4/5節『夢と現の就職希望』
仮設の迷宮のテストを終えたのち。
充は、休憩時間ということで、図書館の展望室に案内されていた。
床も壁も天井も、大理石か色ガラスのような艶のある素材でできた廊下を進み。
時折、横切る書庫を覗けば、どこも壁面まで本棚になっている。
淡く青い光に満たされた館内を、ミヤの後ろについて充は歩いた。
やがて到着した、内装が目に優しい乳白色で統一された広い部屋。
並べられたテーブルとイスのうち、窓際の一つを選び、充は腰を下ろした。
窓の外は、闇に染まっている。
今は夜なのか、あるいはこの世界は常に暗い場所なのか。
なにも見えない窓を、充が眺めていると。
「お疲れ様です。今、お茶をお淹れしますね」
そばに立つミヤがそう言って、ローブの袖から筆を取り出し。
そしてそのまま、筆を空中に走らせた。
すると、筆の穂先からなにもない空間に光が滲み出し――。
それは見る見るうちに、空中に咲く蓮のような花となった。
「おお!?」
驚く充の眼前で、ミヤは甲斐甲斐しくその花を傾ける。
傾けた先は、いつのまにかテーブルの上に置かれていたティーカップである。
時間にして、ものの三十秒足らず。
花から溢れ出した温かいお茶が、ティーカップのなかで湯気を立てていた。
充はその光景に目を見張り、感動の声をあげた。
「凄いですね! 綺麗で、格好良くて、なんというか……本物の魔法だ!」
この言葉に、ミヤは嬉しそうに相好を崩した。
「そんなに喜んでもらえるなんて……ありがとうございます。あの、魔法の見た目は僕のこだわりなので、そう言ってもらえると嬉しくて、なんだか照れてしまいます」
そのような、お茶を淹れるだけでも幻想的な光景が繰り広げられる世界で――。
ミヤが充に全幅の信頼を寄せるきっかけとなる、充にとって運命の会話は――。
「お手伝いをしていただいていますし、沙々木様には、もう少し詳しく僕の仕事のことを――迷宮のことについてを、お伝えしておきますね」
ミヤの、この言葉から始まった。
* * *
異邦人である充に、ミヤは異世界について様々なことを語った。
魔法や魔力という不思議な力について。
冒険者という職業について。
そして、彼女が造るもの――迷宮について。
〈迷宮〉。
それは、迷路と魔物と罠に囲まれ、宝箱が置かれている場所。
充が創作物のなかで触れてきたもの。
「迷宮は魔法の源である『魔力』というものを循環させて、それを活かしてなにかを守ったり、なにかを創ったりする施設です。魔力のことは、磁力や重力のような、目に見えない力の一種だと思ってください」
それが、ミヤの世界には実在するのだという。
「迷宮のことを沙々木様の国でたとえると……牧場や農場や工場、あるいは鉱床をイメージしてもらえれば近いでしょうか」
それも、かなり生活に根差した存在なのだという。
「今回造る迷宮は、そうしたものづくり用の迷宮に必要な魔力を送るための……そうですね、発電所のようなものです。『駆動機型迷宮』と呼ぶんですが」
自分の仕事を人に語れるのが嬉しいのか。
それらを語るあいだ、ミヤは絶えることなく満面の笑みであった。
「あ、ものづくり用の迷宮は『牧場型迷宮』と呼んで、ほかにも『要塞型迷宮』と呼ぶものもあります」
「なんだか専門用語的な響きですね」
「そうですね。実際に、この呼称は迷宮造りをする側が使っているだけで、ほどんどの人はこうした分類があること自体を知らないです」
「へえ……本当に専門用語だ」
そして、満面の笑みを浮かべるのは、話を聞く充もまた同じであった。
「駆動機型は魔力を生むための迷宮で、世の迷宮のほとんどはこれに当たります。宝箱などで冒険者を誘い込み、罠や迷路で冒険者に魔力を消費させて、その魔力を吸収してほかの迷宮に送るんです。いかに多くの魔力を冒険者に消費させるかが、この迷宮の肝ですね」
「目立つところに宝箱を置いたり、遠まわりしないとそれが取れない道順になっていたり、行き止まりに宝箱を隠したり……」
「はい! そうです!」
日常では耳にしたくともできなかった、「冒険者」「宝箱」などという単語。
充がずっと憧れていた存在。
それらが確かにあるというこの世界こそ、彼が求めていたものである。
笑みを抑えろなど、無理な相談であった。
「牧場型は貴重な道具や宝を生み出す重要施設ですから、なるべく冒険者に見つからない場所に建てて――」
「イメージで言うと、海底や絶海の孤島に隠されている、罠もなければ魔物もいない、凄いお宝だけが置かれた洞窟ですか?」
