1/5節『天使を歓待した町』
老後にゆったりとした田舎暮らしをするにはぴったりの場所――。
そのような表現の似合う、異世界の片隅にある〈終焉と始まりの町〉。
そこで、毛刈りや石掘りといった、のどかな行いで名声を得て。
一部界隈と子供たちのあいだで、一躍有名となった充であったが。
〈水の国〉で仕事を始めて三ヶ月。
彼は、ついに穏やかな人々の暮らす水郷を離れ。
「冒険者の生活」というものへ、本格的に関わることとなった。
ここでは、彼の異世界生活の始まりに続き――。
彼の、冒険者生活の始まりに触れていこう。
舞台は〈水の国〉の一角、火山地帯の麓。
冒険者と物流の町、〈天使を歓待した町〉である。
* * *
この日、充が訪れたのは、先月まで働いていた町ではなかった。
ミヤに連れられ、いつもの図書館から瞬間移動した先は、荒野のただなか。
地平を埋める岩山の、山肌に沿って造られた石造りの町であった。
「あらあら、ミヤ先生じゃないですかぁ。相変わらず、お顔から服装まで、とっても綺麗ですねぇ。うらやましいですよぉ」
「ありがとう、通信手さん。そちらこそ変わらず元気のようで安心したよ」
「そりゃ、変わりようがありませんよぉ。こっちは年中、朝から晩まで、この窓口で冒険者さんたちの出入りを眺めてるだけですからねぇ」
山を背に、三方を城壁のような石壁で守られた町――〈天使を歓待した町〉。
充がいるのは、その石壁に設けられた巨大な門のなかである。
この町では冒険者の出入りを門で管理しているから――と。
ミヤは図書館の扉を町の外へと繋げ、さも別の町から旅してきた風を装い。
充共々、町へ立ち入るための手続きを受けているのであった。
「――それで、そちらの人は先生の新しい護衛さん?」
「いや、冒険者の卵……かな? 異邦の人だけど、縁あって僕の仕事を手伝ってもらっているんだ。名前はササキ・ミツルさん。しばらくはこの町で迷宮に関わる仕事を見繕えないかと思ってね」
「ははぁ、異邦人さんとは、まためずらしい人を連れてきましたねぇ。でも、先生に拾われるなんて幸運な卵さんですねぇ」
門内の窓口にいた恰幅の良い女性は、どうやらミヤと顔見知りらしい。
充は、「他所行きの顔」でしゃべるミヤの横で、神妙に直立しながら。
二人の会話内容を、興味深げに聞いていた。
「それじゃ、ササキ・ミツルさん。この町へは初来訪ですから、いくつか注意事項と、それから町の紹介をさせてもらいますねぇ。言葉、わかります?」
「――はい、よろしくお願いします」
そう――充は、自分への呼びかけに受け答えできるほど、はっきりと。
〈水の国〉の言葉で交わされる会話の内容を聞き取れていた。
これは、充がこの数ヶ月で〈水の国〉の言葉を完全に修得した――のではない。
無論、充もミヤに師事して連日〈水の国〉の言葉を勉強してはいるが。
現時点では、簡単な定型文を口にできる程度である。
そのような彼が、こうして周囲の会話内容を補足できているのは。
ミヤが、周囲の会話を瞬時に日本語訳し。
彼にのみ聞こえる声で、耳元へと魔法の囁き声を届けているからであった。
そういった生活の根幹部分を、漏らさずサポートしてくれるところからして。
なるほど窓口の女性の言葉通り、ミヤと出会えた自分は幸運だったのだろう。
おしゃべり好きらしい窓口の女性の、町のPR文句を耳にしつつ。
充は小さく頷いた。
「――そんな感じですかねぇ。改めて、ようこそ〈天使を歓待した町〉へ!」
そうして、朗らかな挨拶と、ミヤへの感謝の念を深める場面を皮切りに。
充の、新たな町での異世界生活は幕を上げた。
* * *
〈天使を歓待した町〉は、〈水の国〉有数の大都市である。
優れた製鉄技術による鉄製品を造る、工業区画と。
各地から集めた食材や工芸品を扱う、商業区画とが自慢の町である。
充たちが潜った門は、その二つの区画を分ける中央通りに繋がるものであった。
「おお~! 石! 石造りだ! ファンタジーだ! すっごい!」
門を出た充は、目の前の光景に歓喜の声をあげた。
視界の最奥、岩山へと向かい、広くまっすぐな石畳の坂道が続き。
その左右に、石積みやレンガ積みの家が整然と並んでいる。
斜面に建物が建てられているおかげで、赤や白の家々が、近く遠く見渡せる。
それはまさに、騎士道物語に登場する町並みそのもの。
中世ヨーロッパの詩人たちが詩のなかで謳う、美しき石の都であった。
「ああ、充さんは、やっぱりこういった町並みが好きなんですね」
「昔からの憧れだからね! 和風も好きだけど、それとは別って言うか――」
前回の「秘境の町」から一転、今回は「ファンタジーの町」。
この町もまた楽しめそうだと、観光熱に浮かされる充であったが。
「まずは予定どおり、この坂の途中にある冒険者用の食堂に向かって、冒険者の皆さんに充さんの顔見せをしようと思っていますけど……そのあとは、せっかくですから町を見てまわりましょうか?」
「是非とも! この石畳の坂道なんて、歩いているだけで気分が――」
しかし――今回の町では、その晴れやかな気分も長くは続かなかった。
ミヤと並び、歳月を感じさせる石畳の踏み心地を堪能しながら。
嬉々として新たな町の様子を眺めていた充であったが。
「――え?」
直後、浮かれた声を詰まらせ、緩んでいた表情を凍りつかせた。
