第一章 -7
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「ねぇ、ティベリウス殿はどんな人?」
「今度はなんだ?」
用心棒はもう遠慮しなかった。頭上にから降りかかる木の枝を持ち上げているところだったが、ピュートドリスのためというより、馬の目を痛めることを心配しているように見えた。
「どんな感じの人かってことよ」
「会ったことがあるのでは? …そんな口ぶりだったが」
「あるわよ。二十年も前だけど」
ピュートドリスはまだ彼のマントの端をつかんでいた。
「それからどんなふうに年を重ねられたのかと思って」
こんな話をはじめた理由は、自分の外見を心配したあと、今度は相手の外見が気がかりになってきたからだ。あれから、ちょうど二十年だ。ティベリウス・ネロは四十一歳。もしかしたら少女時代の思い出は、このうえなく美しいままに保っておくほうが賢明かもしれない。
「あなたから見て、かっこいい男? まだ若々しくて、溌剌としてる? それとも渋い感じ? あの抜群の均整がとれていた、体つきとかは? まさかほかの男どもみたいに、お腹がぽっこり出張ってたりしないでしょうね?」
前方を向いたまま、用心棒はうめいていた。
「……ご自分の目でよく見てみるがよかろう」
「その前に心の準備をしておきたいから聞いてるんじゃないの」
ピュートドリスはぐいとマントを引っ張ってやった。
「セレネ叔母様はもうめろめろという感じで褒めまくっていたから、たぶん大丈夫よね? あと、デュナミスの婆も。あの人、今にもティベリウス殿を襲いかねない勢いだったわよ。ティベリウス殿の身の安全は大丈夫でしょうね? 今ごろデュナミスに押し倒されていたり、セレネ叔母様と二人で取り合いされた挙句、体を真っ二つに裂かれたりしてないでしょうね? まったく、ティベリウス殿も災難よね。独身になったからって、突然、四十歳と六十二歳に狙われるんだもの。星位に、女難の相が出ていてもおかしくないわね」
用心棒はわずかに首をまわし、なにか言いたげに口だけ動かしたが、結局また元通り歩き続けた。
黙られると、ざわめきがどんどん耳に入ってくる。そろそろあの人の声も聞こえてきやしないか。それにしても、まだ日は傾いていないのに、ずいぶんな盛り上がりのようだ。
ピュートドリスは唇を引き結んだ。だが実際は、すぐにうにうにと波打たせていた。
「クレオパトラ・セレネか……」
思いがけず、用心棒のほうが口を開いてくれた。まるで独り言をつぶやくようだったが。
ピュートドリスは彼の後ろ頭を見上げ、それから二の腕に目線を落とした。この腕なら、敷物にくるんだ女の体を、易々とティベリウスのところへ運んでくれるだろう。私のアポロドロスになって――。いや、だめだ。クレオパトラの二番煎じをしてどうする。
「夫は来ていないようだが、なぜだかわかるか?」
もう一度、ピュートドリスはその後ろ頭を見上げた。呆れ返っていた。
「あなた、なんにも知らないのね」
見かけや態度に反し、この用心棒は下っ端中の下っ端らしい。もっとも、それは見張りの配置からも察せられたが。
「ユバは、セレネ叔母様を裏切ったのよ」
用心棒がぐるりと首をまわした。
「なに?」
「なに者だ!」
とたんに怒声が割り込んできた。それだけでまるで口汚く罵られたような気持ちになる誰何だった。
二人と一頭は同時に足を止めた。行く手に男が二人、互いの槍を交差させて待ち構えていた。背丈こそ差があったが、揃っててんででたらめの方向に飛び出ている兜飾りと、胸当てからはみ出た腹肉ばかりが目立つ。髭は無精のそれの域も過ぎ、半端に伸びて放置されている。
ピュートドリスは思わず嫌悪感を顔に出したが、代わりに用心棒が、首をゆっくり前方に戻しながら言った。
「ポントス女王、カッパドキア王妃、ピュートドリス殿である」
「なんだと?」
用心棒はおもむろにはっきり伝えたのに、新しい二人はしかめ面で聞き返してきた。それで、今度はピュートドリスが口を開いた。
「ティベリウス・ネロ殿にご挨拶したいの。案内して頂戴」
新しい用心棒二人は、しかめ面のまま顔を見合わせた。それから一方が言った。
「証拠はあるのか?」
「セレネ叔母様に――」
と言ってから、ピュートドリスは自分に首を振った。そしてもう一度馬の背にまわり、口紅を取りだす。それをアルケラオスの指輪に塗りつける。
「手を出しなさい。早く」
新しい用心棒たちはぽかんとしていた。ピュートドリスは苛々とその小柄なほうへ近づいた。そして左腕を引っ張り上げ、手の甲に指輪を押し付けた。その表れた証を、ティベリウスに見せてくるように言った。
それでもまだこの二人は、気に入らなそうな目線を交差させるばかりで、動こうとしなかった。
まったく、どれだけとろいのか。毛色こそ違え、ティベリウスの用心棒にはろくなのがいない。
だが、ここで最初の用心棒が仲間たちへ話した。
「女王がティベリウスに会うのは二十年ぶりだ。ロードス島には一度も顔を出していなかったから、わざわざ挨拶にいらした」
新しい用心棒二人は、その仲間をにらみ、ピュートドリスをにらみ、それからもう一度互いをにらんだ。ようやく小柄なほうが口を開いた。
「ここを動くな」
罪人に命じるような口調だった。小柄なほうが踵を返し、藪をかき分けて遠ざかる。
ざわめきは、今や主に笑い声であることが明らかになっていた。酩酊男どもが上げる節度ない音声。それに呼応するように跳ね上がる女どもの嬌声。それから笛の音。
いよいよだ。
ピュートドリスは肩をそびやかした。
やっと会える。
もう逃げられない。
ずっと待ち焦がれていた。
こんな日が来なければいいと思っていた。
けれども、私は決めたのだ。
ティベリウス・クラウディウス・ネロ。恋しい人。無上の夢。
私よ。あなたのピュートドリスよ。
もうあなたは、絶対に私を忘れないわ。
「女王……?」
ピュートドリスは目をしばたたいた。見上げると、そこに最初の用心棒の怪訝そうな口元。
彼の二の腕に、ピュートドリスの指が食い込んでいた。