「はい! まさしくそのようなものです!」
また、このときの充は異世界に来たばかりであった。
表向き平静でも、その実、超常の事態を受け入れるのが精一杯の状態であった。
これが夢なのか、現実なのか、それすらもわからない。
むしろ夢だとしたら覚める前に少しでも多く楽しまねば、とばかり考えていた。
なぜ異世界の魔女が日本語をしゃべっているのか。
なぜ魔女の言う「ダンジョン」が、自分のイメージどおりのものなのか。
このときはまだ、そうした細かい疑問などを思い浮かべる余裕もなかった。
「要塞型は、侵入者を全力で排除しにかかる、言葉どおりの要塞です。重要人物の居住地や、ときには大切な牧場型迷宮を内部に隠していたりします」
「世界征服を目論む皇帝が住んでいる居城的な?」
「面白い表現ですが、そうですね。そのようなものですが……あの、沙々木様、先程から迷宮にお詳しいようですが、もしかして迷宮造りの経験が……?」
「いやいや違いますよ! 日本にもダンジョンを題材にしたものがあって、そこに登場するダンジョンのお約束と一緒だなと思って。テレビゲームってわかります?」
「あ、名前だけは聞いています。日本の一般的な娯楽作品ですよね。僕も興味はあったんですが、実物はまだ触ったことがなくて――」
それゆえ、このときはただ素直に、ただ純粋に。
充は、彼女との至福の会話を楽しんだのであった。
なお余談ではあるが、このときの会話が元で、充がミヤにゲームを勧め――。
後日、ミヤが、充から紹介されたゲームにどっぷりとのめり込み――。
幻想的な世界でファンタジー系ゲームに熱中する美女という奇妙な光景が――。
「これは迷宮造りの勉強です!」
そう大真面目に言い張る彼女の姿が、散々に披露されることになるのだが――。
そんなことになるとは思いもしなかったと、のちに充は語った。
* * *
ミヤの「この世界における迷宮の概要」説明が終わったときのことである。
「沙々木様、先ほどの迷宮をより良いものにするお考えはありませんか?」
「より良いもの、ですか」
甘いお茶の匂いが漂う休憩室に、彼女の改まった声が響いた。
その声を聞いた充も、返事をしながら表情を引き締める。
「はい。駆動機型の仕組みを聞いて、先程テストしていただいた迷宮の改善点などを思いつきましたら……」
「改善……というと、もっと訪れる人を増やす方法とか、長く人を留めておく方法ってことですよね?」
「はい」
こくりと、ミヤは黒髪を揺らした。
「駆動機型は、冒険者の足止めをやりすぎては訪れる人もいなくなりますし、宝の質を上げるとそれを作成する魔力も多くなりますし、どうバランスを取るかが最重要なんですが……」
「そうだなぁ……」
充はお茶を啜り、高い天井を見上げ。
これまでに得た情報を頭で整理し、考えをまとめ――。
ミヤが造ろうとしている駆動機型迷宮。
それは冒険者を報酬で誘き寄せ、魔力を消費させ、そのエネルギーを得る施設。
おや、そうであるならば――と、充は気付いたことを口にした。
「ミヤさんの迷宮に関する説明を聞いていて思ったんですが、罠や魔物を用意しなくても、魔力をたくさん持っている人を雇って発電に協力してもらえば良いって話ではないんですか?」
造るのが発電所だというのなら、なにも凝った仕掛けを用意する必要はない。
その施設で働く従業員を雇えば良いだけの話ではないのか。
現在、まさに迷宮造りのために雇われている充としては、そこが気になった。
しかし、充の発言に対するミヤの表情は、申し訳なさそうなものであった。
「そうですね……それができれば話は早いのですが……」
展望室の窓際に寄ったミヤは、闇しか見えない窓に向かい、手をかざした。
直後、窓の外の景色が薄明かりに浮かび上がった。
小高い丘の上に建っているらしい図書館から一望できる風景。
それは、一切の生命の存在が感じられない灰色の荒野であった。
「この図書館があるのは〈石の国〉と呼ばれる場所でして、今回の迷宮を造るのはあちらに見える〈水の国〉なんですが――」
ミヤは、白い指先を窓の外の荒野――の真上へ向けた。
導かれるように視線を空へと向けた充は――。
そこに、青く輝く巨大な星を見た。
それは月面から地球を映した映像を思い出させる、神秘的な光景だった。
ファンタジー世界に迷い込んだと思っていたら、ここはSF世界だったのか。
ぽかんと口を開けて空の星を見上げる充に、ミヤは説明を続ける。
