2/5節『かくして冒険は始まった』
「……ええと……どうしよう?」
「沙々木様? あの、沙々木充様でよろしいですよね?」
「あ、はい。私は、沙々木充ですが……」
「えっと、なにかご不審な点でも……?」
不審な点しかない。
――ではなくて。
「なんと言えばいいのか、その、ミヤ、さん?」
「はい。なんでしょうか?」
「なにから言えばいいのか困るくらいなんですが……とりあえず、私は、多分ですが……魔法使い? では、ないのですが?」
「……えっ?」
* * *
沙々木充と異世界の魔女ミヤ。
二人が運命的な出会いを果たしてから、時間にしてわずか数分後。
「本当に申し訳ありませんでした!」
「いえ、頭を上げてください、ミヤさん」
異国情緒――異世界情緒であろうか――溢れる書斎は謝罪会見場と化していた。
「あのチラシには人除けの魔法をかけていて……魔法使いの方しか確認できないとばかり思っていて……えっと、人手がほしい気持ちが先走って事前確認を怠ってしまいました! 巻き込んでしまって申し訳ありません!」
「いえ、別に、私はなにも迷惑を受けてはいませんし」
充を喚んだミヤは、彼が魔法使いではないと理解するや、平謝りを繰り返した。
充の「自分は魔法使いではない」の言葉を聞き、ぽかんと数秒間の沈黙を経て。
それから事態を飲み込んだらしい絶世の美女は――酷く狼狽した。
初見時の知的で妖艶な雰囲気もどこへやら、すっかり慌てふためいたのである。
これには、どうやら変事に巻き込まれた立場らしい充も面食らい。
むしろ充のほうが、いくらか冷静になってしまった。
その結果。
目の前の人が困っているならばなんとかするのが紳士の嗜み、と。
紳士心を発揮した充が、事態の収集を図る側となり。
「でも、こんな、お時間を取らせてしまって……どうお詫びすれば……」
「いえ、そんなに深刻にならなくても大丈夫ですよ」
まずは、なにを言っても謝ってばかりの、目の前の女性を落ち着かせよう。
そう考えた充が、小児さながらにおろおろとする大人びた風貌の女性をなだめ。
「ただ、そうですね……あの、私としては、まだ状況がわかっていなくて……半分、夢を見ているんじゃないかと思っているくらいで……できれば、この状況になった事情をお話ししてもらえると助かるのですが」
また、どうにか自分の置かれたこの異常事態の詳細を聞き出し――。
「えっと、ここは、沙々木様がお住まいの世界とは異なる場所で……異世界ですって説明で伝わりますか? イメージが難しいようでしたら、似たような生態系のある、どこか別の星にワープしてきたと思ってもらえればいいです」
「異世界……ワープ……」
「僕は、そういった異世界同士を繋げる魔法が得意な魔女なんです」
「魔法……魔女……」
「それで、僕はこの〈古代図書館〉の司書のほか、迷宮を造る仕事もしていて……ダンジョンデザイナーと言えばいいでしょうか」
「ダンジョン……!?」
「あ、迷宮というのは魅力的な報酬を収めた宝箱で冒険者を誘い込み、迷路や魔法の罠や魔物でもって潜入してきた冒険者を迎撃する施設のことです」
「あ、はい、そういうダンジョン……本当にあのダンジョン……」
「今度、その迷宮を新しく造ることになったのですが、どうも僕一人では旧態依然としたアイディアしか出てこなくて……それで、この際、どなたか別の方に新しい迷宮造りを手伝ってもらえればと思い、魔法使い向けのチラシを書いたんです。それが……こんな、沙々木様には申し訳ないことになってしまい……」
要約すると、ここは剣と魔法と魔物が跋扈する異世界であり。
ここには騎士道物語やコンピューター・ゲームで馴染み深い迷宮が存在し。
自分は、その世界へ、なにかの手違いで召喚されたのだ――と。
充は自分の置かれた状況を、そのように把握することとなった。
常識を超えた「異世界」「魔法」などという言葉がポンポンと飛び出す事態。
その超常の事態にいたった理由が、ただの手違いだという気の抜け具合。
彼は、ミヤと名乗る異世界の魔女の、あまりにも突飛な説明を。
めまいを覚えながらも、聞き続けたのであった。
「沙々木様のお住まいとの連絡通路は繋げたままですから、すぐに帰っていただいても構いませんので……」
ひととおりの謝罪と説明が為されたのち。
話をするうちに落ち着きを取り戻した魔女は、頭を下げつつ、そう告げた。
「ああ、ええと、一応、私はアルバイトの約束をしてここに来たことになると思うんですけれど……このまま帰ってしまっても……?」
「もちろんです! こちらの勘違いで喚んでしまった方に、これ以上のご迷惑はかけられません!」
本来ならば、そこで二人の話は終わっていてもおかしくはなかった。
そもそも、夢か現かもわからない事態。
相手の発言の信憑性や、自分の身の安全の保証すらない。
そのような状況である。
だが、充は剣と魔法と冒険の生活に本気で憧れる青年であった。
彼にとって、自分の常識を超えた現状は、むしろ望むところであった。
また彼は騎士道物語を愛し、騎士道精神に憧れる青年であった。
彼は、目の前で困っている女性を放っておける性格ではなかった。
