2/5節『名声第一、毛刈りの達人』
〈水鏡の迷宮〉に潜り、予想だにしない迷宮の内部にひとしきり驚き。
ただ、迷宮とはいえ、見てのとおり無人の町みたいなものですから、と。
ミヤにそう教えられているうちに、自身の好奇心も抑えきれなくなり。
充が、鏡写しの町に踏み出し。
外にある本物の町でいうところの中心部に向かおうと歩き始め、すぐ。
「うわ……なに、この……でっかい綿毛みたいなの……」
充は、異様な光景を前に足を止めていた。
直径一メートル大の蒲公英の綿毛のような毛玉が、宙を漂っていたのである。
それも、無人の町のいたるところに、ふわふわと、大量に。
『それが充さんに収穫していただく綿花羊です』
「え!? これの毛を刈るの!?」
『不用意に魔力さえぶつけなければ、おとなしい魔物です。充さんなら安全ですよ。遠慮なくガシッと捕まえてみてください』
「ははあ……また、凄い予想外の見た目だ……」
迷宮に棲息する魔物の毛刈りが今回の仕事だと聞いてはいたが。
まさかこんな奇妙奇天烈な姿形をしているとは――と。
充は眼前の景色に唖然とした。
『どうでしょう? やっぱり驚きましたか?』
「ビックリですよ……ヒツジの魔物って話でしたけど……これ、ヒツジ……?」
ミヤの声に従い、近くに漂ってきた綿毛をそっと掴んでみれば。
真っ白な直毛のなかに埋もれる、子ヒツジのつぶらな瞳と目が合った。
どうやら四肢を胴体にくっつけるように折り畳んだ格好で宙に浮いている。
『綿花羊はこの〈水鏡の迷宮〉に大量に生息している魔物で、町の人たちはこの魔物の毛を刈って衣服を作ったり、ほかの町との交易品にしたりしています。多くの町で綿花羊の毛は流通していますし、〈調査弾〉の原料として冒険者にも人気ですよ』
「へえ。町の顔なんですね……」
『まさしく、ですね』
そうやって、ひととおり魔物の話を聞き。
また、おとなしいヒツジの魔物を撫でてみたりなどしたのち。
「よし、じゃあ、やってみますか」
そこから、いよいよ仕事を始めるべく、充は毛玉を抱えて座り込んだ。
『背中側から、皮が剥けますので――』
「これ、ヒツジは痛くないんですよね? 妙に緊張する……」
そして、ミヤの説明を受けながら開始した毛刈りは――至極簡単であった。
綿花羊の背中を軽くまさぐれば。
まるでタマネギの皮を剥くように、毛の生えた表皮がペロリと剥け。
なかから、裸の子ヒツジが元気そうに飛び出してきた。
裸の綿花羊は地に足を着けると、そのままどこかへと走り去り。
元気そうなヒツジを見送り、充は安堵の吐息をこぼし。
それから、しばらく彼は毛刈りの作業に熱中した。
「――慣れてくると楽しいな、これ!」
充は、浮いている毛玉を捕まえては、ふわふわと抱き寄せ。
ペロリと毛皮を剥いて、裸の子ヒツジを放牧する。
その作業を熱心に続け、大量の毛皮を路上に並べていった。
『今、〈終焉と始まりの町〉は田んぼの収穫も終わって農作業は一段落して、こちらの羊毛収穫が本格化する直前の時期なんです。この時期が一番、外からきたお客さんがなにか行動してもほかの人に迷惑がかからないですから――』
「ああ、棚田が全部、なにも植えられてなさそうだったのは、刈り入れ後だったからなんですね――刈り入れ後も水を抜かないんだなぁ」
『おや、もしや充さんは田んぼにも関心がおありですか?』
「まあ、小さい頃からよく目にしていたんで……少しは」
『でしたら田んぼの情報を追加しますと、その町では主に稲を作っていて、年に二回のペースで栽培と収穫をしています。二期作というんでしたっけ。今は二回目の収穫が終わった後でして――』
「へえ――」
それから、ミヤとの雑談を交え――。
