トワイライト・ウォーカー 1
揺らめく夕日を、ラディはシステムの休憩室から物憂げにぼんやりと眺める。
かつてルーマニアで保護されたとき、カオルが残された研究資料をもとに生成したエリクサーによって太陽光への免疫をつけ、彼女は太陽の下を問題なく歩けるようになった。本来ならこの差し込む夕日だけでも肌は爛れ、人間で言うところの大火傷を負ってしまうはずなのだが、現に彼女は夕日を楽しむ余裕すらあった。
美しい稜線を持つ横顔に温かみのあるオレンジ色の夕日が当たると、誰しもが息を呑むほどの絵画がそこにあるかのように、その場は荘厳な雰囲気となる。彼女はそれほどまでに美しかった。
「ラディ、お疲れ様」
「先輩。ありがとうございます」
カオルが紙コップのコーヒーをラディの前に置くと、彼女はそれを嬉しそうに受け取り、カオルはテーブルを挟んで正面に座った。
「なんで横に座ってくれないんですか?」
「横に座るとあんた、私にくっつくじゃない。動きが取れなくて嫌なのよ」
「いいじゃないですか。私達は、そういう仲なんですから」
「人が誤解するから、大声で言わないで」
「誤解されたら、既成事実にしましょう。私が本気を出したら、先輩なんてちょろいもん──」
「じゃあね」
カオルが呆れて席を立とうとすると、ラディはごめんなさいと言ってカオルにしがみついた。
実際にカオルはラディが嫌いではないし、むしろ好きなのだが、あまりにもなラブ・アピールが恥ずかしくて仕方がなかった。カオルはそう言ったアピールを素直に受け取ったり、受け流したり出来るほど、人間として大人ではなかった。
システムの職員の何人かは、この二人が実際にカップルであり既にさっきラディが言った『既成事実』を作っていると、そう思っていた。そしてカオルはそのことを知っていた。
「あのね、ラディ。そう言うことを大きな声で言ってると、私達がその、えーと」
「レズって事ですか?」
「ばっ……。まぁ、そうよ。そういう噂になるでしょ!」
「まぁ、私は構わないんですけど」
「私は構うのよ!」
二人のこんなやり取りは、約二年続いている。二百年も暗い石牢にいたラディが、ここまで明るく振る舞えるのはカオルが側にいるからだ。生きる幸せや楽しさ、そして人を愛することを、カオルが全てラディに教えたのだ。
・・・
かつてルーマニアの僻地にある古城の地下で、二人は運命的な出会いをした。それはこの土地に約二百年前にいたミノス博士の吸血鬼研究に関する資料の回収を、ルーマニア政府からの依頼でこの城にカオルがやってきた二年前だ。
悲しい瞳をしたきれいな娘だ、とカオルは一目見て思った。そして捕らえられた石牢から出してやりたいと思ったし、ラディと名乗る娘も、呪縛から解かれたがった。
だが、ミッドナイト・ウォーカーであったラディは太陽の元へ出ることは叶わず、束縛から解かれる事は即ち、死を意味した。
カオルはシステムへ、既に終わっていた調査の延長を申請し、その延長した期間でミノス博士の研究資料を調べ、ミッドナイト・ウォーカーをトワイライト・ウォーカーへと進化させるエリクサーの生成方法を発見した。
エリクサーを作るのにも手間取り、更に調査延長依頼をしたカオルは減給となったが、それ以上にラディを救いたかった。そして苦心の末に生成されたエリクサーはラディに投与され、夕方程度の太陽の日差しの下では、理論上問題ない体になっているはずだった。
「私は……。怖い。外に出たら焼けてしまうのよ。死にたくない」
「でも出たいんでしょう? あのエリクサーを投与したんだから、勇気を出しなさい。さぁ、私の手を取って」
「……」
「ほら!」
「え……きゃあ!」
無理に腕を引っ張られ石牢から出されたラディは、引っ張られるまま、外へ続く階段を登った。その時に感じたカオルの手の暖かさは、今でも思い出せるくらいにラディの心に焼き付いている。
「あとは、自分で出ておいで」
外への扉を開き、カオルは手を離して外へ出る。開け放たれた扉から太陽光が差し込み、暗闇に立つラディの足元まで迫った。恐怖に後ずさりしたラディは、泣きそうな顔で外にいるカオルを見るが、逆光のように、明るさで表情は伺えなかった。ただ、手を広げてそこでラディを待っていた。
「おいで。ここまで来れたらもう大丈夫だよ」
あと数歩がラディは進めなかった。そこに巨大な膜があるかのように、出ようとすると跳ね返されるように戻ってしまう。恐怖だ。ラディは自分でそれをわかっている。
だが次第に、ラディは二百年もの間、冷たい空間に閉じ込められている間に溜め込んだ、自分の運命を呪う感情を思い出した。いつまでも死ねない体、自殺すらできない。永劫に続くこの苦しみから、あと一歩で開放されるのだ。ラディの心には次第に勇気が湧いてきた。
一歩。ゆっくりと前に出る。靴を履いていない指先が光に触れる。ラディは口で大きく何度も息をし、狭い空間に過呼吸のように吐息が木霊した。しかしそこに熱さも痛みもなかった。徐々に落ち着いて来る呼吸を整え、ラディは目の前のカオルを見据えて踏み出した。足の甲から両腕と両手に太陽光が当たり、そしていつの間にかラディは光の中を歩き、カオルの腕に抱きしめられていた。
熱くはない。でも温かかった。人の温もりと太陽の温もり。彼女は自然とその温かみに涙を流し、カオルの服の胸元を濡らした。
「よく、頑張ったね。もう大丈夫だ」
・・・
ラディはカオルを女性としても愛し、家族としても愛し、その全てを愛していた。カオルの為ならどんな痛みにも、苦痛にも耐える覚悟を、彼女は持っていた。
もちろんカオルは、ここまでのラブ・アピールをされるということまでは想定していなかったようだが、ラディと一緒にいるときのカオルは、カリムと一緒のときの顔とはまた違うのだった。
・・・
夜も更け、東都はネオンと移動する車のヘッドライトやテールライトが支配されていた。様々な光がそこに住む人々の代わりに生を示しているように、果てなく終わりのない刹那を見せているのだなと、その二つの影はあるビルの屋上で佇んでいた。
「兄さん。ラディは本当にこの街に?」
「間違いない。この目で見たからな。後はどのようにして会うかだ」
「あの子はきっと私達のことは知らないだろうね」
「だろうな。我々は既にあの石牢を出てしまってたし、そもそもあいつの存在に気がついたときには既にいなくなっていたからな。我々としても初対面だよ」
兄妹と思われる影の二人は、ロングコートをはためかせながら、風の中で会話をしていた。そして兄と思われる男は、内ポケットから三枚の写真を取り出し、そこに写っている一人の男と三人の女の姿を見た。そしてその一枚が、ラディだった。
「あの研究室にあった例のエリクサーを生成した形跡があったから、きっと今はミッドナイト・ウォーカーからきっと、トワイライト・ウォーカーにはなってると思うよ」
「あぁ、そうだな。どこの変わり者か知らんが、よほどの物好きと見える」
「ミリナ姉さんは、まだ日本には来てないの?」
「どうやらまだのようだ。なんとしてでも我々が先にラディに接触しなければならない」
「何も知らないラディがミリナ姉さんと会ってしまえば……。あんまりよろしくはないよね」
「まだ会ったことがないとはいえ、あいつは妹だ。我々が助けなければならん」
二人はそのまま風に吹かれるようにして姿を消し、あとには通り過ぎる時間だけが残った。




