞と言ったところかな。
ところが、こっちからはそっちの世界がよく見えるんだ。高い所からスコープで覗いているみたいに。現在だけではなく、過去も未来も見える。だけど、それは僕が認識できるものに限られている。だから、何億年後の地球なんてのも見ようと思えば見られるんだけど、なにせあんまり興味もないし、それにその時に人類が超進化していても、その進化の意味は僕にはなかなか理解できない。死者の状態っていうのは、死んだ時のまま保存されるからね。
それで、死者は何をしているかっていうと、ここで、下界を見て暮らしているんだよ。そっちを見ている。見ているばっかりで、後は雑談と言った所かな。
「ああ、あいつ、もし俺が死んでも誰とも一緒にならないって言ったのに、さっさと再婚してやがる」
そんな愚痴を言う親父も多いさ。実は言うとねーー僕は18の高校生で死んだんだけどーー僕が関係していた人達が、あまりにもあっさり僕の事を忘れたんで、がっかりしたんだよ。両親、妹、学校の友だち、教師。一ヶ月もしない内に、みんなは晴れ晴れとした様子になっていた。母親はさすがに、一番沈んでいたけれど、半年くらいして、何か仕事をしたいと父に言って、パート労働を始めた。それが気晴らしになったのか、明るい顔が戻ってきた。僕はそれをここで見ていて、嬉しさと悲しさが入り混じった感情を抱いたよ。
僕は存在していない。この事はね、僕が見ているものの中に、なんら僕の痕跡が残っていない事を意味する。僕は死んでから、生きるという事について一層深く考え込んだよ。で、これは結局、「なんでもなかったんだ」って感じた。生きている間は大騒動で、大した事に思えるけど、こっちから見ると、ほんの些細なエピソードに過ぎないんだよ。大した事じゃないんだよ。さっと生きてさっと死ぬだけ。
有名人なんかもいるよ。死者の有名人に会った事もある。だけど彼らの方が僕らより不平が多い。「あいつら、俺(私)の事忘れるの早すぎやしないか」 みんな自分中心に考えているからね、仕方ないよ。有名人をなだめても、無理だね。あいつらは死者になると厄介だよ。死んだ後、連中は大抵、二重に苦しむ事になる。
まあそんな事はどうでもいいんだよ。僕は死んで、霊というか、魂になって、晴れ晴れした。好きだった女の子、A子とするけど、その子が裏で結構ゲスい事をしたのも目撃して、がっかりして。死後にも失恋しちゃったんだけど。まあね、それは僕の間違いなんだ。僕って言えば、すっかり間違った生き方をしていた。
僕はあの頃、つまり生前だけど、もっと生きるべきだった。今になって、そう思うよ。それは、生き延びるという意味じゃなくて、もっとわがままに、もっと崇高なものを目指してなりふり構わず行くべきだったという事。他人を蹴散らしても、そうすべきだった。気を遣いすぎたんだ。人の顔色を見すぎた。みんなほとんどの事をすぐ忘れちゃうんだからね。それが僕の間違いだった。だけどまあこんな話、なかなか伝わらないだろうけど。
さて、もうそろそろ時間だ。こっちからそっちへのチャンネルが閉じてきているんだ。もうそんなに時間がない。困ったなあ。…いや、ほんとは困ってないんだよ。そっちにね、言う事なんて何一つないし。ほんとは、言いたい事なんて何もないし、僕は死んでこっちに来れて、心底良かったなあと思ってるんだよ。くだらない連中とは縁が切れたしね。
もちろん、くだらない連中も死んでこっちに来たりもするけど、でも、ほとんどが僕と違うグループに入れられるんだ。向上心が見られない場合は、低いグループの方に入れられる。向上心っていうのは、こっちの基準だから、そっちの向上心とは関係ないと思ってもらっていい。で、上の人間の話によると、時代によって上にいく奴が一杯いる時があったり、下にいく奴が一杯ある時がある。要するに、時代によって、多くの人が死後、上に行ったり下に行ったりするらしい。そういう傾向というのがあるんだって。で、大抵の場合、そっちの世界とこっちの世界は釣り合っているから、そっちで面白くおかしく生きた人はこっちでは低い世界に行く事が多いんだって。そういうのが多いらしい。逆に、逆境に自ら臨んだ人は高いグループに行く事が多いんだって。