何時間、作業に没頭していただろうか。
『――充さん。今日のところはそろそろ、充分な量の毛が集まりましたよ』
気付けば、充は無人の町のいたるところに毛皮を敷き詰めていた。
「あ――そうですか? じゃあ、外に運び出しましょうか」
ミヤの声で手を止めた充は、伸びをして身体をほぐし。
一息つくと、さて帰りの準備をと毛皮をまとめ始め。
――そのとき、ふと、自分に注目する視線に気付いた。
「うん?」
気配を頼りに、町角に目をやれば――。
そこには、十代前半から半ばに見える少年たちがいた。
民家の影から、こちらの様子を覗うように顔ばかりを出している。
「ミヤさん、あの子たちは……?」
『あ、冒険者学校の生徒ですね。迷宮で訓練中の子供たちです』
「なんだか、こっちのことをすっごい見てますけど」
なにか用があるのだろうかと、充も子供たちへ顔を向けていると――。
「――!」
「――!」
「――! ――!」
充に覗きを気付かれた子供たちは、歓声をあげるや。
充のそばへと駆け寄ってきて、きゃっきゃと騒ぎ立て。
あっというまに、充は子供たちに囲まれてしまった。
「えっ!? ミヤさん、これ、この子たち、なんて言ってます?」
当然、〈水の国〉の言語はまだ聞き取れない。
表情や身振りから、子供たちに歓迎されていそうな雰囲気は伝わるが――。
詳細がわからない以上、困惑するしかない。
充は慌ててミヤに助けを求めた。
『えっと……どうやら充さんの毛刈りの手際の良さにみんな驚いているようですよ。毛刈りの達人だーって、みんなで騒いでます』
「え? そんなに手際良かったんですか? 自分じゃわからないんですけど」
『充さんの作業はほかの人より迅速だったと思いますよ。あ、見てください』
状況を説明しようとするミヤより早く、子供たちは動いていた。
年長らしい少年が近くに浮いている毛玉を捕まえようと手を伸ばし――。
毛玉が突然、少年に捕まるより先に、縮れてぽとりと地面に落下した。
モコモコとした縮れ毛の、見慣れたヒツジの姿となった綿花羊は。
そのまま四足で駆け出し、少年の手を躱して走り去ってしまった。
「――!」
「――!」
子供たちはまた充を振り返ると、期待に満ちた眼差しの集中砲火を浴びせ。
おおよそ状況を察した充は、そんなに期待されては仕方ないとあたりを見て。
近くにいた毛玉を一匹、ひょいと捕まえてみせた。
「――!」
「――!」
途端に子供たちから喝采があがる。
その反応に、充は確信を持って頷いた。
なるほど、どうやらこの毛玉――本来は走って逃げるものらしい。
「ミヤさん。これ、なんで私は毛玉に逃げられないんです?」
充の腕のなかでくつろぐヒツジをめずらしそうに覗き込む子供たちに囲まれ。
状況の説明を、ミヤにだけ届く小声で求めた。
『あ、はい。綿花羊の毛はですね、魔力に反応して縮れる仕組みなんです。強い魔力を浴びるほど強く縮れるといった具合で。それを利用して周囲の危険を察知する魔物なんですが――充さんの場合、魔力が身体からまったく放たれていませんので――』
「ああ、それで怖がられないから大丈夫だと」
『はい。ですから、この仕事は充さん向きだろうと、紹介させていただきました』
「ああー、そういう理由があって!」
まさか魔法と無縁の日本育ちであることが、異世界で役立つ日が来るとは。
こともなげに聞いたことのない知識を語るミヤに、充は感心するしかない。
『ちなみにですが、あまり綿花羊を驚かせていると、そのうち彼らの集団に追い立てられて近くの泉に突き落とされます。そうすると迷宮外の泉へ弾き出されるわけです。不必要に暴れる者を追い出す、〈水鏡の迷宮〉の罠ですね』