それゆえに――。
「私に手伝えることがあれば、手伝いますよ? 人手が足りないんですよね?」
気付けば、充はミヤの手伝いを申し出ていた。
「え……沙々木様? その……いいんですか?」
「こう言っては失礼ですが、なんだか、放っておけなくて」
――そこから先は、怒涛の展開であった。
「でしたら、僕が試作した迷宮に、試験役として潜っていただく……なんて」
「試験役?」
「迷宮の罠や魔物が予定どおりに機能するか、試してもらいたいんです」
「どんなことをやればいいんですか?」
「その、沙々木様に、冒険者の役をやってもらいたい、と……」
「冒険者――というと?」
「迷宮に潜って、剣や魔法で魔物と戦ったり、宝を探す職業です」
「……え!?」
「武器も用意しますし、魔法を使えるようにサポートもしますので――」
「あの! 魔法というのは……空を飛んだり、火の玉を飛ばしたりする……?」
「あ、はい。そんな感じです」
「やります!」
「もちろん、怪我がないように気をつけますし――えっ?」
「私にも魔法が使えるんですか!?」
「え、あ、はい、疑似的にですが、はい」
「喜んでやります!」
「あ、ありがとうございます!」
思えば完全に勢い任せだったと、のちの充が振り返る会話。
それにより、充は異世界を舞台に日雇いのアルバイトを始めることとなり――。
そして、その後。
充がどのように魔法を擬似的に使うか、という点について。
充がミヤから借りた魔法を装備する、という手法の説明に始まり――。
「目には見えませんが、沙々木様には僕の魔法を発動する魔法を装着してもらう形になります」
「魔法……を、装着……?」
特定の呪文を唱えれば所定の魔法が発動する、魔女謹製の仕掛け。
そのような魔法の自動制御システムを、ミヤが用意すると言い。
目に見えない人工知能搭載型ヘッドセットを頭に乗せているようなもの。
そこへ音声指示を出せば、後は用意したシステムが指示に従い動いてくれる。
ミヤは、そのように現代日本風の説明をしたが。
「あの、『魔法を使える』といっても、こんな感じなんですが……沙々木様のイメージするものと一致しますか?」
「ばっちり合ってます! 精霊や悪魔だけに通じる暗号を詠唱することで合図して魔法の力を行使してもらう――古典的な魔術って感じで、しっくりきますよ! 魔女の力を借りて魔法を操るなんていうのも、中世の騎士道物語っぽいというか――」
充からすれば、これぞ古典的魔術だな、といった印象であった。
「えっと……喜んでもらえているようでしたら、良かったです」
続けて両刃の剣や丸い盾、道具袋、不思議な効果を発揮する小道具の用意。
魔物と戦闘しても怪我をしないよう魔法による身体能力の強化、など。
充を冒険者に仕立て上げる準備に移り――。
「それでは沙々木様、〈身体強化〉の魔法を使いますから、左右どちらでも構いませんので、手の甲を出してもらえますか?」
「手ですか?」
「魔法の力を込めた模様を描きますから、ちょっとくすぐったいかもしれませんが、失礼しますね」
準備の途中、ミヤがローブの袖から取り出した筆を持って充の手を取り。
「あ……」
白く優美な細指がしっとりと吸い付く感触に、充はドキリと胸を跳ねさせ。
肉薄した魔女の美貌と、その豊かな胸元から漂う甘い薫りに鼓動を加速させ。
「はい、できあがりました。身体を動かしてみてもらえますか?」
「あ……はい、それじゃあ……」
手に蔓草のような模様が描かれ、ミヤが身を離すや、充は慌てて背筋を伸ばし。
頬の熱をごまかすように、腕を思い切り一振りして。
「おおっ!? なにこれ!? 凄い!」
その腕が、発泡スチロールででもできているかのような軽さで勢いよく動き。
「軽く走ったり、跳んだりして、転ばないように気をつけて動いてみてください。転んでも怪我はしないですし、すぐに慣れると思いますが……どうでしょう?」
「おおーっ! めっちゃ跳べる! 凄い! これ、凄い! いや、こんな体験、ミヤさん! ありがとうございます!」
「そんなに喜んでもらえると、なんだか僕も嬉しくなってしまいます」
肌に感じる魔法の力に興奮を上書きされ、充は子供のようにあたりを飛び跳ね。
そうした充の喜びようを見て、ミヤもまた思わず笑顔になり――。
「それでは準備ができましたら言ってください。ここに仮設の迷宮を造ります」
「いつでもいいですよ! 全力で冒険者をやらせてもらいます!」
こうして、充の初の異世界アルバイトは幕を開けたのであった。
※ダンジョン……土牢や地下牢、あるいは天守を指す言葉でもあるが、ここではコンピューター・ゲーム等で使われる「財宝が隠されていたり、怪物が棲み着いている迷宮」の意。たとえば、「ラストダンジョン」といえば、ゲーム中で最後に訪れる(そのダンジョンを攻略することでゲームクリアとなる)迷宮を指す。日本の存在する世界では、約50年前からTRPG(テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム)の用語として使われるようになっていった。