第二章 -17
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「よく来たな」
奴隷の肩から滑り落ちながら、アウグストゥスは言った。
「君たちが来なければ、私は今ごろ死んでいるところだった」
ルキウス・ピソとコルネリウス・レントゥルスは、顔を見合わせた。
七月三十一日、真昼のローマ。アウグストゥスは長椅子に沈み込み、来客二人にも座るよううながした。
二人が向かい側に腰を下ろすと、事情を説明した。日頃から自分の調子で仕事をすることを心がけるアウグストゥスだが、このごろの暑さは堪えていた。毎年のことではあるが、それで元老院集会のない日中は、なるべく自邸の涼しい場所で伏せって過ごし、日が沈む夕暮れ時から仕事をしていた。この日も屋根裏部屋に籠り、明け方までは仕事をしていた記憶があった。
家の者は、主が屋根裏部屋で仕事をするときは、だれにも邪魔されたくないことを知っていた。中からアウグストゥスが呼ばうか、彼に客の来訪を告げる以外は、極力そっとしておくという了解があった。飲み水や簡単な食事も、中に常備してあった。
それで、この日は真昼になっても主が下りてこないことに、だれも注意を払わなかった。主が明け方から眠り込み、目を開けた時はあまりの暑さに息が苦しく、身動きも取れず、手に届く範囲にある水も飲みつくし、蒸し風呂状態の中で茫然とするばかりだなどとはだれも思わなかった。
ルキウス・ピソとコルネリウス・レントゥルスの来訪を告げる奴隷が部屋の扉を押し開けた時、彼はとてつもない熱風に襲われ、思わず退いたそうだった。
「この時期、屋根裏は危ないですよ」
遅ればせながら、ピソは指摘した。アウグストゥスはぐったりとうなずいてから、杯の水を干した。
「午前まではいいんだ、午前までは。いつもは……」
「確かに今日はひときわ暑いですね」
よかったら――と、ピソは自分用のつまみとして持ち歩いていたらしい、イカの干物一切れを差し出した。アウグストゥスは礼を言って受け取り、口の端に入れた。昨夜からなにも食べていなかったし、食べたいともまだ思えなかったが、塩分と旨味は舌に心地良く浸み込んでいった。
「…リヴィア様は?」
レントゥルスが遠慮がちに尋ねてきた。本来ならばリヴィアがまず夫がいつまでも屋根裏部屋から出てこないことを不思議に思うはずで、蒸し鶏にでもなるところだったと知ったら、どれほど奴隷たちを叱るかと考えたのだろう。
だがアウグストゥスは、リヴィアはひと足先にティヴォリの別荘へ発っていて留守だと教えた。
「私も共に出かけるつもりだったのだが、なかなか片づかないことが多くてな」
アウグストゥスがうつろな疲れ顔で言うと、客二人は「お察しします」とただちに口をそろえた。
「…それにこの年になると、腰も重くなってな。着いてしまえば快適なのだが、道中の暑さを思うだけで挫けてしまいそうだ。だからリヴィアには、私にかまわず友人たちを呼んでくつろいでいなさいと、伝えようかと思っている」
実のところアウグストゥスにしてみれば、別荘に行く理由もなかった。たとえうっかり死にかけようと、我が家がいちばん快適だ。古い家だが、それでもローマでは最も良い立地とされるパラティーノの丘に立っている。
たまに気分を変えたい妻の気持ちはわかる。郊外の自然に囲まれて、ゆったり過ごしたいと思うだろう。
だがアウグストゥスにしてみれば、ほかに待っている家族がいるわけでもない。そこでこなしたほうが都合の良い仕事があるわけでもない。わざわざ気分転換のためだけに家を空けようとは思えない性質なのだ。
まして、家を出たまま六年も帰らない男の気などまったく知れなかった。
