蠢く闇 1
暗がりの東都のビルとビルの間を男が走り抜けると、その慌てた様子の靴音が反響し、追跡者に居場所を知らしている。そして時折蹴飛ばす空き缶が、一層甲高く響いた。
もっと静かに逃げればいいのだが、男はそれどころではなかった。逃げなければ、とにかくそうしなければ捕食されかねない。しかし、そう簡単に逃げ切れるのならば、男がこんなに焦ることはなかったはずなのだ。
彼はある路地を曲がった所で捕食された。血しぶきが舞い、臓物が飛び散った。悲鳴を上げる時間も無かった。
捕食者はくぐもったうめき声をあげ、たった今まで生きていた生命の血潮を啜った。そしてその姿は、人間だった。
・・・
システムは今日もいつもどおりに稼働している。実地パトロールと東都内の監視カメラをリモートでの監視、それはいつものシステムの様子だった。
今日の業務を終えたカオルは、まだ仕事中のラディと会話をする。
「先輩。もう帰るんですか?」
「徹夜だったんだから帰らせてよ。早く帰って新しく買ったディスク見たいんだから」
「言っても中古じゃないですか」
「うるさいわね。じゃあね」
「はーい、お疲れです」
気の抜けたラディの返事を背中で聞きながら、カオルは司令室を後にする。真っ白ではるか先まで伸びる廊下を靴を鳴らして歩き出すと、カオルは自分以外誰もこの世にいないんじゃないかと思うほどの空虚感を感じる。この司令室から建物を出るまでの間、いつもそんな感覚を肌で感じる。
一つ目の角を曲がって、カリムの部屋へ到着すると、正確に四回ノックした。こうする事でカリムはカオルが来たことを確認するのだが、他のものが来ると居留守したりする。
室内に入ると、カオルはいつものソファへ座り、カリムは車椅子を移動させ横で止まる。
「今日は帰るからね」
「つまんない。でも、徹夜だったからね。帰ってゆっくりしてよ」
「うん。あんたもゆっくりね」
二人はしばらく雑談をして、カオルは家路についた。
・・・
システムのビルの地下駐車場から赤いスポーツカーを出庫し、夜の東都を走り抜ける。疲労から来るものなのか、カオルの目には信号機の赤やネオンの緑や黄色が、残像を残して流れるように見えていた。
カオルは信号待ちの際に、目薬を入れた。ツーンとした清涼感が目に染み渡ると幾分かは視野が明瞭となった。青信号を見ると、もうそこに残像は残っていなかった。カオルは心持ち穏やかになって、スムーズに東都を進んでいった。
高速道路に乗ってしばらく東に車を走らせていると、カオルのスマートフォンがカリムからの着信を知らせた。オーディオデッキの受話器ボタンを押すと車のスピーカーから、少し焦ったようなカリムの声が聞こえた。
「カリム、どうしたの?」
『いや、なんだか胸騒ぎがして。どう? なんにもない?』
「やめてよね。あんたの妙な勘は当たるんだからね。まぁ、特に何もないから心配しないで。無事に走ってるよ」
『それならよかった。ごめんね、気をつけて帰ってね』
「うん、じゃあ切る──」
カオルが受話器ボタンを押そうとデッキに手を伸ばし、前方から一瞬目を離した刹那、フロントガラス越しに何かが立ちふさがるのが見えた。ここは高速道路だ、とか、100キロ以上で走ってるのに、とか、そんな雑念を思うまもなく、その物体にカオルの車は避けきれるわけもなく衝突した。