フトゥレ【母】
システム本部の司令室にはマスターとキャップが座していた。多くのモニターは東都の映像から、フトゥレのいろいろな方向からの映像に切り替わっていた。もちろんその一つにカオルとアポカリストが邂逅した際に起こった爆発も映っている。黒煙をあげ、消防用ドローンが放水を行っている。
その映像を二人は食い入るように見ている。
「……中の状況は分かりますか?」
「ラディ、ベスパ、ラオの状況はカリムから送られていますが、カオルが行方不明です。恐らくフトゥレ内のどこかのエリアにいるとは思われますが、カオルと通信が取れません」
「カリムでもカオルの現在地が掴めないということですね」
「えぇ」
マスターは顎に手を当て考えた。
「行きますよ」
「え? どこへ?」
急に立ち上がったマスターにキャップは驚いた。
「私達も現地に行きましょう。私の側にいれば、あなたも暫くは大丈夫でしょう。この間、クロスフィールドでカリムが使ったあのドローンです。現場にも配置されてますよね」
「えぇ、緊急脱出用に配置されてます」
「それがあれば大丈夫です。カオルがいるのは多分、あの展望室でしょう。そこしかありません。さぁ、行きましょう」
マスターの言葉にキャップも立ち上がるが、その表情は幾分暗いように感じた。(もちろん感じるだけだ)
「……ちなみに、どうやって行くんです」
「バイクです」
・・・
「やっと終わった……。行くぞ、ラディ!」
「了解!」
合流していたラオとラディは、正体不明の敵の来襲をすべて片付け、カオルの元へ向かう。
「俺も合流だな」
二人が走っていると、ベスパも合流する。三人の足音と、床に散らばる廃材を蹴飛ばす音が反響した。
「カリムから連絡きたか?」
「なんの連絡?」
「さっきのあれ、お前らも見ただろ」
「あのつるつるしたマネキン?」
「ああ、そのままマネキンって仮称で呼ぶことにするってよ」
「わかりやすくて助かる」
『みんな合流できた?』
カリムの通信が三人に届いた。
『今、マスターとキャップもそっちに向かった。カオルとの連絡が取れなくて、マスターが目星をつけてキャップと出たんだ』
「なるほど。そうすればGPSでカオルの位置が特定できる。目星はどこだ? 我々もそっちに向かうぞ」
『今のところ、展望室じゃないかって』
「了解だ」
・・・
現場についたマスターとキャップノ目の前には、ドローンが置かれていた。人が三人は乗れる大きなものだ。明るいスポットライトに照らされたドローンは、真っ黒な機体を怪しく反射させた。夜の東都を背景にして重厚に光った。
「マスター、あなた本気……いや、正気ですか?」
「もちろん。私は何事も本気だし正気の判断です」
久しぶりに乗ったマスターの運転するバイクでキャップは意識朦朧とし、そして先日のクロスフィールドで脱出に使ったドローンに乗るなどと、誰が想像したのだろうか。しかもマスターは先陣を切って乗ってしまった。こうなるとマスターから離れられないキャップは乗るしかないのだ。
「安全運転してくださいよ!」
「大丈夫ですよ! 私に任せなさい」
そう言った瞬間、恐ろしい勢いでドローンは飛び上がった。
・・・
「くそっ!」
アポカリストの手を避けるしか、今のカオルには対抗手段がないのだ。ひたすらに回避し、そして時々当たり、体には少しずつ傷が増えていく。
【もうやめろ。お前が傷つくだけだ。私はそんなことを望んでいない】
「そんなこと、知るか」
【実はお前には特別に思い入れがあるのだ、私は。さっき私は、我々と言ったが、サイレント・アセンションズには、他にも数名いたのだ】
「……」
カオルはアポカリストの話を聞くふりをし、様子をうかがった。どこかに隙が生まれれば、すぐに飛びかかれるように。
【そのうちの一人が──】
アポカリストの底。つまり動いているからには、床との接地面は柔らかく、当たり判定がある可能性がある。だが、アポカリストはほとんど動かず、その場にいる。底を見せる可能性は極端に少ない。やはりシフトが必要になる。
【お前の母親なのだ】
