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ピュートドリスとティベリウス  作者: 東道安利
第三章 オリュンピアへの道
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第三章 -6





 明けて十日、船は予定どおりニコポリスに上陸した。にこにこと船室に迎えにきたレントゥルスは、ドルーススの顔を見るなり絶句した様子だった。抱き上げられそうになるのを、できるだけ丁重に断ろうとしたが、すぐにもみ合いのようになった。結局ドルーススが床に座り込んで、レントゥルスの腕の中に収まることで終結した。

「ごめんよ、ドルースス」

 ようやくにして、少しはわかってくれたのか。

 ぼくでさえわかっていないものを、わかったとでも言うのか。

 もうぐちゃぐちゃだ。それ以外に言いようがない。

「大丈夫だよ。君が苦しむことなんてなにもない」

 なにが、大丈夫なものか。

「お願いだから、もう少し安心してほしい。君に万一のことがあったら、ぼくはティベリウスに死んでも詫びられないよ…」

 ピソも扉口に来ていた。さすがにこちらも顔を翳らせ、レントゥルスとじっと目線を交わした。それだけで二人は言葉を交わせるようだが、今はドルーススにもその意味が分かった。引き返してドルーススを家に帰すべきか、相談しているのだ。

 もう遅かった。こんなことで躊躇うくらいなら、最初からやめてほしかった。

 ドルーススは体の力を抜いた。すべてに対する抵抗がくだらなく思えた。

 二人はドルーススをひとまず陸へ下ろすことにした。手を引かれつつ、ドルーススは自力で船を出て、港を歩いた。

 ニコポリスに入ると、ピソのクリエンテスの屋敷へ向かった。強烈な日差しは、夜闇の混沌に溺れたドルーススの精神を整えるのに、いく分役には立った。少なくとも、大好きな大人二人に、これ以上の心配はかけまいと思い直した。屋敷では、出された食事を大目に腹に収めた。少しばかり眠った。それから、ずっと馬車と船に乗り通しだったからと、運動を求めた。

 ピソとレントゥルスはドルーススに市内を案内してまわった。その途中、顔見知りの退役兵の家を訪ねた。五十代後半で、腹は出ているが屈強なその男は、木剣を二本持って、散策に同行した。

 いつしか四人は市壁をくぐり抜けていた。草原の上を歩きながら、ドルーススは広がる青に目を奪われていた。右にイオニア海。そして左にアンブラキア湾。足下からうねうねと曲がっていく湾口。ドルーススは岬に立った。対岸に、三十一年前はアントニウスの陣営もあったはずだ。アントニア叔母の父、すなわちゲルマニクスの祖父。

 このたびは大人たちも、わざわざ知らせなかった。これが父ティベリウスも見た景色だと。アンブラキア湾の楕円は、青くて美しいのに、なにか奇妙に生々しい。岬の端を蹴って、ドルーススはそこに思いきり飛び込みたいような気持ちを覚えた。そうすればなにもかも忘れてしまえそうだ――。