「来るときに見た風物詩はそれかぁ……」
――そうした異世界の常識や文化を学ぶ一幕も交えつつ。
それから充は、言葉は通じないながらも雰囲気でなんとでもなる、と。
下宿へと遊びにやって来る近所の子供たちの相手をするように。
木の棒を振りまわしたり、駆けまわったり、現地の子供たちと親しく遊び。
彼ら一人ひとりに、木の棒やら丸い石やらと毛皮を交換したりなどしたのち。
やがて、訓練に戻る皆に別れを告げて。
「よし! では、帰ります!」
『お疲れ様です、充さん! すぐに出口の泉まで案内しましょうか? それとも、せっかくですから迷宮内を見てまわりますか?』
「おお! それなら、ちょっと見てまわりたいですね!」
当然、目の前に広がる不思議な光景を堪能せずに帰るのはもったいない、と。
迷宮内を一巡りするため、また一段と好奇心に目を光らせ。
『では、丘のあたりまでぐるりと見てまわることをお勧めしますよ。丘の中腹あたりで冒険者学校の生徒たちが特訓しているところが見られると思いますし』
「へえ――って、この迷宮、どれだけ広いんですか?」
『あ、空や遠景は天井や壁面に映した映像ですから、見た目ほどの広さはありませんよ。この迷宮はもともとシェルターのような用途で造られたものでして、内部から外の状況を確認できるよう、外の様子を投影していて――』
「ははあ、そういう仕組みで――」
充にとって初となる本物の迷宮、〈水鏡の迷宮〉挑戦。
それは、充の体質により、その後も終始平和裏に進行し――。
彼は意気揚々と、山のような戦利品を担いで迷宮を脱出したのであった。
――その後。
充が持ち帰った毛皮の量が、〈終焉と始まりの町〉の人々を驚かせ。
『――どれだけ足が速いんだ。どんな道具を使ったんだ。一日でこんな量の羊毛を収穫した人間は初めて見た。まだ若いみたいだが腕の良い冒険者なのか。うちの店で雇いたい……そんな感じに歓迎されていますね、充さん』
「ミヤさん、ちょっと、そんなに言われるとくすぐったいです……」
『でも、皆さん、本当にそう言ってますから』
また、その毛の質が最上級のものだと、さらに多くの人々を騒がせ。
『――こんな上質の毛は初めて見る。どうすればこんな綺麗に収穫できるんだ。これは普通の毛の十倍の価値じゃきかない値打ちものだ。あの人はさぞや名のある冒険者なのだろう……そんな風に騒がれていますよ、充さん』
「なんでそんなことになってるの!?」
『綿花羊の毛は、刈られたときの縮れ具合を保つ性質があるんです。ですから、魔力を浴びて縮れた状態の綿花羊から刈った毛は、あとからどんなに伸ばそうとしても、どうしても縮れてしまうんです。日本にあるものでたとえると、形状記憶合金みたいなイメージでしょうか。それで、充さんの刈った毛はすべて綺麗な直毛のままですから、繊細な織物の加工に向いていたりとか、色々な用途に使える貴重品なんですよ』
「な……なるほど……そういうことで……いや、なんだか落ち着かないな!」
図らずも、充は服飾関係の人間や一部の子供たちのあいだで一躍有名となり。
〈水の国〉は〈終焉と始まりの町〉における、記念すべき初仕事の日は――。
彼にとって、達成感と、少々のむず痒さを覚えた一日となった。
※バロメッツ……日本の存在する世界では、伝承上、木に実るヒツジとされている。これは、木綿の存在を知らなかったヨーロッパの人々が、初めて木綿(木から採れるウールのようなもの)の存在を知った際、「異国では木にヒツジが実るのか」と誤解したために生まれた伝承である、とされる。
※形状記憶合金……変形しても、特定の温度以上に熱することでもとの形状に戻る性質をもった合金。