傾向と対策、現状のシステムとファクトリー
ファクトリーの宣戦布告からしばらく。カオルは司令室の自分のデスクから、様々な角度で映し出される東都中の監視カメラの映像を見ていた。あれから目立った騒動はない。神谷が元々はマスターの仲間だったとか、キャップが人間じゃなかったとか、カオルがあれこれ考えるには十分すぎる時間だったが、彼女の中で辿り着いた答えは神谷は敵で、キャップは信頼できる上司ということだった。
目の前に置かれた温かいコーヒーからは、天井から引っ張られているように、ゆったりと一筋の湯気が昇っている。香りが鼻腔をくすぐった。
「先輩。どうしたんですか。そんなに物憂げな顔して」
「いや、なんでもないよ。ファクトリーが何なのかって、私なりにいろいろ頭の中で整理してたの」
「そうですか。私も急なことで混乱してますよ。でもまぁ、考えても仕方がないですけどね」
「そう思うことにしたわ、私も」
・・・
神谷の目的は未だにはっきりはしない。
「彼は騒乱を望んでいたのでしょう」
マスターはそう言った。そして同時に語られる神谷のパーソナル・データは、三十二才で、父から十七才の頃に家督を継ぎ、護皇軍の頭首となった。彼が相続するまでマスターとは面識はなく、初対面での第一印象は、聡明でしっかりした青年という印象だった。まさか彼がこのような事態を引き起こすなど、当時マスターは信じられなかった。だが事実として起こってしまったのだ。
それから彼が再び姿を表すまで、マスターとキャップは行方を追っていたのだ。
・・・
「目的までは、はっきりはしないみたいだな」
ラオは昼食の時、カオルとそう話した。賑やかなカフェテリアで二人はカツサンドを齧りスープを飲み、そんな会話の中でファクトリーの目的についての雑談をしている。
「目的なんてよくわからないけど、サクリファイス事件みたいに一般人を巻き込む必要があるなんて、どうせろくでもないことよ」
「同意だ」
「私がちょっと気になるのは、他にもメンバーがいるのかって事よ。あのカリムの編集したケルベロス・システムには女が映ってたけど……」
「そうだったな。あれが一体何者なのか。他にもいるのか。もしも我々よりも遥かに大規模な組織だったら、それはとても困る」
「そうだったら、我々もヤミみたいなものを作るのかしらね」
「……笑えない冗談だぞ、カオル」
・・・
ファクトリーの規模も判明はしていない。人間としては神谷と新庄の二人しか姿を見せていない。もしも護皇軍の何人かを引き連れているとしたら、それなりの規模を持っているのだろうが、マスターは新庄とは初対面だった。
新庄の強さは覚醒した状態のマスターだからあそこまで一方的であったが、ベスパは自分だったらどうだったかはわからないという所感だった。技の威力、動きのキレ、全てにおいて一歩上の人間の動きだった。それは映像を見た全てのメンバーが思ったことだ。
・・・
「俺はあの二体に追いやられて、実際のマスターの戦いは見てないんだよ。だからケルベロス・システムに映った映像が全てだ」
ベスパは自分の机に足を乗せ、隣の椅子を拝借して座っているカオルに言った。
「肉体改造とかされてるのかな?」
「それは、分からん。だが、可能性はある。ヤミみたいなのを作るくらいだからな。既存の体に何か施すくらい出来るんじゃないか?」
足を下ろして、ベスパはコーヒーを飲んだ。
「ベスパ、あの二体と戦ってどうだった?」
「ラディから聞いていたとおりだった。今まで群発的に現れてた雑魚より、遥かに上位だ。動きも力もな。考えて連携を取って襲ってきたよ」
「考えて行動するタイプか」
組織化された戦闘行為、とカオルは考えた。強化された身体能力と戦略に則った行動は、いかにも人間臭い。
・・・
ファクトリーの規模もよくわかっていないのだが、その規模に関して気になる事があった。クロスフィールドでの戦闘における損害に関する報道がなされていない。システムからメディアに対して報道規制を張っていないにも関わらずだ。何者かによって先手を打たれ、規制がかかっていた。
【最上階でガス爆発が起こり宿泊客数名が怪我、大型ドローンにて救助】