「駆動機型迷宮というのは、〈石の国〉の人たちが〈水の国〉に移住する際に考案したものでして、圧倒的に数の少ない〈石の国〉の人たちが自分の身を守りながら生活に必要なエネルギーを生産するため、数の多い〈水の国〉の人たちの魔力をこっそりわけてもらおうという発想から生み出されていまして……」
いわば、敵対国家の住民を秘密裏に労働力として使ってしまおうという施設。
それが駆動機型迷宮なのだという。
そのような経緯で生まれた施設である。
当然、〈水の国〉の人々には迷宮がなんのための建造物か秘匿された。
〈石の国〉の住人は、〈水の国〉に移住するや、次々と迷宮を建造し。
〈水の国〉の住人は、新参者がよくわからない施設を造る様子を見届け続け。
そしてそのまま、長い年月が流れてしまった。
結果、迷宮は仕掛け人たちの思惑通り――。
危険はあるが見返りも魅力的な謎の場所として、〈水の国〉の文化に定着した。
今では、迷宮は〈水の国〉の衣食住を支える重要要素となっている。
そこから得られる利権により、町同士の権力闘争も生まれている。
迷宮の存在は、微妙なパワーバランスの上に乗ってしまっている。
もはや、うかつに迷宮の正体を〈水の国〉に明かせる状態ではない。
「――そんな状況なんです」
「ああ、だから日本でアルバイトの募集を……」
「はい。異世界の人でしたら、協力してもらっても秘密が漏れませんし……あと、その、実は僕自身、〈水の国〉に駆動機型を造るのは初めてなので、どうしても誰かに相談したくて……」
ミヤの説明を聞き終えた充は頷いた。
どうやら、文化や歴史や国家間の問題で、迷宮の周辺はややこしいらしい。
そのあたりがわからない自分は、素直に聞かれたことだけを――。
つまり、罠と宝のバランスだけを考えるべきだろう。
「なんとなく状況はわかりました。それじゃあ、ちょっと改善案を考えてみます」
思考の方向性を定めた充は、さて良案はあるかと頭に手を当てた。
ここぞとばかりに、多業種でのアルバイト経験を思い出す。
それから数秒間、部屋は静寂に包まれた。
魅力的な宝を用意すれば人は集まるが、コストがかかる。
コストを回収しようと冒険者をあまりにも苦戦させては、人が離れる。
冒険者を大冒険させつつ、安全管理にも配慮しなければならない。
なんだか客商売みたいだな。
それならば。
静寂の後、彼の頭に浮かんだのは――。
「そうだ、薄利多売だ」
「薄利多売?」
「罠の質を落として誰でも訪れられるようにする代わりに、宝も安価で供給可能なものを用意するんです」
資本主義社会で生きる者らしい発想だった。
「真水とか主食になる穀物とか、そういう必需品かつ消耗品も迷宮で作れるんですよね? これを迷宮の報酬にすれば、常に大勢の人が来るんじゃ?」
「ああ……それは確かに効果的ですが、少し……難しいですね」
これは良いアイディアだ、と充は思った。
だが、その案を聞いたミヤは悩み顔のままである。
「そうした安定性を重視する迷宮は、競合するものが多くて……それに、もしも競合するものが近場にない土地を選んでそのような迷宮を造ったとしても、それはそれで、現状で成り立っている物流や経済に与える影響が大きすぎて、下手をすると近隣の町同士の争いになってしまいますので……」
「おお、なるほど、そうか。異世界も世知辛い……」
良案には大概、先駆者がいるもの――充は世の常識を改めて痛感した。
「すみません……気軽に迷宮造りができなくて……」
「いえいえ。ただ、そうするとほかになにかあるかなぁ……危険を冒しても行こうと思わせるような宝か……」
充はそう呟き、再度、頭を悩ませ――。
そのときであった。
「……あれ?」
「沙々木様?」
彼は、ふと違和感を覚えた。
ほかならぬ、自分の呟いた何気ない一言に対してである。
充は先程の仮設迷宮体験を今一度、鮮明に思い出す。
あの緊張、あの興奮、あの感動――あの冒険は、素晴らしいものだった。
自分なら金を払ってでも、もう一度体験したいと思う。
その思いは、宝がなくとも同じだろう。
自分はなぜ、先程の迷宮にまた行きたいと思ったのか。
それは、罠や宝の質だとか、そういった技術的な問題ではないはずだ。
「ミヤさんの言う迷宮に当てはまるのかは怪しいんですけど」
そうだ。
そもそも、迷宮自体が楽しかったからだ。
――その閃きが、充の運命を決めることとなった。
「ミヤさんって、とても綺麗な魔法を使うじゃないですか。火が花吹雪になったりとか。あれで凄い綺麗な魔法の見られる迷宮を造ったらどうです?」
「魔法を……見せる?」
首をかしげるミヤに、充はどう説明をしようかと眉根を寄せ。