「ドルースス?」

 ピソの声が聞こえた。ドルーススは振り返って、小さくうなずいた。手を伸ばし、退役兵から木剣を受け取った。

 しばらくのあいだ、ドルーススは剣術の指導を受けた。型を確認し、直され、素振りをくり返した。突きも練習した。

「鍋の蓋でも持ってくるべきだったな」

 と、ピソは微笑んでいた。盾代わりにという意味だ。

「良い筋ですよ」

 彼の元部下は言った。

「まあ、当然だろう。この子の父親は、生けるヘラクレスさながらだから」

「ちょっと印象が違うけど。あくまで腕っぷしが」

 そう付け加えるレントゥルスは、小岩に腰を下ろしていた。

「軍人ですか?」

「将軍だよ。お前がたまげるから名前は言わないが」

「オデュッセウスですか?」

「惜しい! …と思いきや、大外れだ」

「本当ですか?」

「もうちょっと真似てくれていいと思うくらいだよ」

 ドルーススが汗だくで虚空に剣を振るうあいだ、大人たちはのんきそうにしゃべっていた。

「三十年前は、ぼくから一本取れなくて、飛び跳ねて悔しがっていた。あんなに可愛い子はいなかったのに」

 レントゥルスの目がいっときも自分から離れていないのを、ドルーススは感じていた。ただし見えているのは違う人物のようだ。

「ついに君から一勝をもぎ取ったときは、真っ先にぼくのテントへ来たっけな」と、ピソも同じように見守っていた。「ヒスパニアだったな。一丁前の誇り顔で、夢中でぼくに話して聞かせた。それでぼくが『落ち着け。祝いだ』って葡萄酒を勧めたら、あっというまにつぶれた。今じゃ考えられないが、慣れていなかったんだな」

「…なんであんなにたくましく育っちゃったんだろう?」

 レントゥルスは片頬を押さえた。

「相手をしてください!」

 ドルーススは退役兵に求めた。

 木剣を特段構えもせず、退役兵は眼前に立った。ドルーススはすぐに打ち込んだ。

 ピソとレントゥルスの声が遠くに聞こえた。

「結局、君が彼の強壮に多大な貢献をしてしまったんだろう。可愛いあの子がいなくなったのも自業自得だな」

「そんな…。君が葡萄酒にどこかの魔女の薬でも入れてたんじゃなかったの?」

「違う。ただ今度はぼくとの飲み比べに勝ちたがるようになっただけだ。ちなみにまだ負けた覚えはないが……」

「熱くなっているな、テレマコス」

 ひらりとあっさりかわされ、背中を軽く打たれた。ドルーススつんのめって膝をついた。

「それさえ気をつければ、悪くないぞ」

 振り向くと、剣を自らの肩に置き、退役兵はにやりと笑っていた。

「あんたの父ちゃんがどんな人か知らんが、御二方のお話どおりなら、相当な強情っぱりだろう。一方、あんたは素直だ。そのほうが伸びは早い」

 手を差し伸べ、ドルーススを引っ張り起こした。

「あんたが訓練を重ねたら、同じ時に十本取れる。父ちゃんは時間がかかりすぎたな」

「…ぼくってそんなにへなちょこ? 十六歳くらいだったよ、父ちゃん」

「叩き上げで大隊長にまでなった男だ。誇りがあるだろう」傷ついた顔を見せるレントゥルスに、ピソはにやにやとささやいていた。「まあ、挑んだ回数のわりにかかりすぎだと思っていたけど」

「知ってるでしょ? しつこいったらないんだよ、もう」

 そんな雑談が続くあいだも、ドルーススは退役兵に挑み続けていた。負けるたびに、言われたとおりの修正を試みた。素直な人間はそうして強くなるしかないのだ。

 だが、なんのために強くなるのだろう。

 汗もぬぐわないドルーススもまた、目の前の退役兵を見ていなかった。その背後にたたずむ影は、もはやおぼろげでさえあった。六年も会っていないのだ。けれども、大きかった。大きくて、恐ろしくて、腹立たしかった。

 するとその影は、たちまちにして縮んでいった。赤みがかった茶髪に白い肌。あのまなざしは見えない。

 それが三十年前の少年なのか、それとも日差しのヴェールが姿見になっているのか、ドルーススにはわからなかった。ただ打ち込んで、負けて、打ち込む。それを続けた。そうしていると、余計なことを考えずにすむ。次第に頭の中のぐちゃぐちゃが収まっていく。それは収縮し、一つに研ぎ澄まされていくようだった。

