一転攻勢
この世は常に動いている。正解もないし不正解もない。それはあくまでも観測者が判断することなのだ。彼から見れば時が味方をしたと言い、彼女からすれば運に見放されたという。
時勢を読むというのはとても難しいのだが、とても大事なことだ。「時を失する」と言う。ファクトリーの神谷が行動を開始したのが、一歩早かったのだ。サクリファイスで起こったヤミによる大量殺人や、クロスフィールドでのマスターの覚醒を伴うファクトリーの宣戦布告、フトゥレでのサイレント・アセンションズのアポカリストとの邂逅。それらの事件から時間が経過し、システム側に気の緩みがなかったかと思い返せば、違うとは言い切れない。
油断していたのだ。つまりシステムはファクトリーに対して攻撃のタイミングの「時を失した」わけだ。本格的な戦争は始まってしまった。一時は姿をくらましていたヤミが一斉に出現、東都の多くのエリアが一瞬にして制圧された。日本国最高議会は三代健吾を初めとする多くの財政界や政界からの権力者の集まりである長老会の手に落ち、都市機能は失われてしまう。警察機構ももちろん麻痺はしたが、マスターやキャップのいち早くの行動によりシステムは辛くも警察機構から独立、長老会の支配下からくぐり抜けることができた。しかしシステムは現政権の政府から見ればお荷物となってしまう。なぜならかつての敵が現在のシステムの上層部となってしまったからだ。
そして一時の喧騒から一ヶ月、落ち着きを取り戻し始めた冬の入り。厳戒態勢の東都ではあるが、神谷の迅速なヤミの撃退作戦によって、一般市民の自由はある程度確保され、傍目にはいつもの東都に戻っていた。恐ろしいことに長老会は公然と市民権を得ていた。仕組んで自分で解決したのは誰がどう見てもそうなのだが、かのヒトラー総統の言葉を借りれば「人は小さな嘘より大きな嘘に騙されるものだ」という、まさにその通りに物事が進んでいたのだ。
しばらく前にカオルが持ち帰った指輪に関して、陰陽連はひとまずの検査結果を独立後のシステムに寄越した。それによれば、これは鍵のシリンダーのようなものであり、鍵と共にある時に効果を発するものだと言うことがわかった。
マスターの見解ではそこまでの予想はあらかた立ってはいたのだが、問題はそれが何の扉の鍵なのか、ということろである。
鍵と鍵のシリンダーということは、何かしらの扉が存在するはずなのだ。その扉の向こう側に、おそらく神谷を始めとする長老会とサイレント・アセンションズの求めるものがあるのだ。
・・・
カオルは手を天井の蛍光灯にかざし、自分の指にはめられた指輪を眺めていた。このシリンダーを残した母、マグダラは一体何をカオルに望んでいるのだろうか。それらのメッセージは何も残されていない。韓国にも日本にもない。
「一体私に、何を望んでるのよ」
椅子の上でかざしていた手を下げ、ため息をついた。
「なにか言いました? 先輩」
「いいや、独り言よ」
大きな独り言にラディが反応した。
「辛気臭いからやめてくれ、気が滅入る」
それに合わせて、ラオがデスクのラップトップの画面越しに言った。
「なかなかこちらから手が出せない。そんな状況で、みんな既に気が滅入ってるよ」
独り言のようで誰かに言ってるような言葉を、ベスパは吐いた。
「こちらから手が出せないっていうのはきつい。困ったことに世論は長老会に傾いてるからね。神谷は時勢の読み方に長けてるみたいだ」
カオルの隣のデスクでケルベロス・システムをチェックしながらカリムが呟いた。
「カオル」ラオが席を立ってカオルに話しかけた。「下でコーヒーでも飲まないか?」
「うん、そうしようか」
「あ、私も!」
ラオとカオル、そしてラディは三人で一階のカフェテラスに向かった。
・・・
システム独立時に職員が何人か警察庁へ移った。それによってシステムの建物は幾分、静かになったような気がする。実際、カフェの店員は顔ぶれが変わったし、ランチ時間にいつもの奥の席で食事をしていた二人組は現れなくなった。こういった部分から、システムが追い詰められているように感じる。
「いっそのことなにかドンパチ起こしてくれないものかね」
ラオがエスプレッソをすすりながらそう言った。
「向こうも慎重派だ。下手に動くとしっぽ掴まれるのをちゃんと分かってるんだよ。神谷は策士だ。」
「先輩、その指輪に関してはなにか進展がありましたか?」
「いや、これもうんともすんとも言わない」カオルは左手で右手の指にはまっている指輪を構った。「私の予想だけど、いつか韓国に帰ったときに孤児院で神谷に会ったけれど、たぶん、奴は全て分かってたんだと思う。あの指輪があの孤児院にあったのも、私の手に渡ったことも。あの時から既にやつの手のひらだったんだよ」
「その行動も、全て意味があってやっていたと?」
「きっとね」
そして三人はそのまま黙り、各々のコーヒーが冷めていくのを眺めていた。
・・・
司令室に戻った三人はキャップに呼ばれ、ミーティングルームへ入る。マスターも含めた全員でのミーティングが行われた。
「この膠着状態ははっきり言って好ましくない」
キャップは一同の顔を見ながらそう言った。
「今度はこちらから動くつもりだ。しかし、今のシステムは警察庁の管轄から独立した組織として機能しているが、長官……いや、かつての長官の一存でなんとか存続できている状態だ。下手な動き方をすれば組織そのものが消える可能性もあるし、長官の命にも関わる。よって、我々はその独立した組織であることを逆手に取ることにした」
そこまでの話終えると、マスターが喋りだす。
「我々はこれから公営から民間組織へと変わります。長老会を調べたところ、彼らは民間企業や政界の重鎮であることがわかりました。こうなると大体は様々な人間から恨みを買っていることでしょう。そして実際にそうでした。それらの人物や起業家からの投資を受け民営化し、日本政府とは関わりのない独自の路線を取ります。幸いにも日本は民主主義で資本主義です。つまり自由経済ですから。私はこれから会社を立ち上げることとします」
民間企業としてシステムを機能させ、そして独自路線を取る。日本が資本主義である以上、それを止める権限は政府にないのだ。