「日本にも風穴、氷穴という氷の洞窟とか、凄い大きな鍾乳石のある秋芳洞って洞窟があるんですけど、ほかじゃ見られない景色が見られるそういう場所って、観光地として何十年もお客さんを呼んでいるんで……」
そうそう、と自分の言葉に自分で納得するように手をポンと叩き。
充は言葉をまとめた。
「いっそのこと、風光明媚な迷宮にしたらどうかなと」
そう、今の自分の気持ちは観光旅行中の高揚感そのものなのだ、と充は頷く。
迷宮もいっそ、冒険者をそんな気分にさせる場所にすれば。
足止めの罠を用意せずとも、宝を用意せずとも、皆が長居するのではないか。
「迷宮を……観光地に?」
「ミヤさんは魔法の見た目にこだわっているって話ですし。あと、私も旅行が好きなので……思いつきなんですけど」
それは、昔から旅行が趣味の充にとっては――。
冒険譚を探し日本中を巡り歩いた充にとって、特別に奇異な発想ではなかった。
「――それです!」
しかし、ミヤにとってその提案は、天啓にも等しい一言であったらしい。
「そうですよね! 沙々木様の世界では町の外にも観光地があるのですもんね! 駆動機型は罠を用意するものっていう先入観に囚われていました!」
ミヤは胸の前に手を合わせ、飛び上がらんばかりに喜んだ。
その拍子に、周囲に文字どおり花が咲き、ふわりと華やかな風が巻き上がる。
「おおっ!?」
「あ、ごめんなさい! 興奮して魔力が溢れてしまいました!」
頬を染め、照れ臭そうに笑うミヤが、ぱたぱたと袖で花弁を消し。
それから居住まいを正し、充へ深々と頭を下げた。
「沙々木様、ありがとうございます! その案、使わせていただきます!」
顔を上げたミヤの表情は、凛々しくも晴れやかな笑顔であった。
* * *
この日、充が口にした献策と、日本の複数の観光地名。
それらが、ミヤの彼に対する印象を「日本観光に詳しい聡明な人物」に決めた。
そして、それが充とミヤ――異世界とを繋ぎ留める結果となったのである。
それは、一日の仕事終わりを迎えたとき。
報酬のことなどを話し終えた充は、決意に満ちた顔つきでミヤと向かい合った。
「あの、ミヤさんのところでこのまま働かせてもらうことって、できませんか?」
これこそが、自分が探していた剣と魔法と冒険の世界。
こここそが、自分が求めていた職に就ける世界に違いない。
そう実感した充が、魔女の私設図書館へ、雇用期間の延長を申し出たのである。
「え……そんな、いいんですか!? 僕としては、願ってもいないことで、こちらから頼みたいくらいなんですが……!」
そして、それはミヤもまた望むところであった。
異世界の魔女は、その慈母のような顔に、いっそうの笑顔を――。
まるで新しい友達ができたときの少年さながらの、初々しい笑顔を浮かべ。
「その、それでは! えっと、あの、これからもよろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
こうして、充の異世界アルバイト初日は大団円を迎え。
ここに彼は、幼心に憧れ続けた冒険譚の一ページ目を綴り始めたのであった。
「では今度、僕の主人が帰ってきたら、沙々木様のことを紹介しますね」
「マスター? ああ、もしかして、ミヤさんがこの図書館の持ち主ではないんですね。ミヤさん以外にだれも見かけなかったので、てっきり……」
「あ、そういえば説明を忘れていましたね。僕は〈竜王〉エンシェに従ってこの図書館の司書をしていて……日本でいえば、僕の主人が社長で、僕は副社長みたいな感じだと思ってもらえれば」
「……え?」
「沙々木様? なにか?」
「りゅうおう……って、竜の王様って書いて竜王?」
「あ、はい、そうです。主人の二つ名ですね」
「それって……まさか、竜?」
「えっと、僕の主人のことですよね? はい、竜ですが?」
「……ええっ!?」
――アルバイト先の雇用環境に、一抹の不安を覚えながら。
※風穴、氷穴……山梨県は富士の樹海にある洞窟、富岳風穴と鳴沢氷穴のこと。真夏でも洞窟内で巨大な氷柱が見られる天然の冷凍庫。どちらも国の天然記念物。
※秋芳洞……山口県は秋吉台の地下にある日本最大規模の鍾乳洞のこと。洞窟内を地下川が流れる巨大な洞窟。国の特別天然記念物。
※ドラゴン……日本では、主に中世ヨーロッパの伝承に登場する「翼を生やした巨体のヘビ、またはトカゲじみた見た目の怪物」のことを指す。空を飛び嵐を呼ぶ、口や鼻から火や毒を吐くといった能力を備えたものが多く、英雄や聖人が倒す悪役として数々の竜退治物語に登場する。