 もう相手はいない。これは……ただの欲望だ。

「悪いな、ドルースス」

 ついに倒れたまま起き上がらなくなったとき、ピソは退役兵の助力を制し、ドルーススを自らの背中に負ったのだった。

「そうだ。君のためなんて考えちゃいない。全部自己都合。いい加減、君の父親のためになにかしてやりたい、ぼくらの身勝手だ。ひどいよな、大人ってやつは」

 本当にそうだと、ドルーススはうつろに思う。なにが素直だ。聞かない自由さえ与えられていないのに、素直に聞かれているとでも思っているのか。首にでも噛みつけばいいか。

 けれどもそんな乱暴はできないし、したくもなかった。

「けれども君の父親は、君のためにぼくらに怒るよ」





 ピュートドリスは世にも悪趣味な土産を作っていた。正確には、製作を監督していた。傍らでティベリウスは、他人事のように涼しい顔をしていた。デメトリアス市の商店が立ち並ぶ一角だった。

 土産が仕上がるにつれ、ピュートドリスは眉根を寄せ、口の端を下へ曲げた。さぞ不細工な顔をしていたと思う。皺になって残ったらどうしてくれるのか。ピュートドリスはまたティベリウスをにらんだが、相変わらず平然とした頬を見せていた。

 自分の顔は自分では見えない。それが彼の言い分だった。ピュートドリスは携帯している小さな姿見を突き出してあげてもよかったが、結局つき合わされることには変わらないだろう。

「こんなに愉快な逢引きは初めてだわ」

 不美人な顔のまま言った。それからまたもティベリウスへ不審のまなざしを送った。

「あなた、なんとも思わないの?」

「そんなに似ているのか?」

 目途がつくと、二人は工場を出て、目抜き通りを歩きはじめた。暇つぶしだった。名高く、古来より常に要衝であり続けた港湾都市だが、二人どちらにとっても初めての訪問だった。

「あまり良い気分じゃないわ」

 ピュートドリスはすねて言った。ティベリウスは瞳だけ横向けてきた。

「昨夜は楽しげだったが」

「本物を目の前にしたら別よ」

「あれは本物ではないぞ」

「当たり前でしょ」

 ピュートドリスは頬を膨らますと、ティベリウスはまぶたをわずかばかり下げた。

「そもそも、なにをしでかしに君は私のところへ来たのだったか」

「しつこい人ね!」

 両手の爪をティベリウスの腕に突き立てやった。

「…わかった。なにか美味なものでも食べたらいい。気分を変えるために。桃はどうだ?」

「人肌によく似ていて、噛んだらぴゅーって汁が出てくるとか、すばらしいわ。あなた、繊細さというものがないの?」

「肉よりはましだと思ったがな」

「ありがとう。食欲なんてすっかりないわよ。だから市場のほうに向かうのはやめて頂戴」

「ぺライの干物がある。あとはこの街の葡萄酒だな」

「だから! 今は赤い液体なんてまっぴらなのよ!」

 二人は歩き続けた。絶えない人通りの中、どこに行く当ても、やるべき仕事もなかった。足も止まらなかったが、口もほとんど休まなかった。やがてティベリウスはふと決意したように言った。

「わかった。なにか買おう」

「わかってないのよ!」

「首でも食物でもない。なにか美しいものだ。望みはあるか?」

「まるで妻のご機嫌取りをする亭主ね。だいたい浮気がばれたか、無駄遣いしたか、妻の誕生日を忘れたときにそうするものよ」

「誕生日だったのではないのか?」

 ピュートドリスはきょとんとなった。

「……そうねぇ」

 脇道に入ると、二人は宝飾店を見つけた。地元のものというよりは、主に東方各地で産出し、加工を施した品々を並べているようだった。エジプト、シリア、あるいはもっと東、ローマの支配下ではないパルティアやインドや、さらなる未知の世界から届いていてもおかしくない。気軽なふうの店舗であったが、ピュートドリスが見ても悪くなかった。これでも女王だ。第一級品ではなくとも、おおむねが気品を知る職人の手で細工されていると見た。

 奥にはもっと高級な品が陳列されていただろう。けれどもピュートドリスが一目で決めたのは、ともすれば手癖の悪い者にかすめ取られていきそうな、入り口前の卓の片隅に並べられていたものだった。

