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ラストダンジョンの隠しボスが日本観光をするようです  作者: 幽人
プロローグ・下 日雇いバイトは異世界で
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1/5節『運命との出会い』

 英雄譚や冒険譚は、いつの世も魅力に溢れている。


 岩に突き刺さった聖剣を抜き、英雄となったアーサー王の伝説。

 魔法の合言葉で盗賊の宝物庫に忍び込んだ男が大富豪となる千夜一夜物語。

 襲い来る幾多の妖怪や苦難を仲間たちの神通力で退ける西遊記。


 胸踊らせる物語の数々は、洋の東西を問わず、民謡で、書物で、舞台で――。

 あるいは映画となり、あるいはコンピューター・ゲームとなって。

 時代を越え、媒体を変え、たくさんの人を楽しませている。


 ただ――そこに一つ、不満を言うとするならば。


「そんな冒険イベントが、自分の身の周りには起きないことだよね……」


 沙々木充(ささきみつる)は、青白い秋空を見上げて、憂い顔で溜息をついた。


 日本の地方都市に住む()()、沙々木充。

 ()は、環境と友人とに恵まれ、それまで充実した日々を暮らしてきた。


 悲劇の主人公になるような波瀾万丈の人生を経験してきたわけではない。

 かといって、心身共に満ち足りた人生を送ってきたわけでもない。


 人生に不満はなくとも――強いていえば「違和感」がある。

 せいぜいが、そのような思いを抱く程度の日々を過ごしてきた。


 夢と魔法に満ちた出来事が現実に起こらないのは、おかしくないか。

 物語のなかには、こんなにも魅力的な世界が広がっているのに。


 あるいは、逆に。


 人生には、もっと楽しいことが待っているのではないか。

 こんなにも魅力的な物語を生んだこの世界なら、きっとなにかがあるはず。

 不確かで、無根拠で、けれど、どうしても「期待感」を抱いてしまう。


 尽きることのない違和感と、満たされることのない期待感。

 その二つを抱きながら、それでも平穏無事に生きてきた青年、沙々木充。


 そのような彼が、その日、顔色を曇らせ、たそがれていた。

 原因は――大学を卒業した彼を待ち受けていた、就職活動である。


「どうにか折り合いが付けばいいけどなぁ……」


 充は、自分に言い聞かせるように、もう一度、呟いた。


 充の就職活動は、一言で言えば難航していた。

 充はこの頃、定職に就かず、学生時代からの下宿先で一人暮らしを続けていた。

 日雇いのアルバイトをこなして、その日その日を暮らす生活である。


 本人は、自由人を気取るつもりもない。

 できれば、生涯をかけて打ち込める職業に就きたいとすら考えていた。

 そのためのやる気もあれば、努力もしてきた。


 充は学生時代から、たくさんのアルバイトを経験してきた。

 生真面目で律儀で努力家な性分の充は、どの仕事場でも重宝された。

 このままここの正社員にならないかと、幾度も誘われてきた。


 しかし、充はその誘いをことごとく丁重に断ってきた。


 仕事の向き不向きを気にしていたわけではない。

 仕事のやりがいの有無をどうこう語るつもりもない。


 向き不向きでいえば、充に向いた仕事はいくらでもあっただろう。

 どんな仕事でも、やりがいは自分で見つけるものだとも充は考えていた。

 職業に貴賎はないとも思っている。


 しかし、充は自分の手に届く範囲の職業に就こうとはしなかった。

 その理由は、単純にして明快。


 彼はただ――幼い頃から憧れ続けている、騎士道物語の騎士のような。

 あるいは英雄譚に語られる、剣と魔法を操る冒険者たちのような。

 そういった職に就きたいと、本気で願っていたのである。


 この、科学が世に広まり、資本主義経済が社会をまわす時代において。

 彼――沙々木充は。

 武器を取り、魔物と戦い、魔法を操り、冒険する人生を望んだのである。


 その就職活動が混迷を極めるのも、当然の話であった。


 やる気はある。

 新たな知識や技術を学ぶ気もあれば、行動力も忍耐力もある。


 ただ一つ、現代日本に充の望む職業が存在しなかったのである。


 充は、学生時代からいくつもの職場を見て、また日本中を見てまわり。

 いかんともしがたい、その現実を痛感し――。

 その結果として、この頃は、日々を憂い顔で過ごしていたのであった。


 とはいえ、充もただ日々を無為に過ごしていたわけではない。

