第四話
ややあって妙なオレンジ色のヘルメットをかぶった青いブレザー姿の男性が駆け寄ってきて、浅く頭を下げた。わたしも頭を下げて返す。男性は満面に笑みを浮かべて再度頭を下げた。わたしも再び下げるべきだろうか――とりあえず下げる。男性がまた下げた。え? 何度繰り返すんだろう。そう思ったところへようやく話しかけてもらえた。
「科捜隊隊員のミナトです。お電話されたかたですね。どうしました?」
すぐ駆けつけたことに驚きを隠せないが、対怪獣防衛組織の隊員ならば、怪獣の死体のそばにいて当然だと遅れて気がつく。近くにいたのだろう。それにしても感じの良い笑顔で、唇の間から覗いている歯は白く美しかった。これまでに会った県や市の職員たちとは全然違っている。嬉しさのあまりわたしも微笑んで返し、ありがとうございますと感謝の言葉を述べた。それから翻訳アプリを介して隊員に早口で尋ねた。救いを求めた。ところが――
〝怪獣の死体の処理〟と口にだしていうなり目の前の笑みが消失し、「あぁああ……」と、面倒くさそうな声を吐かれて、顔をそらされてしまう。
男性隊員の話す口調もがらりと変わった。
「わかりますよお。わかっていますよお。できることなら我々科捜隊も、被害にあった住民のみなさんの力になってあげたいと思ってはいるんですよお。ですけれども、我々は税金を使って活動しているわけですから、安易な判断で決定を下して行動に移すわけにはいかないんですよお。本当です。本当ですよお。いいわけしているとか、お金をケチっているようにしか聞こえないかもしれませんが、本当に本当の話なんですからねえ?」
まただ。またか。
死体処理の話になるなり、このように応対するのがマストなのか。
「知ってます、わかってます、わかっていますよお? 我々科捜隊が死体の処理にあたるのが適切であるとして、法定化の話がではじめていることはもちろん知っていますよ? でもねえ。ですけれどもねえ――」
もう結構です。ありがとうございました。わたしは吐き捨てるようにいって男性隊員に背を向けた。
駄目だ。誰もかれも怪獣の死体処理には関わりたくないらしくて、話にならない。目をあわせてすらもらえない。
どうする?
どうすればいい?
誰がわたしの話を親身になって聞いてくれる?
一体誰がわたしの望んでいる解答を提供してくれるのだろう。
きた道を引き返して我が家へと向かう。知らず溜め息がでた。嫌だ。もう嫌だ。気づけばかなりの距離を歩いてきたようで、電柱に貼られた住所表示は網場町ではなく、米花町とあった。徒歩でこんなに遠くまできたのははじめてのことである。ほんの少しだけ左の踵が痛い。だけど歩く。歩くほかない。
左にカーブした通りの先に、横たわった怪獣の足が見えてきた。直接触れない限り近くまで行くことは可能だが、車両の通行規制はまだ行われていて、怪獣の死体の近くまで乗り入れることはできない。それなのに怪獣のそばにはたくさんの車両がとまっていた。多くは赤色灯が屋根に載った緊急車両だが、迷彩模様の軍のトラックや、防衛組織SSSPの隊員がかぶっていたヘルメットと同色の特別車両もとまっていた。こんなにもたくさんの組織や団体に属する人が集まっているのに、怪獣の死体処理について真剣に考えている人はひとりもいなくて、それどころか如何にして他者に責任を押しつけるかばかり考えているのだと思うと憂鬱になる。
犬が。
犬があちこちで発狂したかのようにけたたましく吠えている。
異様だ。異様に思える。こんなに異様な状況であるのに、怪獣の存在に怯えて吠えたてているのが犬だけしかいないように思える現状もまた異様で奇異極まりなくて、わたしは顔を伏せて家までの道のりをまっすぐ——つけっぱなしにしていたイヤホンを耳から外して、ただただひたすらにまっすぐ歩いた。
結局なにも得ることはできず、むしろなにか大切なものをなくしてしまったような気持ちになっている。我が家の前の歩道に立ち、意図的に目をそらしていた怪獣を見るべく顎をあげると――
「ローナンさんですね?」
誰?
「お帰りをおまちしていました」
振り返るとわたしのすぐ後ろに、見あげるほどの大男が立っていた。誰だろう。真っ赤なシャツに黒いジャケットをはおり、ゴールドの装飾品をいくつも身につけた髭面の男性が口角をあげて右手を差しだす。握手を求められているのだろうか。存在感に圧されて動けなくて差しだされた右手に応じずにいると、腕をつかまれて強引に握手させられた。
「敷地内に入らせていただいてもよろしいですか。近くで見たいんです、怪獣の顔を。商品価値を見定めるためにも、是非。お願いします、ローナンさん」
商品価値? と口にだして問うた直後に名刺が差しだされたので、口を噤んで名刺を受け取り、紙上に目を落とす。
カニバル・チャウ。
名刺には名前だけが印刷されていた。裏面を確認してみるが真っ白で、名前以外なにも記されていない。顔をあげて男性を見つめる。なんなの、この人――と、わたしの心の声を読んだかのように、男性は再びいやらく口角をあげて自己紹介した。
「カニバル・チャウといいます。解体屋です」
解体屋?
わお。
わたしの口角も無意識にあがって、呆けたように口が開く。