 ピュートドリスが満足の笑みを浮かべて手に取ると、ティベリウスも覗き込んできた。

「石ではなく、ガラスだな」

「でも綺麗だわ。それに青の染料は貴重でしょ」

 ブローチだった。マントやヒマティオンを留めるのにも使える。襞の中にそっと忍ばせておくこともできる。

 すっきりとした楕円のガラス玉がはめ込まれていた。台座と縁は、箔ではあるが黄金だ。

「君は…こちらの印象だがな」

 ティベリウスが手にしたのは、同じ細工で銀箔の、別のガラス玉がはめ込まれたブローチだった。

 見た覚えがあった。それは、陽光の色をしていた。けれど真昼の力強さはない。夕焼けの鮮烈さもない。もっとやわらかで淡い色だ。

 「朝日……」

 つぶやくと、ティベリウスは小さくうなずいた。

 それは始まりの輝きだ。夜闇の下で眠っていた命を目覚めさせる光だ。そして真昼の溌剌とした昭耀へ、夕暮れの滅びゆく猛火へ続いていく。

 テッサロニケイアの丘で見たそれを、ピュートドリスは覚えていた。それから、初めて会った日の彼を思い出した。雨の止み際、雲間から零れて注いだあの光も、これによく似ていた。一身に浴びた彼は、まともに見つめてはいられないほど生きる輝きに満ちて、まばゆかった。

 そうか。

「お馬鹿さんね」

 ピュートドリスはさらに目を細め、それから自分のマントをつまみ上げた。

「これとかぶってしまうわ」

 これもティベリウスが、テッサロニケイアの布地屋で作らせたものだった。ポントスからひと月以上ものあいだ纏い続けた元のものは、さすがに傷んでいたからだ。そう思っていた。

「それに、どうして私がこれを欲しがるか、わからないの?」

 手の中には、ゆらがぬ大空。紺青のエーゲ海。穢れない碧瞳。それはこの人の色だ。そしてまた、雲に翳る長い沈殿も、夜闇の安息も、それに抱かれて燦然と輝いた星々も、同じように思い出すのだろう。

 ティベリウスは黙してピュートドリスを見つめていた。

「これはあなたが持っていて」

 朝日のかけらを、彼のマントに差し込んだ。くすんだ青にとてもよく映えて、値以上の気品を湛えていた。

 けれども、身につけてくれなくてもかまわなかった。

「思い出してね、私を」

 いつか、明日が来ないときが来ても。

 ぎゅっと彼の腕を抱え込んだ。そうして店を出ると、街路が真昼の日差しの中で滲んでいた。二人はまた歩き出した。

 それにしても、と思う。顔を半分彼の肩にうずめながら、思いを馳せる。

 この人は、元の妻たちにも贈り物をしたに違いない。誕生日もあるし、妻を讃える日というのがローマにはあると聞いた。ヴィプサーニアにもユリアにも、ふさわしいと思う品を選んで与えていたのだろう。そして彼もまた、妻との思い出の品を持っただろう。

 彼は、それを今も持っているのだろうか。今日まで、ピュートドリスはその痕跡に気づかなかったが、どこかにあるのだろうか。ユリアはともかくだが、二度と会うまいと決意するしかなかったヴィプサーニアとの思い出を、彼はどこにしまい込んでいるのだろう。それを取り出してみることがあるだろうか。あるいは、それさえも二度と取り出すまいと決めたか。取り出して眺められもしないのか。