そんなことを考えながら、アウグストゥスは来客二人と雑談をした。自分の孫たちの近況。ルキウスは来年の軍務に備えて体育場に通っている。ユリアは嫁ぎ先でつつましく暮らしているかと思いきや、最近豪奢な別荘を建てようなどと考えているらしく、心配だ。アグリッピーナは勉学に熱心で、リヴィアと一緒に別荘に行くことを勧めたのだが、お祖父様のそばにいると言って聞かない。末っ子のポストゥムの態度が日に日に反抗的になり、手を焼いている。
それから、二人とその子どもたちの近況。元老院では必ず顔を合わせるのではあるが、それでもアウグストゥスは気が遠くなる思いがした。自分も六十二歳になったが、この二人も四十八歳と四十七歳で、さらに二十代半ばの息子までそれぞれいるというのだから。二人はまだ少年の頃からよくこのカエサル邸をよく訪れていた。月日の流れとは恐ろしいものだ。
「私ももう老人だ」
アウグストゥスは断言した。
「できるものならリヴィアと二人、どこか涼しい場所で優雅な引退生活を送りたいものだ。できるものならな」
ピソとレントゥルスはまた顔を見合わせたが、今度はずいぶんこっそりとしていた。この二人に当てこすっても仕方ないので、アウグストゥスはやっとのことで背もたれから上体を上げた。
「それで、今日はどうしたんだね?」
「はい」
ピソがうなずいた。ようやく本題だ。
「実はひと月ほど、ローマを離れる許可をいただきたいのです」
「…間の悪い時に参上したなぁ……」
レントゥルスがはばからず頭を抱えた。
「なんだ、それは。私があのまま死んでいればよかったと言う意味か?」
アウグストゥスは笑いながら言ったが、レントゥルスは慌てて首をぶんぶん振った。
「わかった。わかった」
アウグストゥスは両手を上げて制した。
ローマの元老院議員は、軍事や属州統治等の任務がないかぎり、原則として本国に留まることになっている。この二人は、「第一人者」に一言断りを入れに来たのだった。
「それで、どこに行くのかな?」
「オリュンピアです」
苦笑交じりだが、ピソはにっこりと言った。昔から泰然自若な人柄だった。
「我が家のクリエンテスから招待を受けましてね」
「なるほど」アウグストゥスはうなずいた。「今年だったか。そう言えば」
その程度の認識だった。
アウグストゥスは、自分に関して言えば、競技の観戦にそれほど興味を抱いたことがなかった。自分が運動全般がからきし駄目なためもあるが、他人の勝敗の行方に熱を注ぐ気になれないのだ。別段嫌いでもないが、自分で賽の目賭博をしているほうが良い気晴らしになる。
だから人生の今まで、かの名高い四年に一度の競技祭に、わざわざ足を運んだことは一度もなかった。十九歳の年から今日まで、ほかにやることが山ほどあった。だいたいただ競技を観る機会ならば、仕事やつき合いのうえで臨席するので、本国内でいくらでもあった。
だがピソたちにしてみたら違うのだろう。
「一度も行ったことがないんですよ!」
と、レントゥルスは拝んできた。
「これを逃したら四年後です。生きているか死んでいるかわかりません」
「馬鹿を言うな」
と、アウグストゥスは一笑した。
「君たちはまだ若いだろう。それにしてもそんなに楽しみなのか? 裸の男たちがひしめき合う中に分け入って、暑苦しいだけではないのか。真夏だぞ」
「…それは否定しませんが」
ピソは苦笑の色を深めた。
「人生で一度は観ておきたいと思うのです。世界じゅうから一級の競技者が集うのですからね。とんでもないものが見られるかもしれない。それに戦車競走もある。あれは大迫力です」
「戦車競走ならば、そこのチルコ・マッシモでもしょっちゅう開催されているぞ」
「はい。ですが本場のものを、ぜひ一度」
と、二人はわざわざそのクリエンテスからの招待状なるものを見せてきた。