この数名がマスターとベスパなのだろうが、一体何者が規制をかけたのか、これ以上の報道がなされなかったのだ。クロスフィールドに入る前にマスターの言った【よほどの権力者の息がかかっているのでしょうね】の部分にどうしても思考が行き着いてしまう。
その、よほどの権力者が神谷だとは、キャップは考えていない。だが、神谷を支援する何者かがおり、その支援者の集まりや出先機関としてファクトリーが存在する可能性があった。財政界や政界、高度に資本主義社会となっている現代社会では、より純度の高い利益を求め悪魔に魂を売ってしまっている者が少なからずいるのだ。
・・・
「ファクトリーに関しては、今後、大規模な調査活動が始まる予定だ。先んじて何人かの諜報員に、クロスフィールドの報道規制をかけたものが誰なのか、その線から調査を始めさせている」
司令室でキャップは腕を組みながら、そしておそらく前を向きながらカオルに言った。前を向いてはいるがきっとその視線の先には何も見ていないだろう。そんな気がするのだ。
「私達の今後の予定は?」
「今はまだない。自主的なトレーニングや休息に時間を当ててくれ」
「……了解です」
その話を傍らで聞いていたカリムがカオルに話しかける。
「結局あのクロスフィールド事件から、ヤミの出現報告は無くなったよ。ファクトリー的には、もうヤミの実験は終わったのかもしれないね」
「次の段階に入った可能性もある?」
「そうだね」
そこで話が終るとキャップは立ち上がり、用事があるといって司令室を出ていった。残された二人はカリムの自室へ行き、そこでコーヒーを飲んだ。
「なんか、私は朝からコーヒーばかり見てるわ」
「この世界にはコーヒーしかないのかもね」
そう言ってカリムは一口飲んだ。
・・・
今後については未だに未定だが、キャップが言う諜報員の報告次第になるだろう。なんとか尻尾を掴まなければならない。尻尾の毛先が少しは見えているのだから。果たしてそれを引っこ抜いたとき、何が出てくるのか。
・・・
外は暗くなり、マスターの自室の窓からは夜の東都が見える。ジュエリーボックスから溢れた宝石の様に、人々の営みが輝いてる。
カオルがその窓から外を見ていると、マスターがお茶を湯呑に入れてテーブルに置いた。柔らかな絹のような湯気が立っていた。
「マスターまでコーヒー出したらどうしようかと思ってました」
「? なんのこと?」
なんでもないです、と言ってカオルは笑った。
「もう体は大丈夫なんですか?」
「えぇ。あれが出てきた時というのは、一時的な喪失感こそあれど、後に何か残るような事はないです。その時に怪我でもしていれば別ですが、少しの擦り傷だけでしたから」
ゆったりとした所作でマスターはお茶を飲んだ。それに合わせて白いショートヘアーが揺れ、カオルはその髪を見ていた。
その視線に気がついたマスターが訝しげに見返す。
「どうしました?」
「あ、いえ。マスターのその髪色、透き通ってて綺麗だなって」
「そうですか? ありがとう」
髪を指でかきあげて耳にかけると、真っ白い素肌と耳があらわになる。ぷっくりとして肉厚の柔らかそうな耳だった。
「カオルの髪もとても綺麗ですよ、柔らかな桃色で。それは自毛だったかしら」
「はい。多分どちらかの親がそうだったんでしょう。親を知らないので、よく知りませんけど」
「そうでしたね、ごめんなさい」
「い、いえいえ。いいんです。気にしないでください」
焦ってカオルはそう言った。マスターは持っていた湯呑を受け皿に戻して少し微笑んだが、瞳には少しだけ影が残っていた。
「私は父の顔は全く覚えていませんが、母の顔は少しだけ覚えています。流石に三百年生きると、記憶が曖昧になるものですね。あの時はまだ髪も黒でしたし、今より若かったですよ」
「今でも十分、お若いですよ。見た目だけならニ十代ですもん。街に出たらナンパされますよ、きっと」
「そんなことになったら、キャップが大慌てするでしょうね」
そう言うと二人は笑いあった。
「今はまだ、これからの事は未定です。もしあなたが良ければ、一度帰郷してもいいかもしれませんね。随分帰ってないでしょう?」
「……そうですね。でも、今は大丈夫です。そんな場合でもないですし」
「分かりました。いつでも言ってくださいね、相談に乗ります」
更けていく夜の影は、こっそりとマスターの部屋に染み込んでいた。