 充は子供じみた夢を抱き続けていたが、現実から目を背けていたわけではない。


 充がこの日、下宿からほど近い駅前まで来ていた理由。

 それも、彼が苦悩のなかで踏み出した、新しい就職活動の一環であった。

 すなわち――。


「まずは現地で遊牧民の生活を見てから考えるとして……その前に渡航費用、と」


 彼は溢れんばかりの行動力で、海外に就職先を求めたのである。


 傭兵業はどうも違う、探検家のような被スポンサー業もなにか違う。

 文明を捨て秘境に籠もるのも日本に残した友人知人家族諸々に心配をかける。

 漁師や猟師もイメージから遠い気がする、だが遊牧民ならば?


 世界のどこかに、もっと自分の望む形に近い職業が存在するのではないか。

 あれこれと悩んだ末、充はそのように諸国遊学の途にわずかな希望を繋いだ。


 そして、その考えの実践には、渡航費用としてまとまった金を稼ぐ必要がある。

 そうした経緯から、充は割の良いアルバイト探しに奔走していたのであった。


 そのようにして人生の先行きを悩める青年に――。

 沙々木充に転機が訪れたのは、まさにそのアルバイト探しのさなかのこと。

 きっかけは、彼が街で見つけた一枚の怪しい求人広告であった。



 * * *



 それは充にとって忘れもしない、秋も深まり始めた、日差し穏やかな日。


 駅近くの路地裏で、彼は一枚のアルバイト募集のチラシを見つけた。

 内容は、「私設図書館の司書の手伝いを求む」。

 その下にはバイト代について「応相談」「現物支給」などと記載されていた。


 つまり、あまりにも胡散臭い代物であった。


 それでも充は、そのチラシに書かれた連絡先へと電話をかけた。


 彼が日頃のアルバイトを通じて種々の仕事場に慣れていたこともある。

 私設図書館という単語に好奇心を刺激されたこともある。


 しかしなにより、チラシを見つけたときに感じた匂いが彼を惹きつけた。


 森の下草のような、桜並木の仄かに甘い薫りのような、どこか懐かしい匂い。

 それが、チラシの前を横切ろうとした充の鼻をくすぐったのである。


「もしもし。私、アルバイトの募集を見て電話いたしました、沙々木と申します」


『あ、あの、少々お待ちください。ササキ……様……?』


 電話口から聞こえてきたのは、耳に心地良い大人びた女性の声。

 よく通り、静やかに響く声質とは裏腹に、わたわたと慌てた口調。

 これは間違い電話をしてしまったか、と思った充であったが――。


『あの、アルバイト……と、いうことは、チラシをご覧になった、と……?』


「あ……はい、そうです」


 どうやら連絡先を間違えたわけではなく。

 電話の向こうにいる相手が、電話対応に慣れていないだけだったらしい。


 そのまま充は、(つや)やかながらどうも初々しい声を相手にギクシャクと会話して。

 最終的に、先方とは翌日に顔合わせをすること。

 早ければその日のうちに仕事をする方向で話はまとまった。


『それでは、明日はこちらが送迎の手配をいたしますから、沙々木様は外出の準備をして、えっと……お住まいでお待ちください。こちらの準備が整い次第、連絡を差し上げますので……』


「わかりました。それでは失礼いたします」


 電話を切ったあと。


 研修を終えたばかりで初めて電話対応をした新社会人だろうか。

 とても綺麗で大人びた声の持ち主だったが、どこか子供っぽい印象も受けた。

 はたして、どのような女性なのだろう。


 充は電話の向こうにいた相手に対し、そのようなことを考えながら――。

 その日は、慣れた手付きでいつもどおりに次の日の準備を整えて、床についた。


 いつもどおりといかなくなったのは、翌日の正午頃のことであった。



 * * *



 翌日、充の寝室にある押入れが、異世界の図書館に繋がっていた。


「……へぁっ!?」


 あのときが人生で最もマヌケな声をあげた瞬間だったとはのちの充の弁である。


 つい先程まで、自分は外出の準備をして、自室で電話連絡を待っていた。

 そのとき、ふと寝室から森の下草のような薫りが漂ってきた気がした。


 なんだろうかと思い寝室のドアを開けると、ふわりと漂う花の薫りが強まった。

 薫りを辿るように押入れの引き戸に手をかけ、開けてみれば――。


 そこには書斎が広がっていた。


「え……なにこれ、夢!?」


 この状況にいたった経緯を思い返しても、()()()()()()()()()()()()