ルキウス・ピソの属すカルプルニウス氏は、平民貴族の雄である。レントゥルスのコルネリウス氏に至っては、歴史と規模ともにローマ最大の名門貴族である。そうなるとギリシア本土に少なからぬクリエンテスがいるのは当然であり、そのうえ名門出の男の多くがそうであるように、彼らもまたギリシア文化に傾倒している。ギリシア語を流暢に話し、その歴史をよく考察し、芸術を愛する。宴の場では高尚な哲学談義に華を咲かせるのだろう。
アウグストゥスは内心で苦笑した。勉学はしたが、ついに流暢とまではならなかった自分のギリシア語を思った。留学もしたが、アテネやロードスのような一流学府ではなかったし、そうなっていたとしても学びについていけなかっただろう。意欲がまったくなかったわけではない。だが言い訳であるのを自分で認めるしかないが、じっくり学問に没頭する暇などない生活をしてきた。それに暇があるならば、ほかのことをしたいと思う性質だった。
難解な学問を好まなかった。実用からあまりにかけ離れると思うことも敬遠した。
それでも根っからの貴族であれば、自分ももっとギリシア文化に熱を上げていただろうか。どこかのだれかなど、ほとんどこの家で育ったのに、ご多分に漏れず貴族らしくギリシア哲学に没頭し、挙句いい年をしていつまでも向こうから帰ってこないではないか。
それはともかくだが、上に立つ者がこのようであるから、ローマは相変わらず文化ではギリシアを支配できないのかもしれないと思った。文化の興隆に努めた、彼の片腕マエケナスが世を去ってもう八年になる。同じく芸術家を後援していたメッサラ・コルヴィヌスも、このごろだいぶ老いが目に見えるようになった。
だがアウグストゥスは、別段文化で他国を支配する必要性を感じていない。ピソとレントゥルスの願いを無下にする理由もない。
アウグストゥスが許可すると、ピソとレントゥルスは飛び上がって喜び、感謝をした。彼らももう五十歳に近いのだが。
二人が席を立つと、アウグストゥスも外まで見送りに出ることにした。二人と話しているうちに、起きがけの具合悪さもだいぶましになった。陽気な笑顔を浮かべることもできた。
それでもまだ足元が覚束ないアウグストゥスに、レントゥルスが腕を貸した。ピソが応接間の幕を開くと、鋭い日差しのために外はしばし真っ白に見えた。
「マウリタニアのユバを応援してやってくれ」
まぶたを伏せつつ、アウグストゥスははなむけに言った。
「今年も挑戦するそうだが、毎度戦車競走の最下位だから」
「ユバが手綱を取っているわけではないのに不思議ですね」
「いっそセレネ妃が御すと上手くいくかも」
ピソとレントゥルスがそう軽口を叩くのは、ユバをよく知っているからだった。年が近く、少年時代はこの家で一緒に勉強していた。
応接間から、三人はアトリウムに出た。すると水場の縁で、小さな影がひょんと跳ねた。
「あ…、こ、こんにちは、カエサル」
「おや、ドルースス。来ていたのか」
アウグストゥスは目をしばたたいた。十三歳の義理の孫だった。てっきり今ごろは従兄弟のゲルマニクスと一緒に体育場に出かけていると思っていた。
「レントゥルス殿が――」
と、ドルーススはなにかを言いかけるように口を開いた。が、レントゥルスのほうが早かった。
「ああ~! ドルースス~! 今日も可愛いねぇ。会いたかったよ~~っ!」
と、あっさりアウグストゥスを離し、ドルーススを抱きしめにいった。
「奇遇だなぁ、ドルースス!」
と、ピソはやけに高らかに声をかけた。ドルーススはそれに対してもなにか言いかけたが、結局レントゥルスの抱擁に呑み込まれた。
六年も捨て置かれているドルーススを、レントゥルスもピソもよく気にかけてくれていた。特にレントゥルスの場合は、まさに溺愛していた。昔から「ぼくの可愛いティベリウスが帰ってきた!」と相好を崩してはばからなかった。「もう大きくならなくていいよ」と言い聞かせるのには、実の息子も呆れ返っていた。