走り込んで、あの窓ガラスに穴を開けようとも思ったが、アポカリストはそんな隙をカオルになかなか与え
「え?」
カオルは足を止めた。
【私の言った通りだ。だから、お前はアセンショナーの素質があった。故に目覚めた。お前は、お前のシフターの影響で目覚めたと思っているのだろうが、実際は逆だ】
「そん、な話、誰が信じるってのよ」
【お前の母親はマグダラ、という名前だった。人間を愛し、そちらの世界に堕ちた。そしてお前を産んだ】
全ての物事には、図るモノが必要だ。長さを図るには定規、重さを図るにはスケール。だがカオルにはそれが真実なのか虚実なのかを図るモノがなかった。だから、どうということはないはずなのだが、ほんの少しカオルの心を揺さぶることができれば、アポカリストの思う壺だった。
カオルはその情報にやっとで保っていた冷静さを失った。
【お前は、母の生まれ故郷に帰るだけなのだ。気負うことはない。さぁ、こちらへ】
アポカリストがにじり寄った瞬間。展望室のガラスが爆発で吹き飛んだ。破片が飛び散り、爆発音でカオルは目が覚めた。
「ビンゴ!」
風穴の空いた窓ガラスの向こうには、ドローンに乗ったマスターとキャップの姿があった。ドローンに搭載された小型ミサイルによって開けられた風穴から、キャップが通信デバイスを投げ入れた。それは寸分違わずカオルの足元に滑り込む。そこにはシステムにいるカリムの顔が映し出されていた。
『カオル!』
「カリム……」
『シフトだ!』
【要らぬ事を……!】
その声でカオルは我に返る。
【させぬぞ!】
アポカリストの手が握りこまれ、カオルに向け発射された。
しかしそれは発射された直後に、ベスパの放った電撃の弾丸によって弾かれた。
「間に合った!」
もう一方の手が握りこまれ発射された。
「させるか!」
ラオは杭をカオルの前に投げて打ち込み、術で結界を張った。手は弾かれるが、あまりの威力に結界にはヒビが入る。
「ラディ! そいつの気をそらしてくれ!」
「任せて!」
ラオの呼び声に、ラディがアポカリストの眼前に飛び出し、指から血の弾丸を放つ。
【そんなもの、私には効か……。なっ、こ、これは】
血の弾丸はアポカリストの小さい目の部分に被弾すると液体に戻り、視界を塞いだ。
「先輩、シフトを!」
「ありがとう、みんな!」
カオルは画面内のカリムと視線を合わせる。カリムの意識はシステムからフトゥレの展望室へ飛び込み、ウツワであるカオルの意識と結合した。魂の振動数が上昇し、カオルはアセンションする。
「行くぞ、アポカリスト!」
カオルが踏み込むと、その衝撃でできた窪みだけを残して一瞬で姿が消えた。先程の爆発で舞い上がった粉塵が、カオルの痕跡を残し、一瞬で側面へ回り込み懐に飛び込んだ。
【なに……っ】
「はぁ!」
ファーストエッジを居合で振り抜く。超高速で打ち出された刃は、アポカリストの硬質の肌を裂くのに十分な威力だった。
【がぁっ!】
切り口から血は出なかったが、明らかにアポカリストは怯んだ。すかさず手がカオルの頭上に現れる。床に拳を叩きつけるが、既にカオルの姿は超高速で反対側へ移動していた。そして同じように剣を振り切り裂く。
【ぐぉ……】
そこでシフトタイムが切れ、カリムの意識は一時的にカオルから離れた。アポカリストは身動ぐ。
【ぬ、ぐぅ……。素晴らしいシンクロ率だ。これが完璧なアセンショナーか。私は一度退散しよう。正直いって君を侮っていたようだ】
「待て!」
【いずれまた見みえよう。我々は、君の力を欲しているのだ】
アポカリストの後ろに歪みができ、そこへ吸い込まれるようにして消えた。巨大なアポカリストの体が無くなり、展望室は一気に広くなったような感覚がした。
「先輩!」
ラディは膝から崩れ落ちたカオルを支えた。彼女はクタクタに疲れ切っていた。
「ラディ、このドローンにカオルを乗せて」
「はい」
マスターとキャップの乗るドローンにカオルは乗せられ、ゆっくりと下降していった。その様子を三人は眺め、夜明け前に発生した霞に消えるのを確認してから地上へ向かった。




