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ピュートドリスとティベリウス  作者: 東道安利
第一章 初恋の人
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第一章 -12



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 十二日後、故郷トラッレイスに到着した。そこでは弟アントニオスが、父の財産を相続して暮らしていた。五十代半ばになった母と、新妻が一緒だった。

 当然、アントニオスは姉の突然の里帰りに驚いた。ピュートドリスはだいたいの事情を説明した。ここへ来た目的の一つが、セレネ叔母とティベリウスに関する情報収集であったためである。馬と船を駆使すれば、ここからロードス島へは二日で着く。

 ところが、アントニオスが語った情報は意外だった。ティベリウスは今ロードス島にはいないという。アジアへ渡り、マルマラ海を目指して北進しているのだという。

「オリュンピア競技祭に出場するつもりらしいよ」

 と、弟はやや訝しげな顔つきで教えた。

「確かにロードスの田舎で、立派な馬を育ててるって評判だったからね。今年の競技祭に合わせてたってわけだ」

「ちょっと待ってよ」ピュートドリスは驚いて言った。「まさか陸路でオリュンピアを目指すつもりなの? いったい何日かかると思ってるのよ」

「知らないよ」アントニオスは首をすくめた。「馬を長く船に乗せたくないとか、そんな理由じゃないの?」

「エーゲ海の島を渡り継いでいけば、そんな長く船に乗せなくたっていいわよ。陸路をずっと走らせてたら、オリュンピアに到着する前に馬がへたばっちゃうんじゃないの?」

 現にユバの話だが、彼もまたオリュンピアの戦車競走に馬を出すと、この三月に公言していた。国王になって以来毎度挑戦しているらしいが、結果はずっとかんばしくなかったようで、今回こそはと意気込んでいた。しかし彼は海路でギリシアに馬を渡すという。おそらく馬主当人も、エジプトからクレタ島経由で向かうつもりなのだろう。

 それを聞くと、アントニオスはますます体を縮こまらせた。

「おっと。そりゃあ恐ろしいね。当然、そのグラピュラーもユバについて行くだろ? 神聖なるオリュンピア競技祭が修羅場と化すな」

「冗談じゃないわよ」

 まるで弟に責任があるかのように、ピュートドリスは怒気を吐いた。

「それで、セレネ叔母様はやっぱりティベリウス殿と一緒にいるの?」

「そう聞いたよ、おととい」

 アントニオスはうなずいた。

「三日前になるのかな。エフェソスの近くで、ティベリウス・ネロ御一行がずいぶんとにぎやかな宴を開いたって。そこにセレネ叔母上もいたって」

 三日前でエフェソスなら、今ごろはレスボス島を左手に通り過ぎたところだろうか。あるいはもういい加減海に出ているか。ピュートドリスはきつく眉根を寄せた。アントニオスは続けた。

「その前にもいくつか似た噂を聞いたよ。どこだかの村で。叔母上も一緒とは聞かなかったけど。エーゲ海の小さい島じゃ美女も美食も望めないってのが、陸路を選んだ理由みたいだねぇ…」

「どこだかの村って……なんでエフェソスに行かなかったの?」

「さあ。あまり人に会いたくなかったんじゃないの? 有名人だから、都市の有力者にあっちでこっちでもてなし合戦させるのを嫌がってさ。それになにより叔母上を連れていたんだしね」

 アントニオスはぐいと片眉を上げてきた。

「姉さん、これってまずいんじゃないの?」

「あんたに言われなくてもわかってるわよ」

「叔母上のことはもちろんだけどさ、姉さんがだよ」

 彼は姉をじっと見据えた。

「ほうっておくのが賢明だと思うな。姉さんまでごたごたに巻き込まれかねないよ」

「ごたごたが起こる前に、叔母様を連れ戻しに行くんでしょ」

「たぶんもう手遅れだよ」目線を逸らさず、アントニオスは頭だけ振った。

「叔母上が、旦那抜きでティベリウス・ネロと席を同じくした時点でさ。やめときなよ。いくら旦那の裏切りに傷ついていたからって、叔母上は自分でこんな行動に出たんだよ。ちょっと考えれば、それがどういうことかわからないわけないじゃないか」

「あんたは叔母様を見捨てろっていうの?」

「自分の身を守れと言ってるんだよ」

 アントニオスは小さくため息をついた。

「それともなにかい? まだティベリウス・ネロが好きだから、叔母上に横取りされるのが我慢ならない?」

「あのねぇ…」

「…まさか、彼のことも助けてやりたいとでも思っているのかい?」

 ピュートドリスは大きく息を吸い、それから吐き出した。弟の凝視が肌を焦がしてくるようだった。

「母さんを大事にしてあげてね」努めて、落ち着いて言ったつもりだった。

「私の分まで。今まで心配しかかけてこなかったもの」

「姉さん……?」

 このあと、トラッレイスの市壁外で、ピュートドリスは護衛隊を解散させた。帰路は弟の奴隷たちに警護を頼むので、カッパドキアに戻るよう言いつけた。彼らは、王妃が里帰りしているとしか思っていないはずだった。

 当然ながら、弟にはなにも頼んでいなかった。アントニアとの二人旅がはじまった。

 若き日に家出したことが思い出された。独り悲壮に秘密を抱え、なにも悪くない家族と訣別する意気込みで飛び出した、あの夜の心地をもう一度味わっている気がした。

 あの時も、ピュートドリスが会いに行くと決めた人物は同じだった。

 それにしてものんきなものだ。すぐ東では、元継子が遠征に乗り出そうとしているのに。おまけにその取り巻きたちには、首を欲しがられているというのに。







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