アウグストゥスにしてみれば、ドルーススのほうが百倍は可愛らしかった。今となっては。顔の形に髪と肌の色は、父親のそれとまったく同じだが、幸いにして目鼻立ちは母方に似た。父親にはかけらもない愛嬌を、しっかりと授かって生まれてきた。
性格も、素直で気さくだった。アントニアをはじめ、父親以外のまわりの大人が愛情を込めて育てたからに違いなかった。レントゥルスもピソも、他人でありながらその成長に貢献してきたのだった。
あの薄情な父親からどうしてこんな良い子が出来るのか、まったく不思議でしかたがない。もっと言えば、あの父親をあんな薄情者に育てた覚えもない。
そこまで思いを馳せてから、アウグストゥスはそっと目を閉じた。かすかに痛む胸に、真夏であるのに冷たく空しい風が吹きつけた気がした。
だが、レントゥルスは相も変わらず熱烈だった。
「そういうわけで、ドルースス、ぼくとピソはギリシアに出かけることになったよ」
彼は腕の中に教えていた。
「…オリュンピア競技祭に行かれるのですか?」
少しばかり苦しげに、ドルーススが尋ねていた。
「そうだぞ。うらやましいだろう?」
後ろからピソも加わっていた。するとこくっと顎を上げたが、ドルーススは伏し目になった。
「…どのくらいあちらにおられるのですか?」
「まあ…、一ヶ月ちょっとかな」
「そうですか……」
ピソの答えに、ドルーススの顔が悲しげに曇っていくのが、アウグストゥスにもわかった。これの父親は、こんなにわかりやすい表情を、やれと言ったところでできない男だった。
「あああっ! ドルースス! ぼくだってそんなに長く君と離れていたくはないよ! 辛いよ! でもごめんよ! これもクリエンテスを見てまわる大事な役目なんだよ! それに今を逃したら、もう一生オリュンピアを見られないかもしれないんだ!」
レントゥルスの嘆きは家の外にまで聞こえていそうだった。アウグストゥスには大げさに見えたが、それでもそのレントゥルスのトーガをそっとつかむドルーススはいじらしいと思った。
「そうだ、ドルースス。君も一緒に行かないか?」
ピソの言葉に「えっ」と声を発したのは、ドルーススとアウグストゥスが同時だった。ピソはにんまりと笑いかけていた。
「外遊というやつだ。君はまだあまり経験がないだろう?」
「そうだよ! そうだよ!」
レントゥルスがすぐさま顔を輝かせた。ドルーススの肩をばんばん叩いた。
「ぼくたちと一緒に行こう! オリュンピアに! それならなにも辛いことはない! それどころか最高に楽しい旅になるよ!」
「…あ……、え? え?……」
ドルーススはまったく話についていけていなかった。おろおろと首をあちこちに向けていた。
「心配するな。ぼくたちがついているから」
と、ピソは力こぶしを誇る身振りをした。
「で、でも……」
「観たくないのか? オリュンピア競技祭だぞ?」
「観たいですけど……」
「なら、遠慮するな」
ピソは自信たっぷりにうなずいた。それからレントゥルスとともにアウグストゥスに向き直り、またしてもさらに熱烈に拝み倒してきた。
「お願いします、カエサル! 大事なドルーススを、しばし我らにお預けください!」
アウグストゥスもまたまだ話についていけていなかった。ぽかんとたたずみながら、それでも考えた。
確かにドルーススは、本国の外に出たことがほとんどなかった。幼児の頃、軍務中の父親を待ちながら、北のアクレイアで数ヶ月過ごしたことがあるだけだ。もう十三歳であり、外での経験を積ませるべき時だった。父親がいれば、その辺りもちゃんと取り計らっていただろうが。
そして四年後となると、もう軍役をはじめる年頃だ。気を楽にして外国を楽しみ、ましてオリュンピアを観る機会など、当面恵まれそうにない。