僕なんかは中位のグループだけどね。ほんとはもっと細かく規程があるんだけど、説明するのが面倒だからいいや。さっき言ったギャルなんかは僕と同じなんだけど、癌の婆さんなんかは、ワンランク下なんだ。まあだから、違うグループとも交流できる場合もあるんだけど。
さて、本当に時間がなくなってきた。僕はそちらに言いたい事も全然ないし、こっちの多くの人はね、みんなこっちに満足しているんだ。最初はそっちに戻りたいってみんな言うけど、馴れてくると、こっちでいい、「絶対に還らない」ってなるのね。何故かって聞かれても困るけど。まあそっちは何かと足かせが多いからねえ。僕は二度と、そちらに戻りたいとは思わないなあ。
僕は今、結構満足している。で、こっちではただ見ているだけって言ったけど、実はやる事があるんだよ。充実していると言えば言えるかな。レポートとかがあるんだ。「来たるべき生に向けて、何を懸案とするか」 そういう総括をしなきゃいけない。見る事と雑談だけと言ったけど、こういう宿題も間に挟まっていてね。まあ期限は長いから、永遠に近く考えていても問題ないんだけど。考えるという事も一つの仕事。それで、解説しておくと「来たるべき生」っていうのはそっちの世界の事じゃない。もっと違う次元の生の事なんだけど、それはなかなか説明できない。それは、「より大きな生」とも言われているけれど、考え方としては、そっちを小学校とすると、「来たるべき生」は中学校なんだよ。次に進級する感じというか。それでそれに向けて、課題に取り組むっていう感じかな。こっち、死後の世界はそのインターバルなんだ。なかなか快適なインターバルだよね。そちらよりは良いよ。
まあ、こっちはこんな感じかな。…ああ、そっちがどんな感じかは言わなくてもいい。君らよりも、僕らの方がよく知ってるからさ。でも、僕らもこっちに来た時は熱心にそっちの事を観察するんだけど、みんな割とすぐに飽きちゃうんだよなー。僕なんか結構、続けて見ている方だよ。他にやる事もないからイヤイヤ見ている人も多い。でも、それも課題の一部だからね。楽しい事ばっかりじゃない、と。
まあ…こっちはこんなもんだよ。これ以上、言う事はないかな。最後にちょっと秘密を言うと、そっちの世界からもこっちが見れるシチュエーションとか、状況っていうのがあるんだけど、そういうのもそっちで生まれる前に教えてくれたら面白かったよね。そっちからこっちを見てもそれは朧気な夢なんだけど、そういう形でも、こっちの世界に触れる事…それがある場合は癒やしになるんだってさ。上の人の説明によれば。そうやって、「違う世界」に触れる事が希望になるらしい。僕はそんな経験ないけど。
僕は…病気で死ぬ時、空が真っ暗になるという経験をした。病院の中で死んだんだけどね。死ぬ時、自分の体がくっきりと見えて、要するに幽体離脱というやつで、フーーと自分が上に上がっていったよ。気持ちよかったなあ。肉体を置き去りして、ギューーと上がっていくんだ。そのまま上がって上がって、それでここにたどり着いて、今の僕がいる。
今の僕はさ、例えば性欲なんか全然ないけど、ないならないで、あんなものなんであったんだろうって感じなんだ。すごく楽だし、生きてた時より生きてる実感があるね。まあこんな事は全部戯言だって思って、笑って流してくれればいいんだけど。フィクションとして受け取って貰えればいいよ。ただまあ、そっちの人は多分、こっちに来るのは嫌だ、そっちに残る方が素晴らしいってみんな言うと思うけど……実際、こっちに来たらわかると思うよ。何が楽しいか。何が生きる事か。だけどそれを知る為にはそっちである程度真面目に生きなきゃいけないんだけどね。こっちに来る為に自殺するのは原則、禁止されている。それでこっちの情報、例えばこの文章のごときはそちらにあまり出ないようになっているんだ。
だからまあ…僕の語りも変な形で伝わっちゃうんだろうなあ。書き換えを専門にする人がいるから、そうした人達が色々書き換えちゃうかもなあ。まあ、奇跡的にその検閲を通り越したら、君らは僕の言っていた事がいつか本物だと体感する時が来るはずだよ。そういう時は間違いなく、来る。だけどその時は君らはもう死んでしまった時だけど。そうなったら僕の言っていた事もわかるさ。ああ、あいつの言っていたのは嘘じゃなかったって。でもそう思うまでは、ある程度はそっちで頑張って生きないといけないわけだけどね。