 私は、それほどの思い出になりえないだろうと、ピュートドリスは思う。だが、それでもいい。ただ、忘れないでほしい。私がいたことを、忘れないでほしい。

 私はどこへも行きはしない。

 ピュートドリスはわざとくつくつと笑い声を立てた。どうしたのかと彼が訊いてくる。

「あなたが二十年前、ヴィプサーニアになにを贈ったのかしらと考えていたのよ。まさか真珠を欠かしていないでしょうね」

 意地悪い顔をつくったが、彼を見はしなかった。答えも待たなかった。

「あなたの弟は、アントニア叔母様にナマズの髪飾りでも探してあげた?」

「…だいたい合っている。なぜわかる?」

「ユバが話していたことがあったの。セレネといいアントニアといい、アントニウスの娘たちはちょっと変わった趣味があってねぇ、って」

「セレネは、エジプトの文化のためだろう。アントニアは、昔から水生生物や、カエル、トカゲの類に目がない」

「あなたの弟は、あなたの贈り物をすり替えるいたずらをしたんじゃない?」

「……なんでわかるんだ?」

 今度はピュートドリスも本物の笑い声を上げた。真面目な夫からの贈り物を開けたら、水晶で作られたタコの髪飾りだとわかったヴィプサーニアを思いやった。それでも夫がせっかく与えてくれたものだからと宴席にでも身につけて出て、夫があんぐり口を開けるところまで想像した。ドルーススは今のピュートドリスのように笑いこけたあと、命からがら兄の家から逃げ出したに違いなかった。

「思考が同じか」

 さもいまいましそうに、ティベリウスはうめくのだった。

「…ところで、二十年前に戻るけど」

 体を折り、涙をぬぐいつつ、ピュートドリスは彼を見上げた。

「あのときの私はこのアゲートだったのよね? 今はそうではないの?」

 胸にかかる首飾りを引っ張り出し、ティベリウスの顎先まで上げた。白と、かすかに青みがかった赤の対照。そのみずみずしさのまま薔薇の花びらを閉じ込めたように見える。

 愛する人からもらったものであることを別にしても、ずっとお気に入りだった。実際、これを身につけて歩けば、会う人ごとによく称賛されものだ。けれども、思い返せばそれは二十歳過ぎまでだったかもしれない。ポレモンとの結婚後は、あまり首にかけることはなかった。公の場では、もっと王妃らしく華美に着飾る必要もあったし、密かな夫への遠慮もあった。

 確かに、この目の覚めるばかりの鮮烈な縞模様は、初めての恋に焦がれ続けた少女にこそふさわしいのかもしれない。三十代も半ばになる女には、もう似合わなくなったのかもしれない。

 やはり失ってしまったのだろう。閉じ込められた花びらにはなれない。それが、生きる人間の定めか。

 ティベリウスは足を止めた。その手が、首飾りに添えられた。指の腹で石をなぞる。下がったまぶたをそっともたげ、思慮深く、アゲートとピュートドリスをどちらも青い双眸に収めたようだ。

 そして、ふっと溶けた。

 ああ。

 ピュートドリスは胸が詰まる。

 ああ。ああ。その顔はだめよ。

 私が溶ける。なにもかもどうでもよくなってしまう。

 あなたはなにもわかっていない。ほんの数日前まで、あなたがそんな顔をできるなんて、私は知らなかった。

 知らなければ、願うこともなかった。どうか永く、消えないでほしいと。

 その命のある限り。

「これは君だ」

 石をわずかに掲げ、ティベリウスは双眸を光らせた。

「それから、これは――」

 左手はそっと、自身のマントの襞をくすぐる。優しい光が零れて瞬く。

 けれども彼は、まったくまるで事も無げに歩き出したのだった。

「ちょっと!」

 ピュートドリスは引っこ抜かんとばかりに彼の腕をとらえる。

「なによ! なんなのよ、ねえ!」

 揺さぶる。振りまわす。

「これは! なんなの! 教えなさいってば!」

 ティベリウスはぴたりと足を止めた。つんのめるピュートドリスの肩を押さえ、頭の後ろを支え、頬に唇が、慎重に――当てられかけて止まった。いたずらめいた双眸の光が、細くなる。それは一瞬で見えなくなったが、ピュートドリスのまぶたの裏に残り続けるだろう。唇を噛まれながら、ひたとその永遠を見つめた。







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