 いくらまばたきを繰り返しても、押入れの奥へと本棚の列は続いていた。


 戸惑うまま、充は見知らぬ書斎へと踏み込み、あたりを窺った。


 そこは見覚えのない文字の書かれた背表紙が並ぶ本棚、本棚、本棚の波。

 所々、よくわからない実験器具らしきものが置かれている。

 照明も見当たらないのに、青い大理石のような床の色が妙に目に映えた。


 自分が歩いてきた方向を振り向けば、壁際の空間に四角い穴があいている。

 見慣れた寝室の景色が、空間の穴の向こうに覗えた。


 埃一つ舞っていない書斎は、壁面もまた本棚になっていた。

 見上げる高さの天井まで、壁面の本棚には本がぎっしりと詰まっている。

 床と天井のちょうど中間には手すり付きの通路がぐるりと四方を巡っていた。


 淡く青い光に満たされた室内に、実験器具や手すりの金色が走る世界。

 どれも鮮明に視認できるその光景は、日常感こそ皆無。

 だが、とても夢とは思えない現実感があった。


 夢ではないのなら、なんなのか。

 ここはどこなのか、なにが起きているのか。


 常識はずれの事態に、充は混乱したまま、あちこちを見まわすしかなかった。

 そこへ――。


「沙々木様ですね」


「うわっ!?」


 背後から声がかかった。


 充は突然のことに驚き、慌てて振り返り。

 そこで目にしたものこそが――周囲の異常な景色に負けず劣らず目を惹く存在。

 豊満な肉体に、桜色や藤色も鮮やかなローブをまとった、絶世の美女であった。


「こちらから先に連絡をできず、失礼いたしました。空間を繋ぎ終えてすぐに沙々木様のほうから来ていただけるなんて……」


 精巧に作られた磁器人形めいて整ったその顔は、穏やかな微笑に彩られている。

 鼻筋が通り、目元涼やかな、それでいて柔らかい微笑が良く似合う顔。

 それはまるで慈母か、はたまた理知的な女性学者か。


 その、袖も裾も末広がりの十二単衣(じゅうにひとえ)を連想させる装いの女性は。

 ゆったりとした服装ながら、なお隠しきれない豊かな胸の起伏を揺らし。

 切れ長の目に微笑をたたえたまま、長い睫毛を伏せて一礼をした。


「ようこそお越しくださいました、沙々木様。僕がこの〈古代図書館〉の司書であるミヤと申します。本日はよろしくお願いいたします」


 絹織物を思わせる長い黒髪が、肩口からさらさらと流れた。

 ふわりと、奥ゆかしく甘い薫りが広がった。

 その声は、電話口で聞いた、あの(つや)やかなものであった。


「あ……ええと……」


 ある日、突然、寝室の押入れのなかに見たことのない空間が広がっていた。

 そこに入ってみれば、絵画のなかから飛び出てきたような美女が待っていた。


 己の理解を超える事態の連続に、充は挨拶を返すことすら忘れ。

 その場で立ち尽くし、すっかりと固まってしまっていた。


 しかし、突如として現れた謎の美女は、そうした充の混乱をよそに――。

 彼に追い打ちをかけるように、さらなる驚きの言葉を投げかけたのであった。


「本日は新たに迷宮(ダンジョン)を建造するにあたり、日本に住まわれます()()使()()の方のお知恵を拝借したく、沙々木様にご足労いただきました次第でして――」


「……はっ!? えっ!? 魔法使い!? 私が!?」


 日本の地方都市に住む青年、沙々木充と。

 〈星の魔女〉と呼ばれる異世界最高峰の魔女、ミヤと。

 それが、二人の出会いであった。

※アーサー王伝説……中世ヨーロッパで語り継がれた騎士道物語。数々の騎士や魔法使い、怪物が活躍する。12~15世紀にまとまったといわれる。


※千夜一夜物語……インドやペルシアを舞台にした、いわゆる民話集。アラビアンナイトの名でも親しまれ、魔法のランプや魔人たちが活躍する。9世紀頃にまとまった(その後も続々と民話が追加されていった)といわれる。


※西遊記……中国からインドに旅をする僧侶の物語。たくさんの妖怪や仙人が登場し、活躍する。14~16世紀にまとまったといわれる。

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