ピソとレントゥルスがまず、軍務、政務ともに、すでに赫々たる成果を上げて、ようやくこの年を迎えた。どちらも凱旋将軍顕章の栄誉を受け、執政官と属州総督を務め上げた。そして今は、どうしても首都に居続けなければいけないような仕事を抱えてもいなかった。
だが、それにしても――。
「ゲルマニクスは……?」
ドルーススが先に口を開いた。彼の従兄弟のゲルマニクスは、一歳年上で、これまでなにをするにも一緒だった。
「行きたがるだろうけどな、今回ばかりは遠慮してもらったほうがいい」ピソは優しく言った。「ガリアで彼が主催して競技会を開こうという話もあるわけだし。そうですよね、カエサル?」
「…ああ、ああ……」
アウグストゥスはぼんやりとうなずいた。
ゲルマニクスの父親ドルーススが亡くなって、来年で十年になる。もうそんなにも月日が流れてしまったとは。
いずれ来年、ゲルマニクスとその弟クラウディウスの名で、父親を讃える競技会を首都で開くことは予定している。だがその前にガリアで、将軍ドルーススをよく知る人々を招く企画が持ち上がっていた。ドルーススの思い出をしのび、その息子たちの成長を喜ぶためだ。
父親がゲルマニアで軍功を上げるあいだ、ゲルマニクスはガリアですくすくと育った。弟のクラウディウスも州都のリヨンで生まれた。
だがそれはあくまで企画段階である。むしろ母親のアントニアはまだ息子たちをガリアへ行かせる気になっていないので、立ち消えになりそうな雲行きだ。アウグストゥス自身、ガリアでゲルマニクスたちを目立たせることには乗り気でない。
だが、ピソが考えているのは、実のところガリアの件ではない。今年の八月一日が――明日だが――マルクス・アントニウスの三十年目の命日になることだ。その時期に実の孫であるゲルマニクスが東方へ出れば、いやがうえにも注目されるだろう。あらぬ噂がささやかれるだろう。
それにしてももう三十年とは。あれからちょうど三十年になろうとは。
「ぼくら三人での旅行だよ、ドルースス。なにも心配することはないよ。初めてのギリシアを満喫するんだよ」
レントゥルスがドルーススに言い聞かせていた。
そういえば、レントゥルスはつい一昨年にアジアの属州総督を務めていた。別にギリシアは久しぶりではないはずだ。
「行きたいよね? オリュンピアに?」
笑顔のまま、それでも有無を言わせないとばかりに、レントゥルスは迫っていた。
「レントゥルスおじさんと離れ離れになりたくないよね?」
「……はい」
ぼんやりとつられるように、ドルーススはうなずいた。目をまんまるに開いて、レントゥルスを見つめていた。
「よっし!」
レントゥルスは満足げに手を叩いた。ピソがすかさずアウグストゥスに言った。
「どうかドルーススを我らにお任せください。責任を持って世界を見せ、無事に連れて帰ります」
アウグストゥスが我に返ったのは、うなずいたあとだった。ドルーススの腕をそれぞれ取り、ピソとレントゥルスはいそいそとカエサル家の玄関をくぐっていった。
アウグストゥスもまた追いかけるように外へ出た。
「アントニアにはどう話すつもりだ?」
急いで声をかけた。なぜならドルーススの育ての母で、同じ屋根の下で暮らしているからだ。
「もう許可は取――いえ、誠心誠意、お願いしてまいりまーす!」
ここに至って、ピソの声が裏返っていた。アウグストゥスは眉をつり上げた。
「……まさか、君たち……」
びくんと、ピソとレントゥルスの肩が跳ねた気がした。
「大丈夫! 大丈夫!」
すでに背を向けながら、二人は口々に言っていた。
「必ず無事に帰ってきますから! 三人で! なに事もなく! ご安心ください! ありがとうございます、カエサル! ごきげんよう! リヴィア様によろしく!」
ドルーススを挟みながら、浮ついた足取りでパラティーノの丘を下っていくピソとレントゥルス。その背中を、アウグストゥスはじっと目で追っていた。