前方、坂の途中に、馬車の類だろうか、四角い乗り物が停まっていた。
その乗り物脇で、少女が一人、刃物を持った二人組に詰め寄られていた。
「ミヤさん!? アレってまずいんじゃ!?」
目の前で繰り広げられる光景の意味が自分の想像どおりのものであるか。
即座に、充はミヤへと声をかけ。
「あ、冒険者の諍いでしょうか。この〈冒険者通り〉は治安が――」
そこまで聞いたときには、充の身体は動いていた。
「充さん――」
ミヤがなにかを言いかけたが、聞いている暇も惜しい――と。
充の右手は、少女へ向かい振りかざされていた凶器へと向けられ――。
「〈雪花〉!」
呪文を唱えた瞬間、閃光めいた一筋の水柱が充の手先から放出された。
青白い光の筋は、あやまたず暴漢とおぼしき男の持つ長剣へとぶつかり。
そのまま刃を絡め取るかのように、白い氷塊へと姿を変えた。
氷は路地に面した建物の壁と剣を一体化させ、がっちりと固定している。
狙った獲物をまるごと氷漬けにして動きを封じる、ミヤの魔法である。
「――!?」
「――!」
突如、振りかざしていた剣が氷に覆われた二人組の片割れは、慌てた声をあげ。
もう一人が、眼前の少女から充のほうへと視線を移し、怒声をあげた。
どちらも充と同年代程度の、がっしりとした体格の男である。
充は男たちの様子を観察しながら、しかし怯むことなく。
少女を助けようと、〈拾得魔法〉で取り出した木刀を手に、駆け出していた。
だが――。
「――!」
「――!」
一瞬、駆け寄る充に対して応戦の構えを見せた男たちであったが。
すぐに思い直したのか、氷の塊になった剣をその場に放棄し。
踵を返すと、各々、路地裏へと逃げていった。
「はぁ……よかったぁ……」
男たちの姿が見えなくなったところで、ようやく。
考えるより先に行動したため置き去りにされていた思考が現状に追いつき。
急場はしのげたと、充は足を緩めて溜息をついた。
馬車のほうを見れば。
少女は驚いた顔でこちらを見ているものの、怪我をしている様子もなかった。
「ん……あの子って、前の町で見かけた……?」
そして、そこでようやく、充はその少女に見覚えがあることに気付いた。
十代後半くらいの、灰色髪で、行儀良く背筋を伸ばしているあの姿は――。
たしか、ミヤの熱狂的なファンの女生徒――と一緒にいた少女である。
「ええと――」
充は、そのまま少女のそばまで歩み寄り、大丈夫かと声をかけようとして。
「やあ、恩人に車中から挨拶する失礼を許してもらえるかね」
頭上からかけられた低いしわがれ声に、驚いて顔をあげた。
馬車の窓から、壮年の、いかにも紳士然とした男性が顔を覗かせていた。
灰色髪で色白の、少女と似た顔つきの――おそらく、少女の父親だろう。
あ、その人は知っています、〈竜の剣を掲げる町〉の偉い人ですよ――と。
〈竜の剣を掲げる町〉は〈水の国〉で一番大きな町です――と、更に追加で。
通訳のあとにミヤの補足が入った。
「娘を助けてくれてありがとう。今は満足なお礼もできないが、もし貴方の気が向いたら、私の宿を訪ねてくれたまえ。商業区画の一等宿だ。マウエルに呼ばれて来たと伝えればいい」
紳士はそう言うと、申し訳なさそうに車中で立ち上がり。
胸に手のひらを当てる挨拶をしてみせた。
日本でいえば、丁寧なお辞儀にあたる仕草である。
娘の危機にも関わらず乗り物から降りようともしないのはどうしたことだ――。
つい持ち前の性格から、そういった思考が頭をかすめていた充だが。
どうも、本気で丁重に感謝されている様子であった。
「では、急いでいるので、失礼させてもらうよ」
それからマウエルと名乗った紳士は、元のように姿勢良く座席に腰をおろすと。
馬車の横で所在なさげに佇んでいた少女へと、なにか目配せをした。
それを合図に、少女もまた充に礼の言葉を残して。
そのまま、馬車のなかへと姿を消した。
「――」
その直前。
馬車に乗り込む少女が、充のほうをちらりと窺い。
ぽつりと、何事かを呟いたように見えたが。
「……うん?」
確認をしようにも、馬車はすぐに走り出してしまった。
やがて馬車は坂の上へと遠ざかり。
充が、その後ろ姿を見送っていると。
「充さん、大丈夫でしたか?」
歩いて追いついてきたミヤが、後ろから声をかけた。
振り向けば、そこには充のことを心配そうに見つめるミヤの顔があり。
それから、こちらへと駆けてくる武装した集団――町の自警団の姿があった。
どうやら先程の男たちは、自警団の姿を見て逃げ出したらしい。
「ああ、ミヤさん。うん、女の子も私も大丈夫だったよ」
「この〈冒険者通り〉は商業区画と工業区画の境なので治安が悪いんです。えっと、どちらの区画にも属さないから町の監視の目も甘いといいますか……それで、さっきみたいなこともよくありますから、どうか、気をつけてくださいね?」
「そうだね――」
充は坂道を見上げ、遠く走り去る馬車の影を見つめ。
道端に転がる、暴漢たちが残していった氷漬けの剣に目を向け。
青白い雪の華を氷塊の周囲に散らす、ミヤの鮮やかな魔法の残滓を眺めながら。
先月までの〈終焉と始まりの町〉ですっかり呑気な気分になっていた己の心に。
今度の町は、本当に浮かれ気分ではいられなそうだ――と。
胸の内へと釘を刺すように、そう言い聞かせた。