ベスパ
かつて香港に恐れられた『白鬼』がいた。彼は多くの香港マフィアとの繋がりを持ち、三合会をはじめとする多くのマフィアが彼の上得意として存在した。そして多くのマフィアの幹部が、彼の銃で暗殺された。
しかしながら多くのマフィアとの繋がりは彼自身を何度も命の危険に晒らし、公式記録では三年前に殺害された。そして今回紹介するベスパが組織へ加入したのも同時期である。
難しい話ではない。その『白鬼』こそがベスパだ。本名はベスパ・シアン。彼の特異な才能に目をつけた組織は、まずベスパを逮捕することからスタートした。ベスパを逮捕したのち、彼を死亡扱いとして引き入れたのだ。
この怪しい能力を持った構成員だらけの組織において、彼のその特異な才能はいまだ知る由はないのだが、少なくとも彼が一般人とは一線を画しているのは間違いなさそうだった。
彼は今現在、関西国際空港から東都へ向かう高速バスの中にいた。黒髪だらけの日本人の中で、その美しいまでの白髪を探すのは、熟れたトマトを潰すくらい容易なことだ。
彼は何を思っているのだろうか。疲れで眠っているのか、目を閉じていた。
それからしばらくして東都へ着いたバスを降りて荷物を受け取ると、彼は一つ伸びをして夜の東都を見上げた。目慣れた光景だったのだろう。少しの安堵が彼の口角を上げさせた。
「ベスパ。お疲れだった」
「キャップ」
ベスパの後ろから話しかけたのは、黒いヘルメットを被ったキャップだった。彼はベスパを、社用の黒い防弾仕様のセダンに乗せ、一路、事務所へ向かった。帰宅ラッシュを終え、人通りが一段落した街は少しの静けさとともに街灯を揺らしている。
ベスパはいつもキャップの迎えを拒否している。もちろん、こんなヘルメットを被った男と知り合いと思われたくないからに他ならない。だが、キャップは必ず迎えに来る。実のところべスパも悪い気はしないのだ。
「キャップ。外でくらいそのヘルメットはずしなよ。暑くないのかい?」
「暑いさ、とてもな。だが、私の顔そのものが機密事項なのは知っているだろう。仕方ないのさ」
「ヘルメット手当てもらってんだろ?」
「もちろんだ」
セダンの中で向かい合って座った二人は、そう言って笑い合った。ベスパは、キャップとマスターの三人でこの組織を設立した、いわゆるオリジナルメンバーだった。故にキャップは彼に対して砕けた態度を取ることができる心休まる相手であり、逆もしかりだった。
二人は上司と部下に当たるが、それはあくまでも体裁としての関係であり、お互いに同等の関係を望んだ。それにベスパはもともとから一人で活動していたこともあり上下関係に疎かったし、親兄弟の記憶すらない彼にとって、キャップは兄であり友人だった。
「今日は他のメンバーも集まって久しぶりの打ち上げだそうだ。お前も出たらどうだ、ベスパ」
「そうだな。みんなと会うのも久しぶりだし、参加するよ。あんたはどうする?」
「……わかって聞いてるのか?」
「冗談さ。でもさ、俺はあんたの素顔が見たいんだよ。俺の兄貴になってくれるって言っただろ? 普通、兄弟なら顔を突き合わせて酒を飲むもんだろ」
「すまないな。だが、お前を弟と思っているからこそ、外さないのさ。俺の顔を知ることができるのはマスターと長官だけだ」
そうかよ、と一言言ってベスパは窓から外を見た。流れる街灯の明かりが線になって後方へ流れていく。ベスパはいつもこの話題をキャップに振っては、少し傷ついた。分かっているのに聞いてしまう自分の愚かさ加減にうんざりもするし、そんな自分を見てどう思っているのかも伺えないキャップに対して寂しさもあった。
静まった車内で、二人は沈黙を眺めた。
最後は、ラオだ。彼女は国内での任務に当たっていたようだ。
東都駅で彼女を待つことにしよう。